第9章 もう一つの視点 -  4(4)

文字数 1,254文字

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 まさに、高校受験日の前日だった。

 急に状態が悪くなり、夕刻から直美は昏睡状態に陥ってしまうのだ。
 
 ここひと月ほどは、いつなん時、

 そんな状態になってもおかしくない病状で、

 それでも直美は、受験日までを指折り数え、日々懸命に生き抜いていた。

「お医者さんになって、わたしの病気を治してくれるんだって」

 それにはいい高校、いい大学に入らないといけない……

 だから何があっても、勉強にだけ集中して欲しい。

 ――だからわたし、沖縄に行ってることにしたい。

 九州くらいでは、地続きの気楽さから日帰りで訪ねてくるかもしれない。
 
 けれど沖縄なら飛行機だからと言って、
 
 直美は必死にそんなことを両親に頼んだ。

 ――病気を治すって? そんなの、間に合うわけないじゃない!! 

 ――あなたは、そんな頃まで生きていてくれるの?

 そんな思いが駆け巡り、

 その時順子は直美を見つめることもできないでいた。

 横を向きっぱなしの順子に向けて、

 直美はさらに明るい顔で告げるのだ。

「幸一くんのパパもお医者さんだから、幸一くんだって、きっとお医者さんに
 なれるわ。そうなったら、わたしの心臓を直してくれる。早く……そんな日
 がこないかな……」

「そうだな、そんな日が早く、くるといいな」

 黙ったままの順子に代わり、稔が必死にそう声にした。

 しかしすぐに声が震えて、

 ――そのためには、直美がそれまで頑張って、
 ――待っていないといけないな。  

 心に浮かんでいたそんな台詞を、

 彼はどうしようもないまま心奥底へ押し込んだ。

 しかしそれでも、この頃直美は話すことはもちろん、

 笑顔を見せることだってできていた。

 ところが年明け頃から、直美の病状は下降の一途を辿っていく。

「こうちゃん、こうちゃん……」

 そんな掠れる声が聞こえる度に、

 ――直美がこんなに苦しんでるってのに!

 ――あの子は今頃、呑気に......勉強なんかしてるんだ! 

 こんな思いとともに、強烈な苛立ちがどうしようもなく込み上げる。

 そうして順子は何度となく、幸一の家へ電話を掛けようかと思うのだ。

 しかしその度、直美の嬉しそうな声が思い出されて、

 いつもその場に立ち尽くしてしまう。

 ――お医者さんになって、わたしの病気を直してくれる。

 そんな猶予など残っていないことくらい、

 直美も充分感じているはずだった。

 それなのに、

 そんな現実が嘘のように明るく響き渡ったのだ。

 ――どうしてあの子は、この期に及んでいい子でいようとするのだろう? 

 以前のように悪態でも付いてくれれば、どんなにか楽だろうと順子は思う。
 
 良くも悪くもあの少年と出会ってから、

 直美はとにかく聞き分けだけはよくなった。

 そんな大人になってしまった直美を無視して、

 母親である自分が感情だけで突き進んでいいのかと、

 いつも最後は考えるのだ。

 結果、大いなるジレンマに苦しみながら、順子は受話器を手にしない。

 そうしてあっという間に、幸一の高校入試の前日となった。
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