第9章 もう一つの視点 -  3(2)

文字数 732文字

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「それにさ、幸一じゃないけど、何もかもが、二十年以上前のことだよ」 

 そう言いながら立ち上がり、彼はキッチンの方へ歩いていった。

「そう言えば、美津子、覚えてるかな?」

 そんな声とともに戻ってきて、再び美津子の隣へ腰掛ける。

「五年でさ、同じクラスになった山本裕行っていたろ? あいついっとき、美
 津子のことを追いかけ回してたよな」

「追いかけ回してたあ? わたしを? そんなことあったかしら?」

「ほらな、覚えてないだろ? 一応モテたんだからさ、いい方の思い出のはず
 だろ? そんなんでも、けっこう忘れちゃってたりするんだよな」

 美津子の驚く声を聞いて、幸喜はまさに嬉しそうだ。

「あいつ下着屋からまた転職してさ、なんだかっていうワインの会社に入った
 って、この間わざわざ、何本か送ってくれたんだよ。これがその中の、最後
 の一本でございます」

 そう言って、彼はワインボトルを高々掲げ、

 もう片方からグラス二つを差し出した。

「あいつ、今度の同期会には出席するって言ってるからさ。ホント、ここで出
 せてよかったよ、なにかの拍子でさ、ワインの味は? なんて美津子に聞い
 たらどうしようって、ここんとこずっと思ってたんだ」

 そう言いながらボトルを開けて、

 二つのグラスへワインをゆっくり注ぎ入れた。

 それから美津子のグラスに己のグラスを傾けて、

 小気味のいい音を響かせる。

 そして顔だけで「乾杯」と告げて、ワインを一気に流し込んだ。

 きっといつもの美津子なら、何に乾杯するのよ? 

 くらいは口にしていたに違いない。

 しかしまるでそんなことなど聞かれずに、妙に静かに、ポツリと響いた。

「ねえ、本当はどうして、会社を、辞めようって思ったの?」
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