第9章 もう一つの視点 -  2(3)

文字数 1,047文字

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 鎌倉に行こうと告げた日に、美津子は直美に告げたのだ。 

 そんな言葉をこの瞬間に、やっとのことで思い出した。

 ――そしてもっともっと元気になったら、
 
 ――この次こそは、みんなで高尾山に登ろうよ。

 高尾山での思い出を、

 美津子も直美から聞いて知っていた。

 だからこそ、心の底からそう思い、直美へそんな言葉を告げたのだった。

「転校してたって、また、みんなで集まればいいなんて言っといて、わたし、
 完全に忘れてた。自分から言い出したことまで、ぜんぶ忘れてしまっていた
 わ……」

「それは、仕方がないさ。きっと彼女の方から、連絡することになってたんだ
 ろう? 彼女は多分、入院している間は、誰とも会おうとしなかったはずだ
 し」

「その辺はよく覚えてないの。でも、どうだったとしても、また家に行ってみ
 ればよかっただけなのよ。そうすれば、ずっと入院していることだって、わ
 かっただろうし……」

「でも、それで会いに行って、彼女が喜んだかはわからないよ。それにどっち
 にしても、みんなでの高尾山は、彼女にはきっと無理だった……と思う」

 幸一の言葉が、妙に遠くからのように聞こえていた。

「でも本田くんは、一緒に登ってあげたのよね……彼女と、一緒に……」

 ――本田くん、ありがとう……。 

 それは声にはならず、心で微かに響いただけだ。

「彼女はね、ずっと悩んでたんだよ。入院のことを、ちゃんとあなたに伝える
 べきかってね。日記にもしょっちゅうそんな感じが書かれてて……でも、鎌
 倉のことがあって、きっぱり心が定まったんだ。誰にも言わずに入院しよう
 って……」

 病気が悪くなって、入院しなければならなくなった――ではなく、

 矢野さんはお家の事情で、夏休みの間に転校されました――という方を、

 彼女は自ら選んだのだった。

「みんなには、入院なんかしていない、元気だった直美の友達でいて欲しかっ
 たんだよ。だからあなたにも、病気のことを誰にも言わぬよう口止めをし
 た。俺はその頃、まるで関わりなかったから……」

 ――俺は、彼女が入院してからの、友達だったからね。 
 
 そんな心の呟きは、美津子の潤んだ眼差しに、

 しっかり届いているようだった。

「それで結局、彼女は十五歳で亡くなっていたわけか」

「そしてそれを知っていたのは、ずっと本田くんだけだった……」

 そんな悠治と由子の声の後、しばらくは誰も言葉を発しなかった。

 それぞれがそれぞれの思いを胸に、

 交わることのない視線を向け続けていた。
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