第5章 1994年 -   4   

文字数 2,224文字

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「元々はさ、美津子が会いに行ったっていう村上婦長に頼まれて、かなり嫌々
 やってたんだ。もちろん、そんなことに付き合うメリットってのも、ちゃん
 と用意されてはいたんだけどね」
 
 幸一がベッドの上で、
 そう言って照れ笑いのような笑顔を見せた。

 彼が事故に遭った翌日の夕方、再び病院に五人全員が集まったのだ。

 幸一は驚くほど元気そうで、
 
 それでも由子は朝からずっと彼のそばに付き添っている。

 そしてそんな由子から、
 
 彼は前日にあった様々な話も聞かされていた。

「由子から聞いたと思うけど、俺って中学の頃は荒れててさ、ちょうど二年生
 になる直前の冬、だったと思う……喧嘩して、右腕を骨折したことがあった
 んだ……」
 
 ほんの些細な事から、彼は数人の高校生と大立ち回りを繰り広げた。

 そこは閑静な住宅街で、すぐに警察に通報されてしまうのだ。

 さすがに警察沙汰は初めてで、

 無関心を装っていた父、博も、さすがにまずいと思ったのだろう。

 幸一はその夜初めて、父親からこっ酷く叱責を受けた。

「全寮制の中学に行けって言われてさ、俺はその頃、家にいること自体苦痛だ
 たから、本当のところぜんぜん構わなかったんだけどね、まあ、お袋が
 さ……」
 
 秀美は博の話に嘆き悲しみ、泣きながら幸一に訴えた。

 ――もう二度としないって! お父さんにちゃんと誓いなさい! 

「でも、今から思えばさ、その時にはもう、俺をどうするっていう筋書きはで
 きあがっていたんだよね。家に帰る前にさ、お袋も一緒に病院に寄ってたん
 だから、きっとそこでもう、婦長と話をしていたと思うんだ」
 
 警察から幸一を引き取った後、博は病院に二人を残し、

 ひと足先に仕事場へ戻っていった。

 そして残された秀美が偶然、十数年ぶりに村上久子と出会うことになる。

 以前ボランティアをしていた頃、

 村上婦長と一緒に働いたことがあったのだ。

 だからきっと、幸一が治療を受けている間に、

 二人は様々なことを話していたに違いない。

 昔話に花が咲いたついでに、

 ――うちの息子には困っているのよ。

 ――あら、そうなの? それじゃあ、こんなのはどう?

 なんて話が、持ち上がったのかも知れなかった。
 
『明日からのひと月間、停学期間中は毎日、この病院に通うこと』

『時間は午後一時からの一時間。その間、指定の場所に居続けなければなら
 ない』

『人の迷惑になること(大きな音を立てるとか)はしてはダメ』

『それ以外であれば、基本、その一時間で何をしていても構わない』
 
「とにかくさ、同じとこに居ろって言うんだよ。そうしてひと月我慢すれば、
 全寮制には行かなくていいってね。わけ、わからないだろ? そんなのを
 さ、いきなり親父が真剣な顔して言ってくるんだ。お袋はお袋で、やれやれ
 ってうるさいし、今から思えばさ、まあ二人とも、ホントに迫真の演技って
 やつだったよ……」
 
 ひと月間の停学だ。

 どう考えても暇を持て余すに決まっている。

 だから幸一は理由も知らず、

 その申し出を受けてもいいという気になった。

「言われたところに居りゃいいんだろ? 別にいいさ、そんな簡単なことなら
 やってやるけど、意味、わかんねえよ……」
 
 そんなことを呟いて、それでも彼は、

 その翌日からしっかり病院へ通い始める。

 村上婦長の指示した場所で、午後の一時間を過ごし続けた。

「でも、たった二、三日でいやになってさ、もう止めたいって婦長に伝えたん
 だ。そうしたら、長い間入院している女の子が居て、その子のために続けて
 欲しい、ただ寝転んでたっていいからってさ、そう言うんだよ。まあ結局、
 それが矢野さんだった、ってことなんだけど、その時はさ、そんなこと教え
 てくれないからさ」
 
 そんな話を耳にしても、彼の気持ちは変わらなかった。

 なんの意味があるんだと言い放ち、さらに婦長へ食って掛かった。

 そうなって婦長は初めて、
 秀美との話から思い付いたものだと幸一へ告げる。

 兄、優一が入院していた頃、幸一はほぼ毎日病院に顔を出していた。

 優一の病状にとって、
 そんなことがいいことだったかはわからない。

 それでも彼は病院を訪れ、横たわる兄の話に夢中になった。

 そんなのはサッカーの話題がほとんどで、

 幸一は次第に聞いているだけでは物足りなくなる。

 やがてサッカーボールを持ち込んで、

 とうとう病院の広場でボールを蹴る姿を見せ始めるのだ。

「そんな幸一くんの姿に、お兄さんはたくさん勇気をもらっていたのよ。そん
 なのはきっと、お父さんとお母さんも、一緒だったと思う。彼女、言ってた
 わ、あなたと一緒に笑うお兄さんの笑顔に、どんなに救われていたかっ
 て……」
 
 しかしリフティングがそう上達しないまま、優一はいきなり意識を失った。
 
 そして一度も目覚めぬままに、彼は帰らぬ人となっていた。

「ま、あれだな、そんな話を聞いてからだよ。俺がけっこう本気になって、病
 院に通い始めたのはさ」
 
 そして停学期間が終わっても、

 彼は三日と空けずに現れるようになっていた。
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