第10章 十月十九日(土) -  5(3)

文字数 1,255文字

                  5(3)


「幸一、ホント、どうしてなのよ……あなたの卒業式なのよ。もうこれから、
 そう簡単に会えなくなる友達だっているでしょうに……」

 開け放たれた部屋の前で、

 秀実があきらめ気味にそんな言葉を口にした。

 中学校の卒業式の日、幸一は自分の部屋から出てこようとしなかった。
 
 布団を頭からすっぽり被って、

 何を言われても起き上がろうとさえしないのだ。

 そしてその日、夜も更けてのことだった。
 
 普段滅多に姿を見せない父親が、突然、幸一の部屋をノックした。

「入るぞ」とだけ声にして、

 彼はドアを開けてから部屋の様子に目をやっている。

 そうして十数秒もした頃か、「うん」という咳払いのような声を出し、
 
 彼はやっと幸一への言葉を口にした。

 これから、どうするつもりなんだ? 

 と、静かに告げて、やっと部屋に入ってあぐらをかいた。

 ところがまるで返事がない。

 幸一はカーペットに寝転んで、目だけは漫画本に向けている。

 博はそんな彼に向け、あまりに思い掛けない言葉をさらっと言った。

「まあいいさ、これから長い長い人生なんだ。高校一年くらい、遅れたってど
 うってことないし、ここらで一回立ち止まって、いろいろと考えてみるって
 のも、それはそれでいいのかも知れん……」

 そこで一旦言葉を切って、そばに置かれていた参考書を手に取る。
 
 それからそれをパラパラとめくって、

 あるページを見つめながら博は続けて声にした。

「少なくとも以前のおまえさんだったら、こんなこと心配で言えなかったかも
 知れん。しかしだ、今のおまえなら、素直にそうした方がいいだろうって思
 えるんだ。だからな、さっき母さんとも相談してな、おまえがしたいように
 したらいいと、ま、そんな感じで、いいだろうと、うん、そういうことに、
 なったんだ」

 その後もいろいろ語り掛け、

 最後の最後にこう告げてから彼の部屋から出ていった。

「ただ、あの子との約束だけは、忘れないでいてくれると、有難いんだが
 な……」
 
 ――僕は医者になって、彼女の病気を治したいんだ。

 そして直美のように、病気で苦しんでいる子供たちを救いたい。
 
 そんな約束を直美としたと、幸一は以前、両親をずいぶん驚かせていた。

 そうして彼は父親の助言を受け入れ、一年間の休学という道を選択する。
 
 これといった理由などなかったが、

 さりとて高校に通う意欲も消え失せたっきりだ。

 ――直美との約束? そんなものに今さら、なんの意味もないさ。 
 
 そんな気持ちにも変化なしで、当然ダラダラした生活も変わらない。

 ところがある日博が、病院でアルバイトをやってみないかと勧めてくる。

 金が欲しいわけではなかったが、

 少なくとも退屈さは紛れるだろう。

 そんなふうに思って、彼は父親の提案を受け入れた。

 もちろん雑用ばかりのアルバイトだ。

 ところが雑用というだけあって、病院内いたるところに仕事があった。

 そのせいで様々なシーンに出くわして、

 それらは度々幸一の心を揺らしていった。
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