第9章 もう一つの視点 -  3(4)

文字数 1,088文字

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 ――いつもは一人で来るから、今日はちょっと、調子が違って……。
 
 真っ先に、なんて感じが頭に浮かんだ。

 ところが口を突いたのは、ぜんぜん違う。

「じゃあ、瓶ビールで……」

 と、言ってしまって、我ながら、間の抜けた返しに愕然とした。

 慌ててお絞りに手を伸ばし、

 しつこいくらいに手のひらだけを拭き続ける。

 それでも飲み始めれば、いつもと同じだ。

 あっという間に瓶ビールを空けて、 
 
 由子は幸一にも、焼酎を飲むよう勧めるのだった。

 さすがに退院後間もないからと、幸一も一度は断った。

 ところが二本目のビールを飲み干した頃、

 自ら飲みたいと由子に向けて言い出していた。

 結果、幸一は由子のボトルで水割りを、由子は大粒の氷を一つだけ入れて、

 チビチビと焼酎ロックを飲み始める。

 そうしてようやく、由子の顔が少し赤くなってきた頃だ。
 
 幸一の顔面を見上げるように顔を寄せ、

 いきなり降って湧いたような質問をした。

「ねえ、わたしがどうして独身なのか、本田くん、わかる?」

「離婚したからだろ? 理由は知らないけど、確か……由子の結婚式出たもん
 な」

「ああ、そうね、その節は、大変お世話になりました」
 
 幸一の淡々としたリアクションが、由子の調子をほんの少しだけ狂わせた。

「でもね、それからすぐに離婚して、もう十年以上になるのよ」 

 会社社長の御曹司、誰もが羨むような結婚生活のはずだった。

 それが一緒に暮らし始めて、

 半年も経った頃には、亭主と顔を合わすのも嫌になる。

「じゃあさ、幸一くんの方は、どうして独身なの? やっぱり矢野さんとのこ
 とが、あったりするの?」
 
 幸一の横顔をジッと見つめ、真剣な声で由子は言った。

 一方幸一の方は、目の前で焼かれるうるめぼしが気になるらしく、

 さっきから囲炉裏の様子ばかり気にしている。

 由子の問いにも黙ったままで、言葉一つ返そうとしなかった。

 しかし頭の中では、きっと言葉を探していたのだ。

 その問い掛けがあってから、

 世話しなく動いていた彼の視線がピタッと動きを止めている。

「言いたくないなら、無理に答えなくたっていいけどね」

 黙ったままの幸一に、由子がそう続けた途端だった。

 まさに唐突というべき印象で、いきなり幸一が笑い出した。

 もちろん他の客が何事かと目を向けるが、

 そんなのに気付かないくらいの大笑い。

 呆気に取られる由子に向けて、

 ――ごめん、ごめん。

 彼はそんな感じに両手を合わせて頭を下げた。

 その頭も上下に震え、

「違うんだ、ごめん……」

 やっと声にしたそんな言葉も、細かな震えとともにある。
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