第5章 1994年 -   3(2)

文字数 1,626文字

                 3(2)


 そこは、微かに漏れ届く光はあれど、

 目が慣れぬ二人にとっては真っ暗と思える暗がりだ。

 大人でも恐怖を意識するこの場所に、

 十四歳の少女が足を踏み入れるのか? 

 さらにこの先には、灯から離れれば漆黒の闇が待ち受けている。

「君はここに……直美がいると、思うんだよね?」

 稔の言葉には、問い詰める響きなど一切なかった。

 純粋に、反芻しているという感じだが、

 幸一はそうだ……とも言い返せない。

 直美から一度だけ、以前聞いたことがあったのだ。

 もし、この病気が治ったら、真っ先にしてみたいことがあるんだと……、

「わたし一度、高尾山に登ってみたいんだ。こんなのが望みだなんて、普通の
 人が聞いたら、絶対に笑うよね?」
 
 そう言って、直美は明るい笑顔を見せていた。

 その時彼女が、どうしてそんなことを言い出したのかはわからない。

 なぜ高尾山に登りたいのか? 

 幸一はそれさえ聞いていなかった。

 けれど一般的には普通のこと、ハイキングなどというありふれたことでも、

 きっと彼女には切なる願いとなり得るのだろう。
 
 だからと言って、本当にこんなところにいるのだろうか? 

 深夜と呼ぶには早過ぎる、

 しかし宵の口はとうに過ぎ去った頃、

 とにかく二人は高尾山清滝駅前に立っていた。

 そこは高尾山口からほど近い、

 エコーリフトとケーブルカー乗場となっている駅だ。

 しかし当然、こんな時間には動いているはずもなく、

 だから幸一は無言のまま、駅方面ではない右方向へ歩き始めた。

 そして稔も、やはり何も言わずにその後ろを付いていく。

 高尾山山頂へは、いくつものハイキングコースが整備されていた。

 それでもこの暗がりの中、駅より先にある尾根を進む険しい道や、

 川沿いを行くコースを選ぶとは思えない。

 下調べなどしていないだろうから、

 直美が選ぶ道は一号路くらいしかないはずだ。

 薬王院に続く参道であり、そこだけが広場からも薄ぼんやりと見渡せる。

 しかし月明かりが届かない中、なんとか見通せる路面だけが頼りなのだ。

 ――やっぱり、違ったか! 

 一号路を十分ほど登ったところで、幸一はそんな思いに立ち止まる。

 こんなにキツイ急坂を彼女が登るはずがない。

 だから続いて、「やっぱり引き返しましょう」と声にしようと振り返る。

 もしもここじゃなければ、後は警察に任せることになっていた。

 だからここで時間を無駄にするより、もっと他を探すべきだ……と、

 強く思って、彼が稔へ伝えようとした時だった。

「……」 

 微かに、何かを感じたのだ。

 風の音なのか、はたまた霊的な何かであるか……?

 とにかく何か聞こえた気がして、

 幸一はそのまま神経を耳元に集中させた。 

 ところがなんにも聞こえない。

 彼は稔に向かって「聞こえないか」とジェスチャーをするが、

 稔は首を傾げるだけなのだ。

 勘違いか……。

 そしてそう思った途端だった。

 そんな思念を打ち消すように、それは再び聞こえ届いた。

 今度こそ、勘違いなどでは絶対ない。

 ――どこだ! どこだ! どこだ!

 次の瞬間、幸一は張り裂けんばかりの大声を上げた。

「直美! どこだ! どこにいる!?」

 けれど声は反響ないまま、漆黒の彼方へ消え去ってしまう。

 ――どこだ! もう一回、もう一回言ってくれ!

 そう心だけで叫びながら、息を止めたまましゃがみ込んだ。

 すると前方の暗闇の中、

 薄っすらと白っぽいものが浮かんで見えた。

 ――直美?

 そんな思念に応えるように、

「こう……ちゃん」

 それは単なる吐息のようで、

 それでもしっかり彼の名前を呼んでいた。
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