第10章 十月十九日(土) -  4

文字数 1,402文字

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 もうすぐ、桜が散り始める頃だった。

 本当であれば今頃、期待に胸いっぱいのはずだったのだ。

 そんな自分を想像してみるが、

その欠片さえ意識することができなかった。
 
 直美の死から、すでにふた月以上が経過していた。

 なのに......病院であった様々なことが、

 まるで昨日のことのように思い出される。
 
 ついこの間まで、矢野直美は確かにこの世にいた。

 間違いなく生きていて、その声や唇の感触を思い出すことだって簡単だ。

 この世界のどこにもいないなどと、何をどうすれば信じられる? 

 ああ、そうだったなんて納得は、一生かかっても無理だろうと思う。

 通夜はおろか、告別式にも出てはいないから、なのか……? 

 焼き場で焼かれた骨でも見れば、少しは実感が湧いたろうか? 

 直美が亡くなった日のことだ。

 病院を出ると、知らぬ間に強い雨になっていた。

 まるでそんな日を思い出させるように、あの日も夕方から雨が降り始め、

 通夜が始まった頃は辺り一面土砂降りとなる。

 そんな通夜の前日、直美の父親から電話があった。

 ――ぜひ、見送ってやって欲しい。

 そう言って、通夜の場所と時刻を知らせてくれた。

 だから幸一は制服で、通夜の場所へは行ったのだ。

 ところがいざ斎場前に来て、なかなか入る勇気が湧いてこない。

 そこだけ煌々とライトに照らされ、

まるで別世界のように明るかった。

 このまま光の中へ入っていけば、亡骸と化した直美が横たわっている。

 そんなことが頭に浮かび、建物を見つめてただ立ち尽くしたのだ。

 すると前方の明るい中に、いきなり黒い影が現れる。

 土砂降りの雨の中、それがどんどん近付いてきて、

 幸一から少し離れて立ち止まった。

 後方からの明かりではっきりしないが、幸一にもそれが誰だかすぐわかる。

 順子が傘も差さずに立っていた。

 はあはあと吐く息は白く、肩が激しく上下に揺れている。

 ――何か、言わなければ、こんな時は、なんて言うんだっけ? 

 そんなことを、心で思った時だった。

 突然手にあった傘が吹っ飛んだ。

 あっと思った途端、順子のゲンコツが飛んでくる。

 ガツンという衝撃を顔の中心に感じて、その痛みに顔をしかめた時だった。

「あなたのせいよ! あなたのせいなんだから!」

 最初、なんのことだかわからなかった。

 溢れ出る感情が強くすぎるのか、まるで言葉が聞き取れない。

 それでも慌てて順子を見つめ、彼女の言葉を必死に聞いた。

「あの子はねえ! あなたのせいで死んじゃったのよ! こんなに早く、死な
 なくてよかったのに! 誰がなんと言おうとそうなんだから! なのに、よ
 くもまあいけしゃあしゃあと……こんなところにまで、これた、もの……」

 口元を両手で押さえ、

そこで一気に嗚咽の波に飲み込まれていった。

 そうなっていながら、順子は幸一の方へ一歩一歩と歩み寄る。
 
 そして身体を震わせながら、

 やはり震える握りこぶしを顔の辺りにまで持ち上げた。

 きっと......そのまま、叩こうとしたのか? 

 もしかすると、さらに頭上にまで持って行き、

 振り下ろそうと思ったのかもしれない。

 しかしそんな思いは達せられず、

 そのまま幸一の足元に突っ伏してしまった。

 あなたのせいで死んじゃった。

 それは明らかに違うとは思う。

 しかしいくらそう叫んだところで、直美は戻ってこないのだ。
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