第6章 高尾山 -  2

文字数 1,354文字

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「恥ずかしい? 幸一くん」

 薬王院手前でトイレに寄った時、直美が突然そんなことを言ってきた。

 それも、「こうちゃん」と呼ばずに「幸一くん」だ。

 となればきっと、直美は何か大事なことを言おうとしている。

 すぐにそう思ったが、幸一はあえて、

「なんのこと?」

 って顔だけを返した。

「本当は、恥ずかしいでしょ? みんな、わたしたちのこと見てるし」

「そんなことないよ。可愛い子だろって、鼻高々に決まってるじゃん。俺、鼻
 が折れやしないかそっちの方を心配してんだぜ!」
 
 この時幸一は、我ながらよくこんなことが言えたなと、
 
 言い終わった途端に恥ずかしくなった。

 そしてそんな明るい声に、直美は考え込むような素振りを見せる。

 それでもすぐにそんな印象捨て去って、

 きっぱり言い切るように言ったのだ。

「でも、やっぱりもういい、幸一くん、ここで、ここでもう充分だから」

 ポカンとする幸一を、まっすぐ見据えて、

「降りるのは、わたしもっとダメだと思うの。だからもういい、この辺で降り
 ようよ。ここまで来れて、充分だから、夢、叶ったから……だから、本当
 に、ありがとう……」
 
 直美はそう言った後、笑顔を作って見せるのだ。

 だからって、「はいそうしましょう」なんて言えるわけないし、

「もう、半分以上来てるんだから、そんなこと言わないで、くれよ」

 できるだけ、普通に返したつもりだった。

 それでも少し言葉が強く、直美がちょっとだけ目を丸くする。

 そんなことには構わずに、幸一はそのまま片膝を付き、

 直美に向かって背中を向けた。

「さ、行こう」

「いいよ、本当にもういい……もういいから、お終いにしよ」

「行くんだ。頂上なんてもう、あっという間だよ」

「ホント、ホントに……こうちゃん、もういいから……」

 そう言いながら、背中を見つめる視線が地面の方へ流れていった。

「さ、早くしないと、無理やり担いで登っちまうぞ!」

 直美を振り返ることなく、幸一の懸命なる声だけが響く。

 しかし直美から返事はなくて、微かに震える息遣いが耳に届いた。

 ――絶対に行けるって! 下りだって、俺、大丈夫だよ! 

 そして思わず、そんな感じを声にしそうになった時だ。

「さあ、お嬢さん、わたしたちと一緒に行きましょう。今日はいい天気なんだ
 から、頂上から富士山眺めなきゃ、ここで帰っちゃ、大損よ」
 
 そんな声に振り返って見れば、

 さっきの婦人が直美の隣にしゃがみ込み、

 彼女の顔を優しい目をして覗き込んでいる。

「でも……」

 なんとか搾り出された直美の声は、嗚咽混じりのものとも言えた。

 そんな震える声に、さらなる言葉が投げ掛けられる。

「さあ、一緒に登りましょう。わしらもあなた方の夢に、ぜひ、付き合わせて
 欲しいと思っているんだよ」
 
 最初に声を掛けてきた老人が、そう言って満面の笑みを向けていた。

 それらの言葉に、直美が何を思ったのかはわからない。

 ただ少なくとも、それから程なくして立ち上がり、

 幸一の背中に再びその身を預けたのだ。
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