第8章 直美の日記 -  3

文字数 1,437文字

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「何が沖縄よ! 馬鹿なこと言ってるんじゃないわよ! この娘が飛行機に乗
 れるとでも思ってるの!? ちょっと考えれば、すぐにでもわかることじゃ
 ない!」
 
 今にも飛びかかってきそうな勢いで、

 幸一へ向けられた......強烈なる言葉だった。 
 
 病室の扉を開けた途端、すぐに直美の母親に押し戻された。

「沖縄に静養!? 信じてるんじゃないわよ! あなたはどこまでバカなの
 よ!?」
 
 今頃ノコノコやってきて……、

 こんな感じをさんざん言われ、廊下で必死に告げたのだ。

「でも、お父さんから、直美さんは沖縄に行くって」

「そう言うように頼まれたからでしょうが! こっちだって、こっちだって仕
 方なかったのよ! まったく! あなたが現れてから、あの子は無理ばっか
 りして、とうとうあんなになっちゃったわよ、とうとう……いったい、どう
 してくれるのよ……」

 病室の外で、順子はそのまま泣き崩れてしまった。

 ――あんなに、なっちゃったって? 

 そんな疑問が渦を巻き、それを声にしようとした時だ。

 いきなりアラーム音が響き渡る。

 途端に順子が顔を上げ、

 何事かを叫んでそのまま病室の中へ走って消えた。

 そうして順子がいなくなっても、幸一はその場に立っていた。

 何が起きているのか確信持てず……、

 かと言って突き止めたいとも思えない。

 命に関わるようなことならば、こんな普通病棟にいるわけがない。

 そう思っていたのだが、

 いきなり響いた順子の声に、そこで思い込みすべてが一気に消えた。

 それは声というより、まさに叫びというべきものだった。

 きっと、

「直美」と、

 言っている。

 それだけはわかった。

 まるで、狼の遠吠えのように強く切なく響くのだ。

 そして、ここから先は、断片的にしか覚えていない。

 きっと病室には入ったのだろう。

 直美がベッドに横たわり、

 母親がすがり付いている姿をなんとなくだが覚えていた。

 直美の顔が見たいと思い、

 すぐそばまで近付いた記憶もあるのだが、後をぜんぜん覚えていない。 

 ふと気が付けば、彼は病室の外にいた。

 たった一人で長椅子に腰掛け、

「幸一くん……」

 そんな、声がしてやっと、自分がどこにいるかを知ったのだ。

 顔を上げればすぐ目の前に、直美の父親が立っている。

 顔が酒を飲んだように赤黒く、

 目からは涙が溢れ、顎からポタポタ滴っていた。

 そして幸一の目線くらいに腰を落とし、

 彼はくしゃくしゃの顔で震える声を上げたのだった。

「幸一くん、これまで、本当にありがとう。直美は……君と出会えて、本当に
 幸せだったと……心からそう思ってる。本当に……本当にこれまで、ありが
 とう、な……」

 そうしてそのまま、彼は床にひれ伏した。

 頭を床に擦りつけ、

 幸一に向かって何度も何度も「ありがとう」と言った。

 そんな姿を目にしてやっと、現実を少しずつだが受け入れるのだ。

 その後、残っている記憶はたった一つのシーンだけ。

 動くものはまるでなく、写真のように記憶のどこかに貼り付いている。

 聞いた話では、幸一はそれから病室に戻り、

 直美に声を掛け続けたらしい。 

 誰が何を言っても動こうとせず、

「明日はどうする?」

 まるで世間話でもするように、

「そうだ、また、高尾山に登らないか!?」

 そんなことを話していたらしい。

 しかしまるでそんな記憶は残っていない。

 ただ唯一、

 直美の安らかな死に顔だけが、

 心の奥底にしまい込まれていたのであった。
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