第8章 直美の日記 -  1(2)

文字数 1,462文字

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           1994年 4月8日


 絶対に、病気のことは伝えたくない。

 そんなことしたら、彼は心配してここに、来なくなっちゃうかも知れない、

 そんなの、絶対に嫌だから……。

 
           1994年 7月6日


 今日はちょっとだけ、長くおしゃべりし過ぎちゃったみたい。

 息が苦しくて、少しは我慢したんだけど、結局ナースコール押しちゃった。

 でも、どうして? 

 今日はお話ししただけだった。

 ただ、それだけだったのに。 

  
           1994年 8月25日


 彼が受験する高校の名前を今日聞いた。

 すごい、でも、その受験理由の方がもっとすごい! 

 でもそれって、わたしがここに入院しているのが前提だ。

 本当に、いつまでここにいなければいけないの? 

 そしてあとどのくらいなら、

 わたしは生きていられるの? 


           1995年 8月9日


 行きたいけど、正直すごく怖い。

 車椅子で現れたら、きっと……、

 こんな女の子と!? 

 って、百回くらい思われるに決まってる。

 どうして行くなんて言っちゃったんだろう? 

 だからお願い、幸一くんのお母さん! 

 どこかにお出かけ、お願いします! 

 
          1995年 12月2日


 ここのところ調子が悪くて、

 検査もかねて、入院したとたんに発作……。

 もう最悪。

 もうすぐ、幸一くんの受験だというのに……。 


              *


「お願い、電話で直接話がしたいの。だって、話すの最後に、なるかも知れな
 いでしょ? だから、どうしても、彼とお話しがしたい、お願い……」

 直美が掠れた声で、誰に言うでもなく言っていた。
 
 上を向き、見えているのかいないのか、

 涙を湛え、薄っすら目だけを開けている。

 静養に行くという嘘は、元々直美が直接伝えることになっていた。

 ところが当日、午後から容態が急変し、意識不明に陥ってしまう。

 目を覚ますのは翌朝で、その時直美が必死になって訴えたのだ。

「パパが電話しただけじゃ、きっと彼、ここに来ちゃうわ。だから、お願
 い……」
 
 そんな直美の震える声に、

 両親は成す術もなくただただ涙を流すのだった。

 携帯電話など一般的でなく、PHSもまだ実験段階という時代だ。

 集中治療室で目を覚ましたばかりの彼女が、

 電話で話をするのは今思うほど簡単じゃない。

 しかしそれから三十分後、直美は幸一の声を耳元で聞いた。

 ほんの、短い時間ではあったのだ。

「……幸一くんもこの二ヶ月間、わたしのことなんか忘れて、絶対、勉強かん
 ばってね」

 そう言って直美は、小さく頷き目を閉じる。

 彼女はストレッチャーに横たわり、受話器は稔の手にあった。

 そして目を閉じ、涙が零れ落ちると同時に、

 受話器も彼女の耳から離れていった。

 そんなことから、たった十分くらい前のことだ。

「担当医の許可が出ましたから、動かせない機器だけ外して、後はこのまま電
 話のところまで押していきましょう」

 ストレッチャーとともに村上婦長が現れて、

「ただし、十分後には戻ってくる、これが、広瀬先生の条件だそうです」

 直美の両親へそう告げた後、なんとも辛そうな笑顔を見せた。
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