第2章 埋もれていた記憶 - 4(2)

文字数 1,680文字

 直美の姿を見つけた時、

 久子の視線は、まだ別の写真に向いていた。
 
 やがて美津子の吐息の異変に気が付き、
 
 ようやく同じ写真に目を向ける。

「懐かしいわ……直美ちゃん、そう、矢野、直美ちゃんだわ」

 そんな言葉は、美津子の揺れる瞳を見つめてのものだ。

 写真の中で直美は笑い、かわいらしいパジャマのまま、
 
 足を投げ出しベッドにチョコンと腰掛けていた。

「直美ちゃんに初めて会ったのはね、確か彼女が、小学校の三年生の頃だと思
 うわ……」

 開業医の紹介状を手にした両親に連れられ、
 
 彼女は当時の国立病院へやって来た。

 心臓に、先天性の異常をいくつも抱え、
 
 放っておけば十年と生きられない。
 
 両親はさんざん悩み抜いた挙句、

 一番厳しい状態にある箇所への手術を決心する。 

 それは直美が四年生になった頃で、十二時間に亘る大手術は無事成功。

 そして彼女の入院中に、両親は病院の近所へ引っ越したのだ。

 それから三ヶ月にも及ぶ入院とリハビリを経て、

 直美はやっと砧中央小学校へ転入する。

「それからもね、運動は絶対に禁止。本人も理解していたはずだけど、やっぱ
 り、あの年頃では辛いわよね」

 ――心臓が、悪かったなんて……。 

「でもね、最初は順調だったのよ……それからの、二年とちょっとの間はね」

 ――あなたはわたしたちに何一つ、伝えてくれていなかった……。

「それがね、ある日救急車で担ぎこまれたの。学校でもね、ずっと辛いのを我
 慢していたらしいわ。家に帰ってしばらくして、お母さんが部屋の様子を見
 てみたら、その時には、もう意識がなかったって……」

 ――学校で我慢してた? それっていったい、いつのことなの? 
 
 そんな疑問を思うとともに、身体がフワフワ浮き上がった。

 さらに久子の声もさっきより、いくぶん遠くから聞こえるようで……。

「だからね、普通に生活できたのは、たった二年だけなのよ。五月に手術し
 て、翌々年の五月末には、まだ別の場所が悪化しちゃてね、辛い思いしてせ
 っかく手術したのに、結局元の状態に戻っちゃったわ……」

 二年後の五月末……それって、六年生の時のこと……!? 
 
 そう思った瞬間だった。

 不思議なほど唐突に、
 
 脳裏にしっかり過去の記憶が浮かび上がった。

 ――あの時、わたしはこんな感じを言ったんだ。

「ちょっと! ワザとらしい演技しないでよ! そんなに辛そうにされたら、
 わたしがすごく悪いみたいに見えるじゃないの!」

 大きな声で、みんなにしっかり聞こえるように……。

 そして本当は辛かったのに、何も訴えないまま耐えていた?

 ――嘘よ! あの日のことは関係ない! 
   だって、たったあれくらいのことで……。

 なんにせよ、直美が倒れたという時期は、

 あのちょっとした事件があった頃だ。

「それからね、彼女が病院の外にいられたのって、きっと一年もなかったんじ
 ゃないかしら。あれからずっと、真っ白な壁の中でひとりぼっちが続いた
 の。その頃ね、どうしてなんだろうって、わたしもずっと思っていたのよ。
 あんなに可愛らしくていい子なのに、どうしてお友達は、誰もお見舞いに来
 ないのかなって……」

 この後も久子はずっと何かを話し続けた。

 しかしそのほとんどは美津子の心に届いておらず、

 一年もなかった。

 こう耳にした途端、思考そのものが凍り付いてしまった。

「でも、そうだったのね……あの子は、入院のことを誰にも言っていなかっ
 た。でも、病気のこともだなんて……いったい……」

 ――どうしてだったの? 
 
 口を閉ざしてから向けられた視線は、明らかに美津子にそう訴えていた。

「それで……彼女は今、どこに……?」

 やっとのことで搾り出した言葉に、久子は一瞬困ったような顔になる。

 そのまま人差し指を天に向け、

 そうしてやっとニコッと笑った。
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