第2章 埋もれていた記憶 - 3

文字数 1,874文字

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 今から二十五年くらい前、

 矢野直美という女の子が入院していなかったか? 

 そんなふうに尋ねたとして、

 果たしてどんな答えが返ってくるかを考える。

「こんなでかい病院じゃ……きっと簡単には、教えてなんかくれないだろうな
 あ」
 
 そんな幸喜の言葉に、美津子も隣に立って頷いたのだった。


 国立医療センター。

 小児医療専門として生まれ変わった建物は、

 幸喜の知っていたものとはまるで違ってしまっていた。

 とても気軽に聞き出せるような印象などなくて、

 入り込むだけでも緊張してしまいそうだ。

「本田に頼んでみたらどうだろう? まあさ、カルテまでは無理だとしても、
 同じ医者なんだから、入院してたかどうかくらい教えてもらえるんじゃない
 か……?」

 二人は新しくなった病院を目にして、
 
 単に尋ねただけでは無理であろうと痛感する。

 だから一旦車を駐車場へ入れて、
 
 近くの喫茶店でどうすべきかを話し合った。
 
 そうして出てきたのが、本田幸一に頼んでみようだったのだが、

「どうしてまたいきなり、矢野って子のことを調べようなんて思ったんだ? 
 それに病院に聞いてまでだなんて、ちょっとやり過ぎって思わないか?」

 スマホから、予想もしていなかったリアクションが返る。

「いや、今度であの会も十回目だろ? だから由子がさ、これまで一回も来て
 いない人を探そうなんて言うもんだから。それにこっちも、無理に幹事なん
 て頼んじゃってるし、まあできるだけ、彼女の意向に沿ってって感じで
 さ……」

 幸一の声は、いつもより少しだけ不機嫌そうに響いた。
 
 それでも幸喜は諦めずに、

 そんな言い訳とともに食い下がってはみたのだった。

 あの病院で手術していれば、
 
 引っ越した後も定期検診などで訪れているはずだ。

 であればきっと、新しい住所の記録もあるだろう。

「とりあえず訊いてはみるけど、昔と違って、今は同じ医者だからって簡単に
 は教えてもらえないぜ。だからさ……」

 期待などしてくれるなと言い残し、幸一はさっさと電話を切った。
 
 だからそのままを美津子へ伝え、なかなか厳しいみたいだな......

 なんて印象を伝えるが、それでも美津子は行ってみたいと言い張った。

 そうして自ら病院内へ足を踏み入れ、

「手術をここでしたはずなんです。どうしてもその人に会いたくて……お願い
 です、記録を見ていただくわけにはいきませんか? 」

 こう言って頭を下げる美津子に、男はやっと顔の表情を和らげていた。

 ――昔、この病院で手術を受けた人のことで、
   お話をお伺いしたいのですが……。

 そう告げた美津子へ、男は最初、睨みつけるような目を向けたのだ。

「最近、たまにいるんですよ、こんな感じで訪ねてきては、なんだかんだ難癖
 つけて、適当な記事を雑誌社に売り込むなんてのが……」

 そんな輩でなくてホッとしたらしく、

「でもさすがに、そんな古い話を持ち出されるのは、今回が初めて、ですけど
 ね……」

 事務部長である男はそう言って、安堵の表情を二人に見せた。
 
 そして美津子が差し出した出版社の名刺を見つめながら、

「しかし残念ながら、記録内容をお教えするのは、やはり厳しいですね」

 そう告げて、美津子へ少し待つように告げる。
 
 胸ポケットからPHSを取り出し、

 二人から背を向け小さな声で話し始めた。

 そうしてそれから十分後、

 美津子の手には小さなメモが握られている。

 男はPHSを切って振り返り、さも嬉しそうに言ったのだ。

「十年くらい前まで、ここの小児病棟で働いていた婦長のお孫さんが、去年こ
 この事務に入ったんですよ。一応、そのお孫さんの了解だけはもらいました
 から、その方に電話して、お探しの方のことを尋ねてみて下さい。長年、こ
 こで働かれていた人なんです」

 そう言って渡されたメモには、二十五年前にも働いていた、

 村上久子という女性の電話番号が書かれている。

「でも、日に何件もある手術のことや、その女の子のことを覚えているかどう
 かについては、やっぱり可能性が低いと思っていただいた方がいいと……思
 いますよ」

 別れ際に、そんなことを告げた男はそれでも、

「覚えているといいですね」と続け、

 温かい笑顔を覗かせていた。
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