第8章 直美の日記 -  1

文字数 1,157文字

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「あいつは、受験の迫っている俺に心配かけまいとして、沖縄に行くなんて嘘
 を吐くよう頼んでたんだ。でも、あの頃の俺は、受験なんてどうでもよかっ
 た。だって元々、すべてはあいつのためにって考えたことなんだ。なのに、
 あいつが苦しんでいるのを知りもしないで、俺は呑気に……勉強なんかし
 て、本当は、そばに、付いていたかったのに……」

 そう言った後、彼はいかにも辛そうな顔になって、下を向いた。

 やっと話も終わりに近付いているようで、

 幸一が話し始めてから、かれこれ三十分以上が経過している。

 初めは、なんてことのない昔話って感じだった。

 ついさっきまで、幸喜が軽口を叩いたり、

 由子が幸一を冷かしたりしていた。

 ところがここにきて、

 ぐっと重苦しい感じに変わって、

 そんなことができる雰囲気ではまったくもってなくなっている。

「俺は、本当は知りたくなかったんだ。今さら、あいつが何を思っていたかを
 知ったからって、なんの役に立つわけじゃない。なのに俺は、あいつの日記
 を読んじまった。バカな話だよ、ホント、読まなきゃよかった。 どうして
 今ごろ、あんなもの俺に……」

 直美がいかに、幸一との時間を大切に思っていたか、
 
 そんなことが当たり前のように綴られている。

 そして同時に、そんなひと時を得ることによって、
 
 さらなる苦しみが訪れていたのを、幸一はその頃まるで知らないでいた。


               *


 94年の春頃から、直美は幸一が帰った後に、

 軽い発作を起こすようになった。

 もちろんそれは、二人が知り合ってまだ日が浅く、

 幸一が病気の深刻さを理解していなかったせいもある。

 だからその頃、順子はしょっちゅう直美に言った。

「そのお友達とやらに、あなたの病気をちゃんと説明しなきゃダメよ!」

 ――ただでさえ、ロクな友達じゃないんでしょうから!

 ――なんなら、わたしから言いましょうか!?

 ついついそんな言葉が出そうになって、

 いつもどうにかこうにか押さえ込んだ。

 一方直美の方は、何を言われても伝えることを頑として拒む。

 そんな表面的なやり取りの他、直美の残した日記には、

 母親の心情にまで及ぶような書き込みも多々あった。

 そしてそれらほとんどを、幸一は日記を読んで初めて知った。

 もちろん幸一との時間についても、そこにはたくさん書かれていたのだ。

 しかしそんな時間をどう感じていたか、

 心の底では何を望み、

 どんなことを嫌っていたのか、

 その頃の彼はあまりに何も考えていなかった。
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