第6章 高尾山 -  2(3)

文字数 1,379文字

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 そんな富士山は、これまで目にした中でも徹底的に一番だ。

 そう思ったままを、幸一が声にしようとした時だった。

 唐突に、場違いな音が聞こえてくるのだ。

 ――拍手? 

 慌てて振り返る彼の目に、なん人もの嬉しそうな顔が次々映った。

 満面の笑みを見せるハイカーたちが、

 明らかに二人に向けて手を叩き、そして自らも喜んでいる。

 当然、すぐに直美も気が付いて、何……? という顔を幸一に向けた。

 しかし幸一とて知るはずもなく、二人はそのまましばし立ち尽くすのだ。

 そうして固まっている二人とは裏腹に、

 そんな拍手は瞬く間にその周りへ広がっていった。

 見ればかなり離れたところでも、嬉しそうに拍手する姿が現れ始める。

 それらは間違いなく、
 呆然と立ち尽くす二人への、心からの温かい拍手だった。

 しかし彼らの大半は、二人の事情など知りはしない。

 それでも、二人はなんらかの事情を抱えていて、

 少年は少女を負ぶってまで頂上を目指し頑張っている。

 年老いた

 ――きっと祖父母くらいに思っていたか?――

 ハイカーにリュックを預け、

 休憩を繰り返しながら諦めることなく登りきった。

 途中多くのハイカーたちが、

 不思議に思いながら二人を追い越したはずなのだ。

 そして頂上にきてからも、彼らのことが心の片隅には残っていて……、

 ――やっときた! 

 ――さっきのあの二人だよ!

 再び二人を目にした時、きっとそんなふうに感じたはずだ。

 そうして誰かが手を叩き、思わず祝福を表現する。

 するとそばにいたハイカーも、

 手にしていた握り飯やビールをかたわらに置き、

 進んでその誰かに見習った。

 もちろんその最初とは、二人のリュックを手にした老人たちだ。

 しばらくして拍手が大方収まると、彼らは二人に近付いてきて、

「おめでとう……念願叶って、本当に、良かったね」

 そんな感じを口々言って、抱えていたリュックを二人に向けて差し出した。

 そんな彼らの惜しみない拍手も、

 やはり二人に向けてのものに違いなかった。

 しかし直美にしてみれば、幸一への賛辞以外の何物でもない。

 ――ありがとう、ございます……。

 だから素直にそう思え、

 隣で困った顔を見せる幸一を心の底から誇らしく思った。

 そして拍手こそほとんど収まっていたが、

 まだまだたくさんのハイカーたちが二人のことを見つめている。

 そんな彼らへ、直美がいきなり頭を下げた。

 そうする直美を前にして、幸一も慌ててそれに習った。

 するとそんな二人に、止み掛けていた拍手がまたあちこちで鳴り響く。

「やっぱ俺、ちょっと恥ずかしい」

 それは、頭を下げたままでの声だった。

「参った……今すぐここから逃げ出したいよ」

 顔を上げ、そう言って頭を掻いた幸一に、

 直美もゆっくり顔を上げ、さも楽しそうに言ったのだった。

「でも、幸一くんは、逃げ出さないでしょ?」

 その顔は嬉しさに溢れ、それでいてどこか悪戯っぽい印象がある。

「そう言えば、なんで一緒に居てくれるのか……わたしまだ、ちゃんと答えを
 聞いてなかったね?」
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