第1章 同級生 -     7

文字数 2,606文字

                 7 


 真冬の夜、凍えるような寒さを思い知ったのは、

 もしかするとここ数年のことなのかも知れない。

 今は帰宅が深夜になることが多いから、

 真冬ともなれば凍えそうな寒さを日々経験している。

 今朝も真夏のように暑かったくせに、

 今はもう、半袖でいることを後悔する気温になっていた。

 残業は苦にならないが、

 深夜の冷え込みだけはどうにも慣れることができないでいる。

 今夜も会社を出る時、
 いつものように最終退出者としてセキュリティシステムを作動させた。

 美津子よりたくさんの部下を抱えている部長職でも、

 夜九時頃にはさっさといなくなる。

 それでも彼女は、その後も黙々と仕事を続けた。

 最近ではお偉いさんがいなくなった後、

 簡単な店屋物で夕食まで済ませてしまう。

「美津子は朝から晩まで働いてるんだから、夕飯はこっちで適当に済ませる
 よ」

 ある日幸喜がそう言ってから、

 美津子は日曜日の夕食でさえ作らなくなった。

 一方幸喜は会社を辞めて、それまでの生活サイクルを一新させた。

 朝早く起きてのジョギングから、何を食べると身体にいいだの悪いだのと、

 ずいぶん健康を気にするようになる。

 そのせいかここ最近、彼は夜の十時頃には寝床に就いた。

 だから普通なら、このような時刻には高いびきのはずなのだ。

 ――どうして、まだ起きてるの……? 

 いつもの角を曲って、そんな驚きに美津子は思わず立ち止まった。

 すでに、午前零時を回っている。

 こんな時間いつもなら、玄関灯以外は真っ暗のはずだった。

 ところがリビングには明かりが点いて、

 ソファに座る幸喜の姿までがカーテン越しに薄っすら見える。

 何か、あったの? 

 などと思いながら、美津子はただいまも告げずにリビングに向かった。

 そうしてソファに座る幸喜の背中に、

 さっきの驚きをほんの少しだけ表現する。

「あら、ずいぶん珍しいわね、こんな時間に起きてるなんて……」

 ソファのずいぶん手前で立ち止まり、美津子は背中を見つめてそう言った。

 ところがいくら待っても反応がない。

 寝てるのかしら? 

 と、そんなことを思った時ふと、

 ダイニングテーブルに置かれたものに気が付いた。

 それはこの九年間、毎年目にしてきた小学校の卒業アルバム。

 第23期 砧中央小学校 卒業記念。

 少しだけ薄くなったそんな文字が、ふと視界の隅に入り込んだ。

 もちろん、美津子も同じものを持っている。

 しかし見るからにそれは幸喜のもので、

 毎年の同期会で活躍した結果、かなりくたびれた感じになっていた。

 ――なんで、こんなところに? 

 そんなことを思った途端だ。

 いきなり幸喜が何か言った。

 しかしはっきり聞き取れず、美津子は慌てて顔を上げる。

 すると再び、今度はしっかり彼の言葉が届くのだ。

「矢野直美って、美津子は思えてる?」

 彼は知らぬ間に立っていて、まっすぐ美津子を見つめている。

 ――やの、なおみ? それって誰よ……知らないわ、そんな人…… 

「今日、由子と会ったんだ」

 浮かんだ言葉を発する前に、幸喜がそんな報告を口にした。

「実はさ、俺の方も、ぜんぶ思い出せてるわけじゃないんだけど……」

 彼はそんな前置きをして、
 
 由子から聞いた話を美津子に話していったのだ。

「この話って、本当のことなのかな? 美津子はさ、こんなことあったって覚
 えてる?」

 かなりはしょった感じだが、それなりに大事なところはしっかり伝えた。

 ――わたしが……? その子をイジメてたって……? 
 
 名前を聞いた時はわからなかったが、

 こうなって思えばクラスにそんな子がいたような気もする。

 だからと言って、幸喜の言うようなことがあるはずがない。

「それって、本当に由子が言ってたの?」

 睨み付けるようにして、美津子は幸喜からの答えを待った。

 するとほんの少しだけ顎を引き、幸喜はコクンと頷いて見せる。

「それで、どうして急に、そんなこと言い出したんだって?」

 そう尋ねてみるのだが、幸喜は視線を外して答えようとはしなかった。

 ――わたしはね、あなたと違って疲れてるのよ。 
 
 そんな心の声を押し殺し、美津子は溜息混じりに声にした。

「きっと由子の勘違いよ。今頃になって、何言ってるのかしら、あの人った
 ら……」
 
 それだけ言って、さっさとリビングから出ていってしまった。

 ――まったく! 言い始めたのなら、最後までしっかり話しなさいよ! 

 湯船に浸かりながら、幸喜への苛立ちを思いつつ、

 ――わたしがその子をイジメてたなんて、
   今さら、どうして言ってくるのよ? 

 いくら考えようと由子の気持ちがわからない。

 さらにその〝なおみ〟とは、

 そんな過去があったせいで同期会にも出てこれない? 

 そんなことあるはずがないと、美津子は速攻決めつけた。

 一方リビングに残された幸喜の方は、

 くたびれた卒業アルバムに再び目をやっていた。

 さっきから何度眺めても、集合写真に矢野直美は見当たらない。

 しかしそこから何頁かめくっていくと、

 何枚かの写真にそれらしき姿が見つかった。

 そんな中で唯一、キチンと正面から写っているのがクラブ活動の写真一枚。

 彼女は図書倶楽部の一員として、

 小学生とは思えぬ大人っぽい顔付きで写っていた。

 これまでも、同期会で嫌というほど眺めてきたはずなのに、

 誰もこの少女のことを口にしたものはいなかった。

 ――それでも、俺は確かに、彼女と話をしたことがある……。

 それも一度や二度ではきっとない。

 ざっくりした記憶だが、

 少女の写真を見つめるうちにそう思えるようになったのだ。

 ――君はいったい、どこに消えちゃったんだ?
 
 美しいその顔に、多少なりとも魅せられたということもある。

 しかしそう思う一番の理由は、

 由子の残した謎めいた呟きのせいだ。

 ――あれって絶対……転校じゃなかった……。 


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