第8章 直美の日記 -  2 

文字数 1,813文字

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「俺だって同じだった。俺だって会いたかったって、確か、そんなことばかり
 考えてたと思う。でもさ、運転の方は、ちゃんとしてたと思うんだ。前を走
 っていた車の車種だって覚えてるし、ただ、急にね……」

 そこで難しい顔になり、彼は急に視線をあらぬ方へ向けた。 

「どうしても、声が消えなかったんだ。そんなの、実際に聞いたわけでもない
 のに、逢いたい逢いたいって、あの子の声が聞こえ続けて……」

 気が付くと、目の前から道路が消え失せている。
 
 パーキングへ逸れる道と本線との間、

 まさにコンクリートの塊目指して突っ込む寸前だった。

「慌ててハンドルを右に切って、ブレーキを踏み込んだと思う。それでなんと
 か、正面衝突だけは、避けられたって感じだろうな……」

 頭をぐるぐる包帯で巻かれ、顔の至る所に絆創膏を貼られている割には、

 幸一の口調はそれほどいつもと変わらない。

 ただ彼には一つだけ、言葉にできない記憶があった。

「幸一! 危ない!」 

 いきなり声が響いて、彼は咄嗟にハンドルを切った。

 もしもその時、そんな声が響かなければ、

 そのまま真正面から突っ込んでいたはずだ。

 もちろん夢などでは絶対ない。

 確かに耳元で声を聞いたと、自信を持って断言できた。

 それではあれは、誰の……声だったのか? 

「幸一! 危ない!」

 と声にできる人物は、そんなに多くは存在しない。

 そしてそれは、決して「幸一くん! 危ない!」ではなかったのだから。

「とにかく、この事故は自殺なんかじゃないよ。二十年も前のことなんだか
 ら、いくらなんでも、それはないから……」

 そう静かに告げる幸一の声に、

 彼の口調そのまま、向井幸喜が言葉を続けた。

「と、同時に、おまえは同性愛者じゃなかったと……」

「当たり前だ! 俺をさんざん、男色呼ばわりしやがって」

 そんな嘆きの声に、由子がサッと割って入った。

「でもさあ、ってことはね、大恋愛の末の独身ってことなんでしょう……なん
 か、それはそれですごくない?」

「おいおい……すごかなんかないって、結婚しなかったのは、昔のこととは関
 係ないよ、でもまあさ、実際今回のことで考えたんだけど、この先ずっと一
 人身っていうのは、やっぱりかなり厳しいかなってね、痛感したよ」

 そう言う彼は今日一日、由子の世話になりっぱなしだった。

 両親それぞれの遠縁が、北海道にいるにはいたが、

 幸一が懇意にしていた世代は他界している。

 かと言って病院のナースにも頼めずに、

 彼は由子の好意すべてにどっぷり甘えた。

「そんなわけで、由子にもいろいろと世話になっちゃったし……」

「あら、どうせなら、わたしとこのままくっ付いちゃう?」

「おいおい、そんなこと言って、もしそんなことになったら、彼女が化けて出
 てくるかも知れないぜ? それでも由子、結婚する勇気があるのかい?」

 少し笑顔を見せた幸一に、由子がすかさずジョークで返した。
 
 ところが続いた幸喜の声に、幸一は急に笑顔を消し去る。
 
 それからすぐに、大真面目な顔して言ったのだった。

「結婚するとかしないとか、そんなのは別としてだけど、もしそうなったら、
 俺は実際に嬉しいと思う。俺は心の底から、直美に現れて欲しいって考える
 と思うよ。例えそれが、恐ろしい幽霊であったとしても……」

 そんなことをポツリと呟き、再びニコッと笑顔を見せた。

 由子が警察から持ち帰った中には、直美の日記帳もしっかりあった。
 
 みんながやってくる少し前、

 四つ目の日記を手に取っていて、彼は初めて知ったのだ。

 95年に書かれた日記帳の最後の最後、

 裏表紙の裏側に、幸一への言葉が書き込まれていることを。

 ――幸一くん、あなたはわたしにとって、

 ――幸せのサンタクロースそのものでした。

 そんな書き出しで始まって、
 
 彼からもらったプレゼントへの感謝と、彼女の願いが綴られている。

 そんなのを読んで、幸一は強く思ったのだった。

 直美へのプレゼントなんてもの以上に、
 
 直美の方からたくさんのものを与えられていたと……。

 だから幽霊であろうとなんであろうともう一度会って、

 直美にしっかりそうであったと伝えたい。

 ――わたしにはきっと、なんのお返しもすることができない。 
 
 そう書き込んでいた直美へ、

 ――僕は君から、すでになん倍ものお返しをもらっているんだよ。

 と、教えてやりたいと強く思った。
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