11. Restricted Pattern 愛がない...。

文字数 7,158文字

  ある時、父がボクに言った。『助けてくれよ』と。ボクは悲痛な思いで「助けているやん!」と返していた。思わぬ気弱さを見せてしまったことへの失念、そして息子が会社の為を思って頑張っていることを改めて察した父は、いつもの傲慢にして誇り高き存在にすぐ立ち戻っていた...。


  Re: 苦悩の傾向

  なんなんだろうか...この多く備えられてた苦悩のパターンは?...。立場が挙げられる間際に、最終足元を掬(すく)われてれてしまう。会社を食いものにせんとする輩(やから)との関係も、もうあれで最後かと思えば今度は妹の登場だ。これなんか良い例。また、頼りになる存在、信頼に足り得る人間が登場してきても、しばらくすれば、いつ間にやら退場をされてしまっている。中には仇なす存在へと変質されてしまった方もいた。また同好の士と思い、慕い寄ってみればやがては否定される。さらには侮辱にも等しい扱いをされてしまう。これはネット上でGにおける専門家との間で実際あったこと。失望、落胆、絶望を味わうべくドラマは多々用意されていく...。良いことは、本当に一つとしてなかった。とどのつまりは『謙遜』に身をおいて、それに染まること、『主をおいてしか、すがることのできる存在は一つとしてありはしない』を骨身にしみて思い知らされる状況であったにつきる。これらは、「ボクの意思でそうあった」では決してないことを強調しておく。本当に無力であったが故にだけ...。当然に、ただ悪戯に立ちすくみ惚けること、投げ出すこと、荒むことは、絶対に状況が許しはしなかった。「祈り」は切羽詰まった救われたいとの思いでギュウギュウだった...。


  Re: 父の幼友達、AさんとBさん。

  父には小学校から付き合いの友達が二人いた。当然に昭和9年生まれ。父が本当に親しく付き合っていたのはこの御二方だけだったように思う。Aさんは金融系の会社で最終役職となり円満に定年退職されていた。もうお一人はハンコ屋さんを自営されているとのことだった。共にやはり一味違った存在だった。Aさんは新幹線の乗降口で、ホームと車両との間で両足を踏ん張り列車の発車を阻止されたことがおありとのことだった。お孫さんが、乗降客で混み合うホームで見失われたことが原因だったそうだ。車掌や駅員がどんなに『どきなさい』と圧力をかけようが断固として譲らなかったそうだ。さも当然。どこに問題があるというのだ?と言わんばかりの平坦な語り口だった。Bさんは少年野球団を率いて全国を回ったことがあるとのことで、周りがこの話をすると、えらく誇らしくされていたのが印象に残る。大変人情味味とご苦労の多い人生を歩まれたであろう雰囲気が、その存在からはにじみ出ていた。Bさんにはボクら夫婦の仲人をしていただいた。

  お二人の登場は父亡き後である。お二人は影に日向に会社に関与をされることとなった。金融畑出身の方は取締役として入社もされる。母としても昔から見知った方々なので頼りに思ったのだろう。ボクにとっては急に現れてこられた人間ではあったが、親身に関係を持とうとされたこと、父の起こした会社の行く末を心から心配を寄せてくださる様に、とても安心感と頼もしさをを覚えたものだ。しかし、お二人の関与は長くは続かなかった。母に強くものを言ったことが災いしてしまった。いつの間にやら消息は絶えていた。何があったのかは知らない。ついでに、あの船越さんなる市大関係で知り合った方の顛末も...。母の采配のあり方に疑念を持たれ、やがてはご自身から身を引かれてしまった。これも詳細は知らされてはいない。

  自宅待機の期間、ボクはお二人の飲み会に誘われることがあった。米ちゃんの采配だった。行ってからびっくりしたのは、Aさんのボクに対する様子だった。まるで忌まわしき存在を相手にするがごときの忌避感が伝わってきたからだった。おそらくは坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのご心境だったのだろう。最初、関東のとある駅でお会いした時、あれ程までに親愛の情を見せてくれたのに、かくも隔たりのあるご様子に変わられていることにはショックを受けた。それなりに穏便なるマナーで場は整えられていたが、伝わるものは伝わる。Aさんも別段そう受け取られても構わんぐらいの気持ちだったのだと思う。父と同じく誇り高い方だった。また定年後に改めて役職付きで、高い収入も期待されていた矢先、これを無碍に取り壊されたことにも怒りの原因はあったのだろう...。


  Re: Gの専門家たち、男性と女性。

  時間を持て余す中、とあるSNSのスレにG関係を見つける。管理者は、なんとなくかなりの権威者っぽい。お一人なんか○○が住まいのベースということなので興味深々だった。基本、日本におけるGへの関心は盛り上がらない。人格論としてのエニアグラムも沈静化してるように見える。だから貴重に思えたのだ。先逹の方から学べる機会として大いに期待するものがあった。

  ところが、いざネットへの書き込みをしてみると相手の反応がおかしなことになっていく。まだ、様子伺いのジャブ程度の発信しかしてないのに、見る間に、こちらは批判的な扱いになっていった。例えば、”G”なる表記自体が失礼に当たるので止めるようにとの注意を受けた。なるほど尊称としてのフル表記が礼儀なのかもしれない。また、おいそれとは決め付けられないことをボクに関していきなり書き込みされてくる。それが正しいか間違いかは問題ではない。公開スレッドで申し渡すべきではないものがそこにはあった。管理者としての責任感から排除を思われたのだろう。

  もう一方も同じような展開だった。最初はウエルカム。しかし、こちらとしての考えを提示する中で拒否反応が起きてきてしまったようだ。やがては、『なんて機械的な奴隷状態にあなたはいるの!』との糾弾とも取れる言葉までもが返されてくる始末だった。さっさと離脱した。


追記:

「立場が一段挙げられそうな予兆の後で、これが無残に砕かれる」は、パターンとして以後なんども繰り返される。また、『賽の河原の石積み』は今生の話でもある。ことは中途で崩される。終わりなく、地べたを這いずり回されることとなる...。

ボクが立場を取り戻すことに期待をかける人は多々いた。しかし実家の内情を知るに及び、見切りを速やかにつけられてた。みんさんとても優秀な方々でした。

Gと並び、マザーの言葉をあげると、「比較できる存在ではない」とバッサリ切られた。

影響力の話で、奥さんに「吸い物」のセッティングは左方にして欲しいと言ったが、彼女は作法の通り右方に置き続ける。このことが悲しいと言っただけ。

面白いのは両専門家には腰巾着が一人つく。熱烈なサポーターとやらだ。ボクから見ると彼はさしたる理解はしていない存在なのだが、二人はとても仲良くやっている。


いいんだ...これで。八方塞がり。
一人として、一つとして救いがない状況が備えれれていただけ。
世界には『愛』ある存在がいない。

アーメン。


抜粋: The Imitation of C., Chap.2

  Re: Of Having a Humble Opinion about Yourself.

  Everyone naturally wishes to have knowledge, but what good is great learning unless it is accompanied by a feeling deep awe and profound reverence toward God?
人が知識を追い求めるのは自然なことだ。しかし神への心の底からの畏敬の念、また深き尊敬の思いが伴わないのなら、その高尚なる学びになんの価値があるというのだろう?
Indeed, a humble farmer who serves God is better than a profound philosopher, who neglecting himself, contemplates the course of the havens.
じっさい神への信仰に実直に厚く、慎ましやかに日々を生きる農夫の方が、天にある星々の運行を観察し、その意味を読み解くことに血道をあげる自称「深遠なる哲学者」よりも優れた存在と見なされる。彼はそが故に、自身の助かりを放棄してしまっているも同然なのだ。
The person who truly knows himself seems common in his own eyes, and the good things that others may say about him do not change the way he thinks about himself.
自分を本当に知るものであれは、彼自身が...、ただの平々凡々、なんら特別なところなどまったくない存在であることがはっきり解っている。仮に、誰かが彼に賞賛や評価を送ったとしても、彼の自己評価になんら影響することはない。
If I knew everything in the world and did not have love, that good would it do me before God, who will judge me by what I have done?
もし世界についてのすべてを知っていても、愛を持たない人間ならば、神の御前にて、それがなんの役に立つというのだろうか? 私の『行い』において裁きは下される…。

 Calm that excessive thirst for knowledge, for there is great discord and deception in it.
過度の知識への飢えを覚えるなら、それを静めなさい。それは、あなた自身の内に大いなる矛盾と欺瞞が潜んでいることを表すが故に…。
People who have great learning are often eager to appear wise, and they often wish others to recognize them as wise people.
学ぶことに大いに精をだした人々は、(後に)しばしば ”権威” と思われたいという欲望に憑かれます。周りの人々に ”賢い” と認められることを切望してしまう。
There are many things that you can know about, though, that are of little or no use to the soul, and a person is exceedingly foolish who reaches for anything that does not lead toward salvation.
ここに、あなたがしっかり理解しておくべきことがあります。そのことへの努力がいかに大きくとも、彼の魂の為には、少ししか..いやまったく、なんの役にも立たないのです。自身の”魂の救済”に一切つながらないことに精一杯努力するとは、なんと愚かで無意味なことでしょうか?…。
Endless reading and talk do not satisfy the soul, but a good life puts the mind at rest, and a clear conscience brings great confidence in God.
終わりなき知識の吸収と堆積、そして空の器から空の器へと注ぐが如きの会話…。これらがあなたの魂を満足させることは決してない。むしろ…善良な..純朴なる生活こそが心に安らぎを与えてくれる。真っ当な見識こそが、神への大いなる信頼をもたらすことになる。
The more you know and the better you know it, the greater is your responsibility for using your knowledge wisely.
さらに知るならば、さらに理解を深めるならば、あなたの責任は、いよいよ、さらに重くなることを心に覚えておきなさい。それらを『相応しく『賢く『人を生かずべく使わねばならない…。

  So, do not think highly of yourself because of what you know about any art or science, but rather respect the knowledge that has been entrusted to you.
よって、いかにお前の知り得たことがとが芸術的(深淵なる)もしくは科学的(実際的)であっても、故にプライド高くあってはならない。むしろ、お前に委ねられたその知識そのものを敬うよう心に努めなさい。
If it seems to you that you know many things and that you are an expert in them, recognize nevertheless that there are many things that you do not know.
もし自分が多くのことを知る、その道での専門家であると思うのなら、そうであるにも関わらず、自分には未だ知り得てていないことが多々あるであろうことを弁えておけ。
Do not be high-minded, but admit your great ignorance.
気位の高い人間になってはいけない。むしろ未だ無知なることが多いことを認めよ!
Why do you wish to think yourself better than others when you discover many people more learned and more practiced in God's ways than you are?
なぜお前は、他の人達より優れていると思いたがるのか?多くの人々が、神の導きのもとで、お前よりも、さらに学び、さらに自練を重ねているとするならば!?
If you want to learn something that will really help you, learn to see yourself as God sees you and not, as you see yourself in the distorted mirror of your own self importance.
もし、お前自身を真実助けるものについて学びたいならば、お前自身を神がご覧になられるが如くに見れるようになりなさい。今は『歪んだ鏡』で自己を見ているに過ぎない。その歪みの原因は、お前の 臆見、自尊心、プライド、自己愛、優越感と呼ばれるものたちだ。
This is the greatest and most useful lesson we can learn: to know ourselves for what we truly are, to admit freely our weaknesses and filings, and to hold a humble opinion of ourselves because of them.
ここに最も偉大にして、何よりも役立つ、全人類にとっての学びがある。
私たち自身が本当は、どんな「有様」なのか?…我々人類の ”その弱さ”を、そして ”その屑さ加減”を認めることだ。そしてこれらが事実であるが故に、自己に対する謙虚な認識(取るに足らぬ存在)に立ち帰り、片時も忘れず心にとめるようにすることである。
Not to dwell on ourselves and always to think well and highly of others is great wisdom and perfection.
自身の事柄にばかりに関わててはいけない。いつも他者への配慮や思いやりを忘れないように。それらに知恵を用い、熟達の技としてあなたの行為が行われるよう心がけなさい。

  If you should see another person sin openly or commit some grave wrong, still you should not think yourself a better person by comparison, for you do not know how long you may remain in a good state. We are all frail, but think no one more frail than yourself.
*ここは、前に訳を一回してるので略。

正直言えば、この書は祭司たちを教育するためのテキストだった訳なんだが…。
ちいと厳しすぎるよね。
今回は丸ごとワンチャプ(意訳:byME)でした(冷汗)。
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