☆.The Prayer 公述補助

文字数 3,500文字

『天にまします我らが父よ、願わくは御名の尊ばれんことを 』
『御国の来たらんことを
』
『御旨の天に行われるが如く、地にも行われんことを
』
『我らに日用の糧を、今日も我らに与え給へ
』
『我らが人に許すが如く、我らの罪を許し給へ』

『我らを試みに引きい入れたまわざれ
』
『我らを惡より救い給へ 』
『アーメン』


祈ることの実際においても少し語っておきます…。これ老婆心としてです。
あくまでもご参考までとして。一個人による独善的なやり方でしかないから。

自分は、記憶/連想/想像力を利用する。敢えて積極的に。あざといまでに…。
それらを「梃子」として感情を掻き立てることに使う。
また手を組む、ひざまづく等により肉体への意識を呼び起こす。
その姿勢が形作る心理状態を有効活用する。

まず、繰り返すことは試行錯誤である。毎度毎度、いろんな工夫をするべきである。
やがてに自己にとって有効な、しっくりくる形が出来上がってくる。
トーカーお得意の析出である。ここでもデータの蓄積が必要で且つ重要になる。

ポイントは三つのセンターを一つに束ね、一極に集中させていくこと。
バラバラにある者たちを祈る行為において一体化させる。
リードは頭。感情と肉体を後追いで参加させてゆく。
その日の状態によってアプローチは色々と変わってくる。
だから、助走を含めて4回がワンセットになる。

最初に、頭(知性)は感情と肉体の所在/状態を感覚で、しっかり確認しとく。
祈りの目的に向けて、これらの参与を仕向ける。

強制しないと、工夫しないとそっぽ向かれ、下手すれば頭だけの繰り言に
堕ちてしまう。*実際はこれは運動センターが行う。
お互いに作用しあう/混ざり込む/調和するように統制を行う。
そして終局、全てが一体化/一本化して『願っている』状態になるよう努力する。


先に、各祈りの言葉に対して意味付けがなされていなければならない。
文言においての「理解」とか「ビジョン」が根付いてなくてはならない。
それらは毎回、簡単に呼び起こせるようユニット化されとかなければならない。
記憶なる言葉の意味はこれ。


実際をみていこう…


『天にまします我らが父よ、』

『父よ』は良い言葉だ。とてもありがたい台詞。親しみやすく距離を縮めてくれる。
神は、あらゆる「父親」なるものの「総体」もしくは「象徴」とされる。

ご自身の父上を思い起こす必要がある。もしくは自身なら父親の立場として
子らにどんな思いで接するだろか?。厳しいだろうね。これが「土台」。

彼があなたに対して、どんなマナーで接した(する)にせよ、その行いは愛すれば
こそでしかなかった。幸あれと良かれと思ひして願ひすればこそ。
独善的にして滅茶苦茶だったかもしれないが…。

良かれ悪しかれ、上手下手は、実はどうでも良いことなのだ。
子として、その伏せられた、隠された「真実なる思い」をよっく味わって、
心の反映そのままを素直に呼びかけに使うのがいい。

『御名の』

名たるものはあるが決して口に出してはならない。
唱者においても意識内にて伏せられる。
返って実体を感覚で捉えて、それに向けてこの文言は送り出しをする。

『尊ばれんことを』

褒め称え、崇め讃えられんは、何処で、誰によって?。
全宇宙規模において。命ある、息する、全ての存在たちによって。

高さ/深さ/広さは、個人的な想像力の限界をもってする。
無限大、それさえも越えてを目指してイメージ造りに努力する。
最初の感情爆発となる。

だから「澄み切った夜空に星々がごっそりと集い瞬いている」とか、
「雲一つない晴天」は見知っておかなければならないのだ。
これらが想像力を働かせるための土台/材料になるから。
日々に空を見上げておきましょう。

『御国の来らんことを』

御国が来ることは、この世が終わることを意味する。
だからここの文言が一番辛い。なぜって、後に続く子供らがいるから。
彼らの面倒をもみて下さるよう別途お願いする必要がある。
この許に、御国なるものの到来を本心から祈念する。

今現実にあること、起こっていることのシビアな認識が必要になる。
やがてには、碌でもないことになるのは間違いのないことかも?…。
ある種の絶望感があってこそ人は初めて新世界の到来を求めることができる?…。
渾身の関わり合いが現実になされ、その結果としてこの世の実体が認識される?…。

それは神が約束した新たなる世界。ルーラーは、あの『イエス』とのこと!。

『御旨の天に行われるが如く、地にも行われんことを』

天上は地上とは違っている。
中央と辺境は違っている。(酷い例えだけど、都会と田舎でもいいかも?)

ここ(地上)は、まだパラダイスでは全くない。寧ろ苦しみ多くある
のが当たり前の所。思い通りにゆくことなど何一つとしてない。

御旨の反映は、あくまで法則の元、機械的/自動的に進行しているだけ。
地球は宇宙の階層性から言えば、僻地も良いとこ。雑なの。

但し、真実の祈りの声に対しては、階層性を突き破って神は参入もされる。
これが本当の奇跡と呼ばれるもの。これを望む、求めるが祈り。

天界で振舞われている力の全貌を思い感情爆発。
それが地上に自己を中継として降りてくる。
広がり包んでくれるを想像する。


『日用の糧を今日も与え給え』

公述で述べました通り、食いもんの話だけではない。
生きるにおける<糧>たるのを求める祈り。

日々に何か受けたと思えることがあったれば感謝するのが当然。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
思い起こして、感謝して、新たに本日もを乞うて求める。

誰かの「生かしてくださってありがとう」とはちよっとニュアンスが違う。
もっと親密にしてダイナミックな広い意味合いで個人的には祈っている。
そのお返しに頑張りますからが隠された意として添えられている。

『人に許すが如く、許し給え』

自責の念で一杯だ。
御免なさいの詫びが祈りの内容になってしもとる。同じパターンが延々といつまでも、
どこへ行っても繰り返される。用意される。どこ行ってもコンビニのフロントに嫌いな
女がいるの。釣銭を投げてよこしやがる。卒業できんのだろうか?。

『試みに引きい入れたまわざれ』

ヨブ記とか先に読んどいてね。そんで訳分かんなくても、これ真剣に祈っておいた
ほうがいいよ。「堪忍しておくんなはれー!」って。まず保たないから。
私の真剣度具合なんか、もう魂の叫びクラスのものになっている。
「もう絶対に勘弁しておくんなはれー」って。

『惡より救い給え』

これは先ず抽象的な悪意ある存在が間違いなく存在していることを声明しておく。
これらも超越的な存在なので人間では手も足も出ない。
主に守りをお願いするしかない。

色々と思い起こされる内容はあるのだが、簡単なのだけに留めておこう…。

交通事故を誘うべくの状況が整えられるが「よく」ある。
見事なタイミングで、人や、車や、バイクや、トラックが飛び出してくる。
あわや接触/衝突かで、辛うじて免れている。悪意ある存在の関与としか
思いようがない。ヒトたちは、みんなよりにもよっての顔触れである…。

これも経験や直感理解が必要なのかもしれない。

『アーメン』

でも、所詮はすべて!、貴方のお考えに委ねます。
何故なら、私は貴方を知っておりますから。
私は貴方のものです。



『我ら』

個人的には「I/Me」でもって祈るのが二箇所ある。
他は全部「We/Our」。

群として祈りがあるので、他の方々の存在を思い起こす必要がある。
これも想像力が要ります。




まとめ:

祈りは自分独自のやり方でなくてはならない。

にしかならない。

繰り返しの中で、祈りそのものも成長する。


日々の内容、経験をしっかり捕まえ理解しとく。
これらを祈りの行為の中に持ち込む。

ゆっくり、じっくり、丁寧に。

可能であれば、身裂けんがばかりの渾身の力でっ!。

天に届けとばかりに放射を放つ。精神と、肉体のもの、感情のものを。

基調は『喜び』と『感謝』と『絶望』。

その存在は確実におられる。

貴方の『父』として…。


<終>


追記: 一番大切なことが抜けた。
    声をしっかり出して行った方がいい。
    心中のみにおいても、声なき声をしっかりとだす。









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