7. As you wish  難儀事。

文字数 2,650文字

「悪い人など一人もいない。皆、自分が正しいと思うことをやっているだけ。 そして誰が正しいか、などは誰が言えようか?...」。

  母としては長年、父によるこれ迄の経営、そして古参の社員のあり様に大層不満を募らせてきていた。重しが取れ、やっと社長業を名実ともに自分の好きなように行えることとなった。堰を切ったように、女性特有の激しい感情と持ち前の意地の悪い介入があちらこちらで行われていった。各事業部は、長く個人商店としてやってきていた。ある意味、事業の私物化の横行が実態でもあった。父が技術畑であったればこそ、ある程度の制御も叶っていた。しかし、ことの上っ面だけで、色々と意見をしてくる母が相手となれば幹部としては折り合いがつく訳が無い。何よりプライドと意地の技術屋さんたちである。結果、新社長体制になり幹部のほとんどが辞められる。また、退職を余儀なくされていってた。

  ボクは「自分にはできないことを彼女が行ってくれている」と、この変遷を眺めていた。自分が行うならば精々、大層な退職金を積んで、拝んで、去って頂く事しかできないであろう。仕事で注意するべき最重要なことは「人の恨みを買う様なことは絶対にしてはいけない」である。皆、どんな了見であろうと人生を賭けて頑張ってきているのだから...。

  営業と技術が各事業で一体であったが、これが技術と営業に二分されることとなった。となると、これらを統括管理する人間が必要となる。これを母は社外に求めた。不思議なもので「やります」と応募に答える人間には不足しなかった。四、五名は採用したと思う。「松○出身です」と申告する方が2名はいた。山ほど子会社孫会社があるのに、母は感動して採用していた。技術には京○卒の方が入る。営業、管理にも新規で何人かを採用している。この機会に、ボクは「ルーチン」に落ちている自分の仕事の殆どを自発的に新しい人に移管した。そして、まだこれからもケアをしていかねばならない新規事案だけを手元に残す。新規事業開拓室なる部署にて、部下2名と活動していく。補記:直感として、この部署はいつ何時解消されてもおかしくないといった漠たる不安感を持っていた。すべては、ボクのあずかり知らぬかたちで進められていっていた。

  先のエピソードで『船越さん』なる父と旧知の間柄であった方が顧問として在籍してくださっていることを話している。あの船越さんの古くからのご友人に、元D○Cの研究に在籍されていた方がいた。話の流れからボクは、この方が当社に来ていただけないものかと思ってしまう。そして直接お会いして、とても人柄を気に入った。ご高齢ではあったが、かっての専門内容が当社には、まったく抜け落ちている領域のものであったことから真剣に勧誘を行い、顧問として入社いただけることとなる。

  さて、概要はこんなところなのだが、だいぶ詳細は省いてしまっている。今回のエピで表したいのは、こんな状況において起こってきたドラマなのです。よくないこととしてのドラマ。箇条書きでいきます。

  海綿体の技術部の三十代後半の人間が、どうやって伝手を伝ったものか、中国で同じ技術で製造販売を始めてしまう。彼は元々、行動が怪しいとの噂はあった。

  長く付き合いをしてきていた商社、岸○○業が事業の多角化の目的で、ウチの元工場長を引き抜き同製品の製造販売を始める。

  辞められた技術部長さんが、かっての下請け会社に移籍された。(ボクは、この方の持株を買い取っている)。そこで、とある製品における特許申請を行い査定を取られてしまう。長く製造販売を行ってきているものにおいてである。事後、展示会で、そこの社員の方々が糾弾(嫌がらせ)をするべく当社ブースに大勢来られることがあった。ボクもそこに居た。まるで○○○みたいな有様だった。

  ボクはスイス経由でアメリカのゼロックスから大きな引き合いを受けていた。すると別ルートから同じ引き合いが技術部に届く。新たに入社していた、偉い肩書きのおじさんとボクの意地の張り合が起こる。早いもの優先がルールなハズなんだけどね...。

  ボクが技術に船越さんの紹介で人を入れることを、母は気に入らなかった。「出しゃばった真似」に映ったのだろう。丁度、この方の紹介のタイミングは年末であった。それも社内での忘年会になってしまう。その場には、母も新たに着任されていた技術部長さんもいた。ひとしきり母の不快感からの物言いを、皆の前でボクは聞かされてしまう。常日頃は会議室に使われている広い部屋に、この方と二人して隅の方で寂しく留まる羽目となった。他の社員は遠巻きに離れて素知らぬ顔をしていた。顧問となって下さった方は、本当に人間ができた方であった。ありがとうございました。
追記:この顧問のお陰で、脱溶剤におけるブレークスルーが後に技術では達成される。その時節になってから母は、この方への契約金が少な過ぎると、これをボクの非常識として非難している。彼の方が浮かばれたのは良いことであった。

  世界の表れは千変万化する。とりあえず、ボクは不安感で一杯であった。いつもの如く、社長たる母の行いは素人じみているとしか思えなかったのだから。また、新たに会社に入ってきた人達と、確たる信頼関係が結べなかったことにもよる。

  あれで良かったのだろう...。ボクが安心しないように、眠りに落ち込まないように、絶えず危機感の中で奮闘することが望まれていたのだと思う。実際、新たに採用する場合には糟谷先生の易占も踏まえていたはずだ。天の描く筋書き通りにことは進んで行っていただけなのだ...。


追記:

聖書の中に、お金持ちが一番天国に入りずらいとの話がある。その難しさの喩えは『駱駝が針の穴を通るぐらいに』とのことである。要は不可能だと言っているに等しいではないか...。この話のキッカケになった若者は、イエスの価値を認め、倣うことを願った人だった。人間として、いい人に決まっている。なのに彼を突き放し、見捨てるような形でエピソードは終えられている。

何故なのだろうか?。

執着するもの、気にかけるものが多過ぎるからなのだと思う。
そういった意味では、これ故にボクは大いなる苦しみを味わうべく状況は設えられていく。会社を守るべく、精一杯、ボクは頑張ってはいたと思う。
そして、それはそれで良かったのだと思う。

  
 
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