1. The World II 七つの時。

文字数 3,723文字

御使の一人、天より下りきて、声高らかに、叫ぶが如くにして宣った。

『この木は切り倒せ。その葉を揺り落とせ。そのなる実はすべて打ち散らせよ。
 その木の下に憩う獣達はすべて追い払え。鳥達は枝より飛び去らしめよ。

 しかして、その木の根株は活かしたまま地に据えよ。
 これを鉄と青銅の鎖をもって縛り、野の草の中に捨ておけ。
 天の露に濡れしめさせよ。荒地の野草の中にて野獣とその生活を共にさせよ。

 やがて、その心は変わりゆく。
 人間らしさは失なわれ、野獣の如くに心は変わり果てよう。
 斯くの如くして、七つの時、過ぎゆくべし。』  

                      (Daniel 4:14 )[意訳byMe]
 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


Re: 苦節七年の始まり。

無事、ヘル2の資格も手に入り速攻で求人に応募。ありがたいことに近くの千中にはハロワの分室がある。徒歩で十分。手近もいいとこ。求人検索かけに侘しくとも、どれだけ足繁く通ったことか…。本当に環境的には恵まれていたと思う。

白状すると、実は、この分室の利用はかなり遅れた。米ちゃんが、管理職向けの求人は、堺筋本町が専門窓口になっているから、そっちに当たることを熱心に勧めてくれていたのだ。しかし、そちらで開示されていた求人への応募はすべて無駄に終わった。結果から思うことなのだが「彼」は悪い方へと注意を逸らす役割を担っていたのだと思う。「メフィストフェレス」。そういった役回りの人間だった。つまりは必要悪。地道に、シンプルに、努力するのが一番。裸一貫で勝負するに越したことはない。むしろ、最初からそうすべきだったのだ。そうあることが望まれてのことだったのだろう…。

閑話休題、ハロワでの閲覧で、良いと思われるものが見つけられた。なんと家からメチャ近い。原付でなら「8分」ほどの距離。これを「サイン」と見た。電話をかけてもらい応募を伝えてみれば、即日面接となり、即採用のお言葉を賜ってた。相手してくださったのは○○○のお立場の方。ソフトに作られた雰囲気が常態で、人付き合いが偉く達者であることが感じられた。又、如才のなさが滲みでており、怜悧なる元ヤンキー然とした四十代前半の男性だった。「ウチはあえて男性ヘルパーを集めている」と話されていた...。

訪問介護の事業所だった。なので、この業界との関わりとしては、訪問で『スタート』したことになる。そして、三ヶ月の試用期間中を終えることもなく早くも解雇されてしまう。
理由は出入禁止を三件も喰らってしまうことになるから。まあ詳細は、少し後にしよう。
その後は、殆どの期間、四年間、施設での介護要員として働くことになる。

ここで先に語ってしまいたいことがある。不思議な符号に関して。ジンクスと言ってもいいのだが…。ことは「事前に前振りがなされている」。色々あってから確信としてこの認識が持たれるようになった。

はて、なんの話か?。これは『土地縁』に関してのこと。例えば、馴染みのない場所に通うようになったとする。やがては、なんらかの理由で、そことの縁は切れてしまう。だが後日かなりの期間をおいて、又まったく違う筋書きにて、改めてその場所との縁が結ばれる…。

なんのことだか分からないだろうから、実際のお話をしよう。

最初の事業所の仕事の関係で、とある利用者さんへのケアにおいては車で移動していた。少し遠方になる。その時に施設の駐車場を時々使わせてもらっていた。そこは事業所とは全く関係はない。3棟の鉄筋コンクリートの建屋が敷地内にあり、それらのぐるりに駐車場が配されていた。同業種ということで自由に使わせて貰ってたようだ。特定のケアにおいて定期的にこの場所には通っていたわけだ。そんで、解雇の事由によって、そことのご縁は無くなる。

そして五年ほどの年月が経ってからのある日、求人面接にやってきたのがここだったのだ。その時の不思議感といったらなかった。「あッっ!アソコやん…」。そう、最後の勤め先となった事業所は、ここの施設の一角にあったのだ。つまりは『ゴール』『上がり』『終了』のサインとして登場してくれていたのである。これは結果論としてのとらまえで、過中においてはそんな認識が持たれちゃいないんだけどね…。

このジンクスは度々繰り返されて来ている。「ピッタリ」「キッチシ」「ドンピシャ」同じといった按配ではない。それとな〜く、しかしハッキリと知れるみたいな感じ。もう一つ例を挙げておこう。

最後の事業所勤めにおける話。あるケア(訪問)において、よく使ってた「待機ポイント」は、とある「コンビニ」。市街から離れた少し辺鄙なところにある。この利用者への訪問は日に4回、毎日あった。お人柄との関係にて、「嫌で嫌で」しょうがなかったケアである。やがての時にボクはとあるテニス・スクールへの通いを始める。これは今年の話し。見つけるまでにかなりの紆余曲折がある。現在ドップリとここに入れ込んでいる。なんと、このテニス場はそのコンビニの差し向かいにあるのだ。ケアの時には見かけてもなんの関心も持たれてはいなかった。縁無きものでしかなかったのだから...。

二例だけに留めるが、こういったことはよくある。
なので、やはり物事の進展には天の関わりを思わざるにはいられない。
そう知らしめんがための演出なのだろう...。

さて、訪問介護で幕は上がり、そしてやがてはこれへと戻ってくる。約五年後の話しになるけれど。そして、そこが最終の職場となる。最後の勤めにおいては介護福祉士の資格の取得のおかげで、ある意味、境遇はえらく改善される。ヘロヘロのヨレヨレ状態で、内情は窮地もいいところで、ここへの転職を行なっている。そして、なんの障害もなく、歓迎されての採用となる。面接には人材紹介の人間が同行しボク自身はほとんど話すことはない。面接をして下さる担当者は、この業界では出会うことの稀な、誠実にして実直な方である。偉く落ち着いているからとのご印象で即決してくださる。ここに約二年と少し所属する。

最初の一年間は、緊急回復としてのカンフル剤的な状況演出がなされる。(○によって…)
そして最後の一年間においては再び、試練としての状況が、準備される...。
今回はここまでと致します。


〈続〉


補記:

当然に連想において、過去の嫌な思い出が想起されてしまう。これを切るのも課題なのだろう。
過去の記憶は必要な時だけの価値しかない。今を支配させてしまってはいけない。

最近、気にいった翻訳(Vulgata)が見つかったので旧約を読みなおしている。それもダニエルを。以前の初読のときには、非現実感が強すぎて、読み進めるのが不可能になってたな。
少し御伽噺風に思えた。だけど、かなり高度な散文による黙示文学であることは間違いない。

  燃えさかる炉に、三人の信徒が放り込まれる。
  突如その現場に天使が現れ、その加護にて、全くの無傷で炎の炉の中を三人は歩む...。
   

追記:

ダニエル書を読んでてハタと気づいた。なんとここにちゃんと[七年]って書いて「あるや~ん!」。心荒んで酷いことになりより「まっさかいな~!」って預言されてる。
これって…普遍的に適合しているのかもしれない...。

七年の終了間近、最終コーナーから最後直線に入った頃に、この書は始められている。
告白しておくと、又もや、いろんな意味で衰弱の極みにあり、そういった状態下で書かれていた。それも、ケアの合間に!.....。利用者からのコールで中断して飛んで行ったこともある。
ことの締めくくりであるが故にかとても意地悪く、たちの悪い攻防に曝されていた。
孤独もこれ極まれりの状態で言葉は紡がれていたのだ。

明かされる内容はとっておきの事実であること、もしかしたら[新天地が開けるかも?」との思いが最後の力を与えてくれていた(これが良かったのかもね)。そして、何より、読者たり得て下さっていた皆様の存在だ!(不思議も不思議)。

最後のインターバル(si と do)は、これらによって埋められていました。
皆様には改めて感謝の思いを伝えさせて頂きます。
どうも有り難うございました。』



Many shall be purified by great trials and persecutions. But the wicked shall continue in their wickedness, and non of them will understand. Only those who are willing to learn will know
what it means.(Daniel12:10)

多くの者、選ばれ、別けられして、潔められ、火によりての如くにて錬えられん。
悪しき者は悪しきままに振る舞うべし。凡て不敬なる者は悟るを得ずばなり。
されど、学ぶに意欲ある者は理解すべし。

(忍び受け待ちて、やがての時に至れるは、これ至福なる、至福ならんことかな。)



[Vulgataを意訳:byMe]




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み