11.2 Contemplation 愚者の安息日。

文字数 3,482文字

  日曜日、朝は教会にいって歌っていた。そのあとは四条河原町にでて散策をした。
ジュンク堂で本を眺め、いつも三階でコーヒーを飲んでた。錦市場を歩くのも好きだった。
たまたま紛れ込んだ木屋町通は、これもまた[異界]であるとの印象をもった場所だった。
都心にありながら、そこは実世界から隔たった別世界のように感じられた。大通りからすぐに
始まる南下する通りだ。広いとは言えない道を川沿いに行くと、「ナニここ?」という思いが
すぐに浮かんできた。「どこに紛れ込んだのだ?」。まるで、ここでは時は流れず、止まって
いるかのように感じられた、少し警戒感をもちつつも、ドップリと[あそこ]のムードに
浸りながら歩いていく。対岸の和式の古びた建家、その二階から和装の年配の女性が
「お兄さん、遊んでいかない?」と含みのある声をかけてきた。真昼の怪しい白昼夢。
心中穏やかならぬままに「サラッ」と通り過ぎた。ぶらぶら行くと、やがては非日常の
雰囲気は薄まり、ぼやけだしていく。そして、ただの過疎った通りへと化していく。
いつの間にやらボクは喧噪にまみれた、ありふれた日常に吐き出されている。
....ワザワザこういった際どい所を散策をするのがボクは好きだった(昔から)。
あのような情緒とスリルのブレンディングはどこにもない。
たまに行きたくなっていた。『Oh my goodness!』

脱線:
*サンフランシスコのダウンタウン。かって、あのエリアを[夜]歩くと、何とも言えない
危ない雰囲気を感じた。なぜか、恐がりのくせにシスコの夜をボクは好んだ。あの街が夜に
放つ放射は、冷めた覚醒感と心沸き立つスリルをボクに感じさせた。そこにいるだけで、
生きている実感を味わうことが出来た。

*帰国して間もないころ、淀川に沿って宛もなく車を走らせていたことがある。デタラメな
運転を続けているとやがて、変な集落に入っていた。見たこともない和瓦がどの家の屋根にもあった(沖縄調?)。えらく造形が厳めしく凝っていた。昼間なのに、なぜかその集落には
人気が全く感じられなかった。誰をも見かけなかった。車を止めて降りることは、なぜか
できなかった。急ぎ脱出した。後に、彼女にこの話をすると『止めてー』と言われた。
*ボクは迷子になる才能がある。現実を踏み外すのは得意だった。

追記:
今日(17.10.27)、ブックオフで「姑獲鳥の夏」を改めて買ってきた。この本も導きにて、やがて読むことになる。『関口巽』には自分を重ねずにはおられない。また、いずれかのエピソードにて...。何と、解説はKKではないか...。



  他は、一乗寺近辺の名所や清水さんの周辺をうろうろしていた。[詩仙堂]では座敷の
奥にどっかと腰を下ろし庭を遠目にしつつ、さも「我が主」との気分で、皆(観光客)が
出入りするのを良きことと眺めていた。この山荘で過ごすことがとても気に入っていた。





  少し遠出をして[狸谷山不動院]を訪ねた。奥まった所にあるヒッソリと静まった
不動院なのでボクの好みではあったんだが、その名の通り狸の焼き物がアチラコチラに、
それは仰山並んでいるのだ。「子供扱いするな〜!」と誰かに文句を言っていた。
「信楽焼の狸達はいるか〜?」と思った。そこは昔、武蔵が吉岡一門との戦いを控えて
修行をしたのがこの場所とのことだった。滝行で【降魔の剣】を会得し、見事一門を
討ち果たした云々が書かれた縦書きが隅の端っこの方にあった。

  ボクの一番のお気に入りは、やはり[鞍馬寺]だった。叡山電車は、レトロな雰囲気が満載であった。一乗寺の駅も改札も駅員さんもいない無人の駅だ。これに乗れば一本で鞍馬まで行ける。乗車途中、見る間に山々が現れだし、一挙に回りの世界が変わってしまったかのような気分になる。鞍馬は終着駅である。駅から少し歩くと、寺の門がすぐにある。気持ちばかりの愛山料をいれて中へと入る。山肌に巨大な窪みか谷のような空間があり、そこに不思議な参道が上へと整えられている。その途中に幾つかの観光スポットが備えられていた。



  始まりは、どのように巡るのが正しいのか分からない細い土道がいくつかある。すぐに放生池、魔王の滝、由岐神社が現れてくる。山と水と緑が紡ぎだす雰囲気がたまらなく清浄に感じられる。なのに、この魔王は約650万年前に金星からやってきた「サナト・クマラ」だとかの縦書きがありムードに合わない。そして由岐神社だ.....。小振りだが歴史を感じさせ、格式の高そうな作りである。鳥居があり、この神社そのものの中を通り抜けて参道にすることができる(スキップするルートもある)。これは装置なのだと穿った思いを持った。俗界から異界へ、幾つもの敷居を渡らせることにより、「より深く」「より彼方へ」と誘っていく為の...。*テーマパーク?。

  更に土道を行くと、あの有名な九十九折りに、やがては通じる。立派な作りの門を潜(くぐ)れば、時代劇に使えそうな石畳の道が左に右に折れて続く。この通路には(両側に)ズットは橙色の灯籠が並び立つ。山を登っているようには感じはない。あくまで参道に運ばれていっているような加減だ。「何処へと運ばりょうか?」。最後、休憩所があったり、コンクリートの階段が現れてくると一度モダンな俗世に戻ったような感じになり「ホット」する。



  このキツい階段を登れば、そこには広い空間が現れ、一挙に大空が開けている。鞍馬寺の本殿金堂がそこにある。本殿金堂の前方に設置された石床。金剛床(こんごうしょう)には六芒星(Star of David)が表されている。橙色の欄干に囲まれた境内からは山々が遠く近くに見渡せる。そんなに登った気は全然してないのに、なにか高い山にいるような気分になる。圧倒的な空の広がりと山々の緑の連なりの展望に心は揺さぶられる。これは「天地の交わりではないか」との印象が心地よい。少しここで寛いだら、これからが本当のボクの目的地となる。



  本殿の左奥に、貴船に続く山道がある。一時間程の行程か...。板で囲った小さな入口がある。注意書きがあって「無茶な修行はするな!」とあった。ここを潜って向こうに入れば、そこは山中の異界でしかない。山道を歩く。そう高低はない。通称【木の根道】と呼ばれる歩きにくい道が現れてくる。そして[瞑想道場]と呼ばれる小さな木の建家へといたる。建家と言ったって屋根はあるが殆どオープン仕様の休憩所といった風情の建物だ。ボクの目当てはここだった。目的の場所だ。ボクは鞍馬寺へくれば、いつもここで座っていた。雨の日でも日曜日は、ここにきていた。目を閉じて、姿勢だけはよく、ただ惚けていた....。不思議なことに、いつも一人っきりだった。特に変わったことがあった訳ではない。ただ山の中に、自然の中に憩っているのが心地よかったのだと思う。



  鞍馬寺には「奥の院」が、この先にあった。その名も魔王殿!。とうとう本体のお出ましか、またその正体は?と、訪ねてみると小振りなお社が山中の小さな平地に「ポン」とあるだけだ。金星人の「サナト・クマラ様」はどこよ?と、しばし考察してみた。そして思った「いいんだ、これで」と。御山そのものが信仰の対象だったのだと思った。


追記:

貴船西門を潜り、小橋をもって川を渡れば、もうそこは只の観光エリアとなる。ある意味俗世。川沿いにアスファルトの道を貴船口駅に向かって下っていく(30分ぐらい)。途中、川に下りていって、巨石の上で「憐れみの歌」(聖歌)を大きな声で歌っていた(w)。

ボクの妄想であろうが「わしらはお前を気に入った」との念が届いたような気がした。



  
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