16. Forward Coordinate 概要。

文字数 3,138文字

妻と子どもたちは家を出ていく。あの****で**な義父の求めに易く従う。
独り残されたボクはハローワーク通いとなる。

時は就職氷河期。『まともな勤先などあるかい』が糟谷先生の言葉だった。かと言って「そうですか..」と
消沈して、なんらアクションをしないままでは居れない。一念岩をも通すにすがり、再就職のための努力を懸命に行う。そして一社で採用となる。そこは製造業。しかし、長くは続かない。勤め始めて三ヶ月も経たず、会社都合で解雇とされる。中々に内容の濃い二ヶ月間。肉体労働と汚れ仕事がてんこ盛り。

この解雇の事象をもって、従来的な、常識的な発想における転職の道を求めても絶対に道は開かれないとの直感をもつ。おぼろげな、か弱き希望は、見事に打ち砕かれる。[メッセージ]としてのドラマであったことは間違いない。

月に一度は妻の実家を訪ねている。生活費を渡すために。途中の天王寺、駅前ビルの本屋に立ち寄った際に、誘われるように一冊の本を購入する。これが『イエスにならいて』との出会い。
見えない存在による導きが確かにあった。

糟谷先生のところでの集いが、また再開となる。先生のお店は、訪問者の極端に少ない状態が長く続いており、「慰め役」としての役割はあった。この折に、先生は介護の仕事に就くことをボクに勧められる。
事業所を起こし、親となれば、そこそこの身入りが期待できるとの誘いだった。その理屈には眉唾なものを感じたが、これが定められたレールなのだと了解する。「分かりました」と即座にアクション。

ヘルパー二級の職業訓練を申し込む。競争率は低く、補欠も含め全員が合格してた。期間は3ヶ月間。
失業者なので無料。暑い夏の頃の話し。

そして、資格を手に勤め先を探せば、家からほん近くの訪問介護事業所での採用が叶う。
ここが業界でのデビューになる。そして、この時より7年の月日が規定の期間であったようだ。
ある時から家族の帰郷はあるにはあるが...。*主の与えられる”平安”なるものを体験する機会はあるが...。
全体通して救いはまったくない。


  Re:【 Under the Saturn Rule 】

介護業界への就労は容易い。しかし、そこに落ちたら二度と浮かび上がる(経済的に)ことなどありえない。ことは朧げながらも最初から察せられていた。脱出の可能性など本当はないことも分かっていた。
でも..それでも、これを選び、頑張るしか道はなかった。

最初の会社は、3ヶ月の試用期間を経た翌年一月末で解雇とされる。以降は、登録ヘルパーとして複数の事業所から仕事をもらって時を過ごす。次に、新規のグループホームでの採用。そこも解雇される。新規の特養での採用がある。そこは途中で一回離職する。*(誰かが事故で死ぬことが直感されたのが理由)。
グループホームで採用されるが解雇。先の特養での務めが再開となる。内部での移動として小規模多機能なる部署へ移動。この時期は労基の定めた時間枠など気にかける必要もない。当事者としては、一銭でも身入りが増えるなら、どれだけ働かされても有り難かった。しかし、やがては拘束時間が長いので機会を見つけて辞める。介護福祉士の資格をとるために勉強する必要があった。時間的余裕が必要だったので辞めた。
更に、二箇所で勤め、最後は定期巡回(24H)なるサービスの事業所で勤務。介護福祉士の資格があったればこそ。そこでの三年間が過ぎた頃に、母の訃報が届く。

「7年」。これは終わった今なればこそ測れる長さである。こんなのただの記号でしかない。渦中においては「何時果てるとも知れない」、永遠に続くものと思われた。破壊的な長さであるには十分だった。生は緩慢に、なんの希望もなく継続されていく。「何時かは、何かが...」を夢見て過ごした年月。じっくりゆっくり、しかし確実に削られ、消耗していく精神。ただプライドが毀損されるがままの日々の業務。限界を超えてても、それすら分からないようになってた。想定される
*デッドエンドを静かに見つめて過ごす毎日...。
(再度の家族離散、家屋の売却、そして彼方での独り身生活)

素晴らしくも、よく練られた演出が、この期間においても凝らされている。
途中、糟谷先生の退場がある。

過ぎてしまえば、すべては彼方の幻でしかない。

補記:

お金が最大の問題になる。どんだけ頑張っても足りない。尽くしても、尽くしても非難としての評価しかもらえない境遇。これは『社会』世間』なる枠組みが備える強制力によるものだ。世間の厳しい風に吹き曝されていたまで。

脱出が不可能なので、また利用者の状況を客観的に鑑みれば、同じ”収容所”にいるとの感慨になる(訪問介護においても同じこと)。

「土星」の持つ役割、また五行における『土』へのご理解のある方なら分かるはず。
すべては然るべく整えられていただけ。そして次の(終章)の展開も分かりますよね?。

 
抜粋:般若心教より
  
色不異空。空不異色。
  世界の色は『空』と異ならず。まるで光と映像の関係。

色即是空。空即是色。
  映像は光あってこそ。しかし光はその内容に関知はしない。

不生不滅。
  実は..生まれたはなく。滅びるもない。

不垢不浄。
  穢れ、汚れ、あなたに何ら及ぶことはない。

不増不減。
  なにも..増えてはいないし、減ってもいない。


付録: Genesis、DAY ONE: THE LIGHT、 King James Version(欽定訳)

In the beginning God created the heaven and the earth.
And the earth was without form, and void; and darkness was upon the face of the deep.
And the Spirit of God moved upon the face of the waters.

始まりに神は天界と地球を創造された。
地球は形なく 空虚なる状態であった。そして深淵の表には暗黒があった。
そして神の霊が水の面で揺らめいた。

Then God said, Let there be light: and there was light .

やがて、神は『光あれ』と宣った。そしてそこに『光』があった。

And God saw the light, that it was good: and God divided the light from the darkness.

そして光を『善し』とご覧になられた。神は光を暗黒より別けられた。

And God called the light Day, and the darkness he called Night.

光あるあいだを日と、そしてなきを夜と呼ばれた。

And the evening and the morning were the first day.

第一初日に夜と昼があった。

(All 意訳:byMe)

追記:

前にも言ったけど、神の存在の有る無しが違う(意識する、しないだけなのか?)。
人間のタイプにもよるのだろうけど「生きるもの」の神たる存在がしっくりくるかどうか。すべてのコントローラーとしての人格神を必要とするかどうか。ボクは、この種の物語性が必要なタイプなだけです。(これも○でしかない)

特異点は『介入』が本当にあったと報告できることかな。


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