4. Passio Christi, conforta me アネクドーツ11。

文字数 8,014文字

序開き:

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振り返ってみれば、思い起こされるのは、みんな苦しかった頃のことばかりではないか。
安穏と暮らしていた時節のことではない。
後者は眠りにしかず。
前者は奮闘。つまりこれぞ人生である。

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抜粋①:

『貴方(神)がおられるが故に、過去に起こりしことのすべてが善きことであったと思える。
 振り返って、在りしことのすべてを、よくよく吟味すれば、貴方への賛美を思わずにはいられない』。

『貴方以外に今噛みしめるこの尽きない喜びを、『誰が』『何が』私に与えることができるだろう?。
 かくも愉快で味わい深いものであるのは、貴方の恩寵によってあの時がなっていたから。
 貴方の知恵をもって全てが整えられていたから』。

『貴方においての喜びを知る者にとって「正しい」とせられない、受け入れられないことなど
 あるのだろうか?。そして、貴方に喜べない者にはいかな楽しみがあるというのだ?』


Re: 最後の大舞台。

坂本比叡山口駅(その時の名は坂本駅)は琵琶湖の西側に位置する。この辺りには小さな寺院が沢山ある。比叡山所縁(ゆかり)の草庵の数々だと思う。ここで、亡き父の11回忌なるものが催された。時は会社を解雇となってすぐ翌年、その最初の月の終わり頃。

この法要はなんでも特別なものにするとの前宣伝があった。社員も大阪は言うに及ばず、東京岡山滋賀からも可能な限りを呼び寄せるとのことだった。母からの伝言はいつもの如く、「あんたが来たかったら来なさい」との突き放した物言いだった。糟谷先生に相談すると、これもいつもの如く『行って来なさい』だった…。

朝早くに家を一人出た。侘しさ寂しさだけを輩に。新大阪で乗り換えて滋賀を目指す。来たことのない辺鄙な駅で、ローカル線へと乗り換える。駅舎が離れているので徒歩で少し歩いた。冬の寒さが身に沁みた。無骨くデカイコンクリートの筐体の下で座って缶コーヒーを飲んだ。乗り換え駅は、少し情緒的な風情のあるもので、瞬間ではあるが旅行気分を味わうことができた。最終駅の坂本駅に着くとかなり時間に余裕があった。何とは無しにだが、今暫くは気楽でおられるのでありがたかった。目的地へは10分ほどは歩いた。法要の場所の確認が済んだので、そこを離れる。かなり歩いたが、人っ子一人とも行き交わない。これから仕事に出かけるのであろう小型トラックに3人が荷積み作業をしているのは見た。40分ほど時間をつぶし、いざとばかりに現場に戻った。

「Passio Christi, conforta me !」(キリストの御受難、われを強め給んことを)

先ほどとは違い人気がある。勇気を振るい起して入り口に進み入る。数人の社員を見かけるが目には殆ど入らない。法事の間であろう庭に面した空間へと侵入していく。そこは人で溢れかえっていた。ただ空いたスペースを伝い歩を進める。やがてメインステージであろう大きく開け放たれた場の縁にボクは立った。社員の皆も、ボクの存在を確認してか動揺が空間に満ちている。落ち着きのない雰囲気で一杯だ。場違いも甚だしく感じる。落ち着くべき所を、どこに定めていいものか分からずボクは立ちすくんでいた。助けを求めて視線を四方に走らせるが、誰からもなんの挨拶も声掛けもない。いい加減晒しを味わっていると、現総務職であるらしい”彼”が、ただ座の方向だけを指し示すまでだった。

最前列の座布団にはどれにも、誰も座ってはいない。一人、左端でことの進行をただただ待った。
やがてホストたる母の聞き慣れた声が聞こえ、三人が連れだって登場する。何やら喋り続けながら舞台中央に進み出て、そこでボクに気づく。怪訝なる眼差しだけで声がかけられることはなかった。しょうがないと言った塩梅で、ボクの隣に母が、次に妹が、そしてその旦那が座った。結果としては席は最上位にはなった。

法事が始まり、焼香の段になる。母が先ずはことを済ませ、次に向かうべきはあなたでしょとばかりに妹に声を掛ける。しかし彼女はそんな真似を社員の面前でできるわけがないとばかりに、嫌々をする。しょうがないのでボクはさっさと進み出てことを済ませて座に戻った。長々と焼香のリレーが続くもやがてはこれも終わる。最後は場が完全に崩れるのを待ち、サッサと草庵を出て帰路についた。
新大阪駅ではヨネちゃんが車で迎えに来ており、そのまま糟谷先生のところに報告に行った。

ED: Dona dona (yiddish traditional) 。じゃなくて Tubular Bells III です。


補記:

”彼”とは、かって要らぬ社内情報システムの導入で、一億パーにした人間。今は、総無職に移されているようだ。残念な物言いをするならば、うちでは総務なる役職は単なる雑用係の域を出ない。あの仕事は、心無い人間に務まるわけがない。

最後ではないな...大社葬が残っている。

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抜粋②:

『神への愛として心良く耐えるべきことがある。
 まず労苦、そして悲しみ、誘惑、ままならぬこと、心配事、困窮、病気、けが、矛盾、懲罰、屈辱、
 人からの非難叱責、疑い、さげすみ...。

 これらはみな美徳を形成するための手助けになる。
 キリストにならうことを始めた者にとっての試練(テスト)なのだ。
 これらが、貴方の、天国に入るための証(冠)を形作る』。


Re: 時を少し戻します…

家族が家を出ていった時の経緯も語らせていただきます。本当は割愛したかったのですが、やっておいたほうがいい気もする。これも長く続く色合いの一つではありますので…。
まあ気楽に読んでやっていただけるなら幸いです。

  会社での立場を完全に失ったことにより、義父の介入が始まる。これは当然といえば当然の展開。妻との結婚は、「見合い」であったので、あちらとしては『話が違う』となった。そして、愛する娘と溺愛する孫らを、手元に置こうと思い立たれる。お住まいには余剰空間がかなりあり、財も立派なものをお持ちだ。丁度、仕事から引退されて間も無くの頃で、ご夫婦二人では家は広すぎ、寂しく感じてもおられていたのだろう。 これも情動における力学の作用(ドラマ)が起こったまで...。

  話は、まったく、『痛く』違うのだが世には独善的な方というのがおられる。何でも自分のやり方が「一番正しい」と信じて疑わない。心中密かに思っているだけならさしたることもないのだが、赤の他人にまで、それらを押し付けてくるのなら話は別になる。さらには、当該の領域における熟達者(エキスパート)で、かつそれで長く飯を食ってきたなんて話があった日には、もうお手上げ。この手合いが一番厄介となる…。おかしなもんで、男も女でも、自分の沽券面子権威に○○にこだわる方が山のようにいる。

  例えばだ、身体の不自由な高齢者の方がおられて、ベッドから車椅子への移乗介助を、あなたがするとしよう。*(えらく話はジャンプします)。これなんか、ベッドの側に補助バーのあるなしで、その利用者が立てる立てないで、他いろいろな条件次第で、やり方はやはり違ってくる。ケースバイケースなのはお分かりいただけるだろう…。

  ある女性[サ責]は、彼女自身の「やり方」を『絶対規律』として現場に求めた。少なくとも、ボクには求めた。運悪く、ケアの最中に彼女が現れたのが不運といえば不運なだけなんだけど..。そして、ボクのやり方を見て憤った。彼女のやり方と違っていたから。ケアの最中であるにも関わらず、ご家族が側におられるにも関わらず、(現場は訪問介護である)、彼女は、おもっきし女性特有のヒステリー状態となってボクを糾弾してた。時も場も弁えずに癇癪を起こす。これのせいで、下手すれば、利用者さん転倒させてしまっていたかもしれないのに…。もうお気づきのことであろうが、これはボクの後の実体験である。(再掲:受益者でもない者が、独善的に我意を通して物事のあるべきを決めてしまっていることが多い。)

  彼女が求めるやり方は、過剰なまでの安全確保の形だった。詳細は省こう...。簡単に言えば、片手を挙げてグッバイで足りるものを、三つ指ついて深々とお辞儀するよう求めるようなもん。数をこなしてきていない(例えば特養に勤めたことがない)人間の、勝手な思い込みに過ぎないもの。素人の発想/妄想としての安全なるケアのあるべき論。まあ、主旨はこんな話ではない。これは、あくまで事例として挙げたまで。本旨としたいのは、子供の「躾け」「教育」のあり方において!。

「これも正解はない」。絶対にあり得ない。個々に状況/条件は異なるのだから。

  ここで、先に、ついでに、ボクの息子についても話しておかなければなるまい。あの奇跡の「無垢なる子」のその後において…。実は、彼は生まれてくる時に、羊水をたらふく肺に流し込んでしまっている。生誕直後は救命カプセルに移されてた。医者からは可能性の話として、ボクは怖いことをさらりと伝えられている。
  幼児期の彼は、とても愛らしく、ベイビーの鑑(w)とでもいうべき存在だった。色白でふくよか。「キャスパー」そっくり。形容詞としては英語の”adorable”が最適だ。多くの人(特に女性)の目にはいかにも高級で貴重な存在に映ってた。両家の祖父母からの人気は絶大なものがあった。
干支は卯。運動音痴。ゲーム機大好き。国語力悪し。記憶力はいい。タイプ9で間違いないと思う。
うちは隔世遺伝の家系である。
  やがて彼は無事に小学校に上がる。その成長を見守る父たるボクの目からすると、少し心配に思える面があった。あまりに『おぼこ』すぎるのだ。奥手もいいとこ。「ベイビー」が長すぎるように感じる。それも『恐ろしく』だ…。
三月の中頃に生まれたので学校は早行きとなる。周りとの兼ね合いで、彼は、えらく苦労したのは間違いのないことだと思う。運痴が災いしてた。

  小五の時の彼の様子を披露しよう。レストランで、彼はステーキを食べていた。しかし未だフォークとナイフの使い方がまったくなってなかった。彼の好物であるにも関わらずだ!。そのあまりに依存的なありように、ボクは癇癪を起してしまった。
  この時については、以前のエピで書いている。ボクにとっての「取り巻く世界/環境」が変質してしまっていることを突然認識し、絶望感に襲われてしまった時の話だ。補足するならば、あの時の絶望感は、タイミング的にあまりに残酷だった。「家長としての責任がもうすぐ果たせなくなる」。この思いで心中が惑乱していた状況で、さらに世界自体も「そっぽを向けてしまっている」ことに気付かされたのだから。そのさらにだ、ボクが守り育むべき息子が人並外れて庇護が必要な存在であることを目の当たりにさせられる。演出は、ここでもなかなかに冴えていた。
  閑話休題、あの時、叱られた彼は、ただ悲しそうにしているだけだった。何で叱れれているのか、まったく理解できないといった様子だった。どうかその時の彼を哀れんでやって下さい。彼には何ら罪はない。ボクにおいても、あまりにノンビリと赤ちゃん状態でいる息子が心配でたまらなくなったまで。
これはあくまで一例に過ぎない。生活の基盤たる会社との関係がおかしなことになるに従い、ボクのストレスも高まっていってた。当然息子にも厳しく当たってしまっていただろう。

  ところで、親業という職種があるのをご存知だろうか?。親の子供らへの関わり方が問題で、子供が不登校になるケースもあるらしい。その親の態度を改善し、子供が無事復学できるようにコーディネートするのがお仕事であるとのこと。いろんなケースがあると思うのだが、この方面のエキスパートであられる方からすると、ボクの子供らへの対応は、ひどく間違ったものになるらしい。最初は黙っておられたが、ボクの立場が変わると口を出すことに躊躇されなくなった…。

ポイントは、『何も、あれこれ言うな!』である(要点だけに止めよう)。

  ここで言い添えておくならば、ボクが自分の息子に行う躾けは、ボクが受けたものと比べれば、その厳しさは百分の一にも満たないものである。自分が受けたようにはしないとずっと意識的であったのは事実だ。子らへの求めは、言葉はキツイものかもしれないが、できるだけ必要最低限と思われるものだけに留めていた。例えばだ、食事中のハシをチャンと持つ、残さないで食べる、いただきます、ぐらいだ。
*「ありがとう」などの感謝の言葉は、Gに倣い、自発性を待つ意味で一切求めたことはない。
手や足を出したことはまずない...。


  さて、平成21年の年末近く、子供らの学校の二学期が終わらんとしていた頃。時に息子は小五(10歳)、娘は小三年(8歳)だ。まず先行して妻が決心を固める。実家に戻るよう義父からの要請があったとボクに話した。理由については、『その方が子供達にとって良いと思う』だった。
  ボクは何も言う事は出来なかった。しかし心中では、「貴方のしようとしていることは間違いだよ」との思いはあった。ただ「分かった」と答えるしかなかった。その後、家族は、タイのプーケットに旅行に行って、そのまま実家へと移転した。三学期からの編入が予定されていた。子供達は、そんな運びになるとは露とも知らされてはいなかった。


追記:

この義父については、これまでにちゃんと語ったことはありません。ご存命であられるので、あまり詳細を語ることは差し控えなければならない。取り敢えず、ボクの家においての母が、あちら嫁方においてはこの義父になるは言ってしまおう。典型的な『家父長主義』の人。母と同い年。

子供らは、生活環境がかなり違う場所で急に住まいすることとなった。そうなった理由については、ボクからこれまで何も説明をちゃんとしたことはない。学校も途中編入だ。彼らにとっても一つの試練であったことは間違いない。ボクが知りえたことは、ほんの僅かであろうが、それらにについてもまたいつか書きたい。多分間違いのない話し、死んだ父が、孫の支援で活動を行なっている…。

ここは、後で書き足しを行います。
今回のエピは書くことに異常なまでの抵抗があり、時間がかかりすぎている。
しかるに!、言えてないことが山のようにあるように感じてしょうがない。
いつか...いつか...

*自分への覚書として:父として、運動能力の発達への協力は嫌がられても努力した。息子がいつか読む機会があるかもしれないので、これについては絶対加えよう。



Re:ラスト。●●夫婦。

近所に若い夫婦が住まいしている。生活圏が同じなので時々見かけたりすれ違ったりもする。片方だけの時はまずない。いつも二人一緒だ。遠目で見かけた時は、じっと観察してみる。男は、いつも垂れていてショボくれた様だ。女は、庇うように側にいる。ボクは、そりゃそうだろうと思いつつ、そんな屁みたいなもんに関わりあうのもバカバカしいのでさっさと離れる。家が近所なのでこういったことはよくある。

ある土曜日の午後のことだ。駅から自宅への帰りすがら、この夫婦とすれ違った。お互い気付かぬそ振りであったが、そんな訳もあるまいて。別れて、少し歩いているとあるアイデアが浮かんだ。彼らは、これから電車で何処か遠方に向かう。これは間違いないであろう。後をつけた。こういった経験は初めてである。気付かれぬように注意を最大限はらう。車両も違え、しかし遠くガラス越しに目は離さない。やがて、彼らが降りたのはセントラル駅。土曜日とあってホームは人でごった返していた。見失わないように、気付かれないように後を追う。彼らは駅連結となるとある百貨店に入っていった。ゆっくりと距離をおきながらついていく。店舗の中も人で溢れていた。息を詰めながら後を追う。やがてエスカレーターに二人は乗った。同列のできるだけ後ろに乗る。どこで降りるか分からないので、完全には離れられない。階毎に、方向転換の折れがあるので大変だ。人の影に潜む、うつ向いて、息を潜める。5階への上がり途中で気付かれた。丁度折り返しで高みに彼らはおり、上からは下が丸見えになってしまってた。女の声が漏れる。「ここまで」とし、その階で人混みに紛れる。人がわんさかいたのが助けになった。遠目にボクをキョロキョロ探す二人の姿を確認し、背を向けてその場を去った。

追記:

通院でなかったのは残念だった。病院が突き止められたなら次手があり得た。
彼らにとっては、全く予想外の出来事だったであろう。こういったことは記憶の残る。そして絶えずフラッシュバックが起こってしまう。煩わしいことこのうえなしだろう。これが唯一のボクがことに対してとったアクションだ。これで十分だと思った。



原文:

序開き(View form Real World, by G, p.272)

Looking backwards we only remember the difficult part of our lives, never the peaceful times; the latter are sleep, the former struggle and life.


①(Iimit. Of Christ, Book 3, Chap.34, 6-9)

You make us think well of all things and praise you in all things.

Nothing can give any lasting pleasure without you, for if anything is to be pleasant and appetizing, your grace must be with it, seasoned with the spice of your wisdom.

To the person who delights in you, what will not taste right?
And who can give any joy to someone who does not delight in you?


②(Iimit. Of Christ, Book 3, Chap.35, 10)

(Certainly), you should willingly endure labor and sorrows, temptations, vexations, anxieties, necessities, illness, injuries, contradictions, rebukes, humiliations, doubts, chastisements, and contempt. These things are all aids to virtue; these test one who has begun to follow Christ; these mold a heavenly crown.


*[ Above All /意訳:byMe]
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