Just altered 00  神農様。

文字数 3,167文字

  その先生なる人はもうかなりのご高齢の人だった。80の齢をこえてられていた。ひょんなことからお付き合いすることになった。長く側で過ごす機会を得た。下手をすれば毎日顔をあわせてた向きもあった。先生が亡くなられるまでこれは続いた。
  語りに耳を傾ければズバ抜けた明晰性を言葉には感じたものだ。記憶力も並外れたものをお持ちで、数知れぬお客の生年月日等の情報が全て頭に入っていた。日頃は柔和な優しげな眼差しではあるが時に眼光鋭く、激情の持ち主であることも察せられた。四肢も矍鑠(かくしゃく)としたもので、お年から考えれば驚異の人と思われていたに違いない。しかしそれは外見上の話だけでその実情は分からない。いろんな障害をその身に抱え込んでられていたことは四方山話から推測することはできた。単に余り人に弱みを漏らしたくないという自尊心から懸命に努力をされていただけなのかもしれない。
  ご高齢ゆえの懸案としては、一旦語り出したら最後その言葉は延々続き終わらないがあった。こちらは立場上、拝聴に徹しなければならないので神妙にコウベを垂れるまでであった。これは対価なのだと思い、ひたすらこれを受け入れていた。来訪者はみんなそうなので先生のあり様も長の年月で強化され時は伸びていったのかも知れない。何より語りが達者なので先生にとってもこれは悦楽の機会でもあっただろうし、老化防止として必要なことだったのかも知れない。私が関わりを得た時勢はもう滅多に相談者が訪れないようになっていた。この事態は先生にとって危機的な状況であった。このおかげで私のようなつまらぬ客でも長く歓迎はされることにはなっていた。
  語られる内容は多岐に渡った。時の政治についてであったり、昔話であったり、最近の身近な出来事などであった。お身内の話も隠すことなくなんでも話されていた。他愛のない世事についても多かった。例えば、今日日の若者はスポーツ感覚でことを行っているとかなんとか...。
  人の人生相談の相手でもって戦後間も無くから生計を立ててこられていた。かっては新聞のコラムの執筆も担当されたことがあるらしい。その折は、その年のペナントレースの行方を予想せざるを得なくなる。日々の試合の結果を、それは神経をすり減らす思いで長期見つめる羽目になったそうだ。最後は見事予想が当たり、安堵の思いで胸をなでおろすこととなる。沽券は守られた。しかし二度と予想はやらないことを誓われたそうだ。
  終戦後のもののない状況下で、プロとしてあの職業を選ばれたことは乱暴な選択であったようにも思える。兵隊上がりの二十代前半。その選択には危険な傾向性をも疑ってしまう。片や生活に苦しみ、ゆえに誰かにすがりたいとの思いでいる人は多かったであろう。街は復興に向けての確かな足取りをゆっくりと刻んでいた。
  ありし日の写真を見せてもらったことがある。五十代前半のものであろう。着流しに鯔背(いなせ)な佇まい。今からは比べようもないほどに恰幅がある。にこやかにされてはいたが不敵な面立ちで何か際どさのようなものが私には感じられた。存在感、貫禄が備わっていた。ただならぬ人間であったであろう。印象として、堅気の人ではないことだけは分かった。眉目秀麗であったことも確かで、女性にもさぞかしオモテであったであろう。
  学ばれた術方は深淵にして緻密な世界観に基づく。別称、変化の書とも言う。天子としての、聖人となるるべくしての導きの書と言える。ただしき事とはなんたるかに基づき善導を要諦とする。のちには儒教としての教書として取り込まれている。とんでもない拘束だ。食って行かんがためだったのか、運命として選ばれたのか、それは知らない分からないが ”ど直球” としての世界。
  長く側にいると、情報が色々と積み上がっていってしまう。これに、憶測/推測を加味してしまう。時々の感情の綾も重要な情報だった。やがては凡そを察することとなる。これは相手を見定めるためにもやむを得まい行いである。正しいか正しくないかは遂には分からず仕舞で終わったことがほとんどだ。
  先生を頼る人々は会社の経営者が多かったそうだ。大変に興味深いと思った。その立場にある人達の悩みに答えることができた?。生半可にできることではない。相手も人を見る目はお持ちだろうからハッタリはまず効かない。付き合いは長期になることが商売の肝で当然に信用が大事になる。これはなんでもそうだ。

  お話から察せられたことに、あの大通り沿いにある鉄筋四階建てのビルは先生が購入されたがある。100%持ちビル。そのことに必要とされた資金を思えば途方もないものであったことが推測される。新古物件であったことが想定された。それをご相談料の留保で賄われた訳だ。失礼な話ではあろうが、あり得ない話に思えた。確かにかっては新聞紙上でご活躍もされ、お客の往来も多くあった時代もあったであろう。しかしそれだけでは到底無理だ。またどこやらの誰それみたいに出版物で稼がれてた訳でもない。
  そこに秘密があるとするならば、見料が相談者の思い値であること。そしてその相談事に関わる損失/利益がど偉いスケールでの話しであった場合。おいそれと世間知られては困るグループの、一族の恥部に関わる話しも考えられた。無事解決を迎いえれれたなら御礼はその時一回限りでは済まず、長きに渡るものとなったかも知れない。相手が勝手に毎年送ってくるのであろう。そういった事案が多数件こなされていた場合としか考えようがなかった。
  兎にも角にも、相手の苦しみを、ある程度は一緒に味合うことになったであろうことに違いはない。とんでもない苦行であったことが想定される。自衛の策も必要になる。中庸の道を説くあの教えの真髄が活かされたことであろう。そして展望を、解決を読み解き、手順を具体的に指南できた。凄いことだ。その結果に対しての相手からの感謝の表しの積み重ね。それがビルになった...。
  こうした「空想」をしていると...、片や負け組として大いなる損失を被った誰それが存在していることにも思い至る。ただ役得として、その損害分の幾ばかりかが回されてきているわけなのだ。すべてが上手くいったとは思わぬが、組みし得た人は、ただラッキーなだけだったのだ。否、先生の磁力に引き寄せられての話なら、先生こそがラッキーだったのかも知れない...
  
追記: 

『儂に頼ってきた人はみんな幸せになる』を時たま諳んじた口上のごとく口にされる。誰に話しているのか分からないご様子でであったことが印象に残る。恐らくはご自身に向けてのものであったのだろう...。

緑内障の手術。
足の萎えを防ぐための歩行訓練を欠かさない。銭湯の利用もそのためのものだった。

昨今の世相は、おいそれと至れる状態ではないこと。数十年に渡るある展開の結果と言えるものであることを私は悲壮感を持ってハッキリと語っていた。すると先生は、さも自分にそのことの責任があるかの如く朴訥とした口調で申し訳ないと返された。
そうだった、そのとうりだったのかも知れない...。
それは、また私にも跳ね返ってくる話ではある。

例えば、急に降って湧いた提携の申し出に乗ってもいいのか?
あの土地を買って本社を移転しても大丈夫か?
いかな人であっても、おいそれと判断がつかない事案は山のようにあるはある。
その結果はグループ全体に及ぶので、責任は大変なものがある。

私のコードでは「神農様」です。神農様は、薬草の神様 。角が二本ある。
ところで役座は中国から渡来したこの道教の神様・神農様を祀っていますよね。
その存在感は唯一無二のものだった!。
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