3. Pharisees (II) ジャングル・ブギ。

文字数 5,878文字

緒言:

    すべては夢・マボロシよ。
    類稀なるによって開闢せられし泡沫の寸劇。
    感謝もってその杯飲み干せ。
    うまく死にますようにと。
    当人以外に、その意味、その目的を、領解できるはな〜い。
    主役と端役、とり混ぜて役はくるぞ。
    名優たれ。
    あとの自宅でのビールが美味い。



Re: 二級ヘルパーの資格をとるために通った学校。

学校は梅田。何やら立派なビルに入ってた。すぐ裏手にはお初天神があった。
どの種のものであっても、職業訓練校には間違いなく[ノルマ]があると思われる。
「コース終了後にどれだけ就職でさせれたか?」この実態によって訓練校そのものが考課されてしまう。
この成績が悪いと、国から厳しい業務指導が入る。まず間違いない話しであろう。(*1)

  失業者たちにしっかりと技能を身につけさせよ。
  そして一刻も早く復職させ、雇用保険の被保険者として帰り咲かせること。
  フリーライドは絶対に許すな!。 

学校は、何かお役所じみてた。そこは、国の代行機関としての自覚が強すぎたのだ。その目的しか頭にはないなと思った。「顧客は国(御上)である」との自覚に凝り固まっていた。高い授業料を人数分保証してもらえるのだから当然そうなっても仕方がない。あまりに「あっちら側」であることに驚いた…。(*2)

ヘッドの事務官は、四十代前半。大層立派なスーツを着こなしてた。何らかのキャリアーであることが直ぐ分かる。面接の担当官でもあって、何度かマンツーマンで話をしている。失業者である生徒達を見下していたのは間違いない。居丈高にものを言い、またストレスが、ご満載の様子だった。

「ものもまともにしゃべれない人間までもが応募でやって来るではないか!。」
「生徒らは、しょうもないクレームばかり言ってくる。何しにここにきていると思っているんだ?!」
「遊びでお前らは、ここに通わしてもらっている訳ではないんだぞ!。」

なんの思いやりも、共感も、彼にはなかった。
差し向かいに座り、うつむきながら、この男に相談することは絶対にするまいとボクは思った…。


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Re: 「パリサイ人のパン種とサドカイ人のパン種に注意しなさい」by 御主。

パン種はイースト菌のこと。これによって驚くほどにパンは膨らむ。
デカくなる、強大になる、広く浸透してしまう、と言ったことの暗示であろう。

パリサイ人には、ある傾向性がある。旧約の教えを絶対のものとする。先祖から守り伝えられたルールを
厳守することによって共同体は保たれる。これを逸脱する者には非情なる裁きをもって臨む。
要は『真面目』に過ぎる人達。

サドカイ人は、権威主義の人達と呼びたい。この場合の権威とは、モーゼ五書のこと。これ以外に、新たな権威/霊性の登場は認めたくないといった趣向である。ある種、現行の秩序を堅く守りたい人達。

この二者において代表される傾向性に、染まってはいけないと主は教えられた。
それらが強力な支配力を共同体に及ぼすことになるであろう事と共に…。

聖書にある記録で、具体的な事例を見てみよう…

パリサイ: 
安息日に働くことは禁じられている。その日にイエスが人の病を癒した。
これを労働であるとして槍玉に挙げた。

サドカイ: 
救世主の登場の預言があるにも関わらず、イエスがそれであることを認められず、
揚げ足取りに汲々とする。しょうもない問答をふっかける。

さて、何が問題でしょうか?

彼方で起こった他人事と観れれば、『オ・ロ・カ』『バカじゃないの?』との思いを持たれるのではない
でしょうか。でも、もし自身が、その共同体の一員として生活の基盤を据えていたらどうでしょうか?。
あの『排斥』が、あの『裁き』が、『当然じゃん』、同じく『殺してまえや』になってしまうやもしれないのです…。

理由は、その共同体において「社会的な立場/身分」と「生活の糧としてのお金の入り」に執着/執心/拘泥していることだろうから。組織の為に、身も心も捧げ、染まりきってしまっているだろうから。そうでないと立場が収入が危うくなるから。男性の場合は真面目であればあるほどそうなってしまいやすい。女性は受け身であるが為に自然とそうなってしまう。

ヒトは生まれ育った環境に間違いなく染まる。先ず、両親の影響が大きい。そして、周りの人々からの感化だ。無意識に取り込みは為される。これが「社会化される」の実際である。御者の雛型は間違いなく両親であろう。

「模倣」と「取り込み」が、本能的な生存への適合戦略であることも大きい。基本、「腹センター」の
機能だ。ここをベースとするタイプでは殊にこれが強く現れる。O型もそうだ。原始的な血液型である所為か?。手本が、有効な形が示されたなら、後は自分が制圧して、開拓者は排除されてしまう。奥さんもこのタイプ...。

人格を構成する目的でも取り込みは為される。これは外に向けての行動様式が必要だから。社会的に価値とみなされる考えや対象が何であるかが探られる。言葉にて表された観念(思想)なんかも魅力とされる。
ブランドなんかの持つ魔力がアクティベイトされる...。

何らかの立場を獲得する事、グループのリーダーになり(そしてあり続ける事)に皆汲々としている。
そして、社会的に貶められる、辱しめられる、批判非難叱責をどれだけ嫌がっていることだろう...。
反対の立場においてはなんと快を覚えていることだろう...。

治世においては、「飴」(恩賞)&「鞭」(刑罰)がことに有効である。BC250頃に『韓非』が自著の
「韓非子」にて気合い入れてこれを説いている。時と場所を違えども、普遍的にことは同じに思う。

結果『器に沿ってあれ、寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、規則の尊守/厳守が我身を守る』等々が
処世術となる。盲目的な自己保身の様ばかりである。(これから自由にさせるべく人生のドラマは用意される。第二の河へと渡らせるべく。自由選択。)

脱線するならば、ユダヤ人と同じく、日本人は、この傾向性が「メチャメチャ」に強い。そして両者ともにとても賢い。裏返せば、それだけ民族としての団結力があり、集団的な力を発揮するこができることの証。この底力を恐れたが為に、骨抜き工作としての介入が戦後、徹底的に長期で行われてきた/いる。

秩序を奉じることは正しい。(ボクは元来は強烈にそういうタイプである。)しかしオンゴーイングとして、真の意義(聖性)を欠いたものならば、それは虚構のシステムでしかない。大樹から切り離されたものでしかない。本来の目的を逸した上辺の真似事、ナンセンスとしか思えない。
誰も本当には幸せになんかできゃ〜しない。



『愛』が最上位の価値であると宣われ、主はそれを身をもって示された。
最上位たる存在が、最下位等に、その命を投げ渡された。
人類を救済する為の契約の証として。
『律法を完成する』との声明の元に...。

振り返って見れば、モーゼの頃から人々は神を恐れていた。
直接仰ぎ見ることに怖気付いていた。
畏怖してしまうのは当たり前。空恐ろしい存在でしかない。
だけど、無視すること、代用品で誤魔化すことは、絶対にできない。してはいけない。

求めはあまりに過酷ではある。
現世利益を餌にはされない。
死んでからの大樹への帰還が本来の褒美とされている。

…………。

部が悪いので一つ言っておくと、人生は ”有限” なのだ。

無限なる期間に関しての考慮は必要なのだろうか?。

これは各自の個人的な(孤独な)判断にしかありえない。」


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Re: クラスに集っていた人達。

教室は広かった。すっごく。二人がけのテーブルが横に四列。後ろは何列まであったのか分からない。
五列六列以上は確実にあった。ボクは左端の前から二列目の席にいた。だからあまり後方部には目が
行かなかった。

演台に立った講師は年配の女性ばかり。女盛りもいいとこくらいで、皆大層元気で逞しかった。
業界でのキャリアーは長く、責任者の立場も当然経られてきている。印象として際立って感じたことが
一つある。みなさん、やけに存在感があったってこと。広く世を見渡して見ても中々にいない。

彼女らにとって、講師としてのお立場は、魅力あるものであったと思われる。給料良かったんじゃないかな?w。語りにおいては手抜きは一切なく、溌剌とされていた。しかし、内容的には、あくまで上辺に留まり、「余計なおしゃべり」が大半を占めていた。しゃべる、しゃべる、止めどなく…。
でも、これは致し方ないことなのだ…。

ヘルパー二級の資格をとることはあまりに簡単だった。授業参加だけで取得は十分足りてたのだ。
まともな筆記試験など一切なかった。厚生労働省としては、例え、あくまで、上辺の教育となろうとも、
これを受けさせてから『現場に放つ』しかなかったのであろう。これも体裁の整えでしかない。

実際を経験しないと分からないことがある。実戦を経ることなくして理解されることは実は殆どない。
何においてもことは同じではあろうが…。

長くこの業界で飯食ってきた方々にすれば、長のカリキュラムは「みんなで楽しく過ごせれればいいじゃない」ぐらいが関の山であったのであろう。上位の資格、介護福祉士やケアマネの資格を取るための講習ならば、また対応は当然に替えられていたと思う。見事なエンターテイメントを披露して下さる講師もいた。(*3)

一人気になった先生がいた。やっぱり女性。仕事においてかなりの軋轢を経られてきているなと思った。
荒んだ雰囲気、鬱屈感が半端なく目立ってた。多分、所属する会社との間で、方針違いで苦慮されてきた
方だと思う。恐らくは、責任丸投げで、少ない人員で現場を回さざるをえず、そのくせ給与は安かった...。
*すべて想像で書いている。

さて、生徒さんたちについて。
もう何と言っていいもんだか…。老若男女ごっそり揃ってた。男の方がやや多かった。
大部は三十代四十代であった。ボクより年食っている方が三名ほど。これは皆女性。

教室に立ち込める騒的な雰囲気が堪らなかった。久方ぶりの学校通いということもあって、みんな学生時分に気持ちは戻ってしまってたのかな?。そのしゃべること、しゃべること、しゃべること...。
みんなストレス満載なのだ。来たくて来ている人など一人もいやしない。ボクと同じく、切羽詰まって、
将来に不安を抱えて、やって来た人達ばかりであったのであろう…。

特に中でも四十代と思われる男女二人。遠く離れた席で、関係もないのだが、クラスを掻き回さんばかりに話していた。一方が講師に向かって何か発すれば、もう片方も時も置かずして又違う話しを始める。両者とも声が大きく、語りが達者なこともあって、講師も渋々相手をされていた。男の方の発言内容は、酷く下劣なもので、自分勝手な話ばかりだった。「如何に楽してこれから先、この商売で飯食っていくか?」ばかり。講師の先生を煽てて、乗せて、自分と組んで事業所立ち上げさせようと口説いていた。女性の方は、あくまで支離滅裂としたものばかり。思いついたことなんでもぶっつけていた。こう言ったことは、二方に止まらない。彼方此方で固まってある自然発生的なグループからは、いろんな発言が、叫びが、飛び交って起こっていた。すべて、あくまで、「なんか言いたくなったから、発言しました」としか思えなかった...。

追記:

*1):ある日いきなり監査の名目でやってきて、長々と時間が取られる。書類の不整備等をほじくり返される。細かな、どうでもいいことを指摘される。そして、何となく、本意としての監査の理由が伝えられる。認定取り消し等の脅しが掛けられる...。*これは想像で書いている。

*2):昨年初め、とある職業訓練を受けようとした。以前と同じく試験と面接があった。四回ダメで諦めた。試験は満点近かったが、面接で落とされていたのは間違いない。若い人に人気のあるコースだった。

*3):持ちネタとして『腹、掻っ捌いて』があった。印象強かったのであっちで採用させてもらったw。

ボクの隣に座ったいた男は、あくまで資格取得だけが目的で、授業中はずっと上の空。
仲間の誰かの就職が叶った。これをみんなで祝おうと華々しく周りに声をかけてくる。「?」。
昼休みの休憩時間には、ボクは逃げるようにしてビルを離れて、独りで過ごしていた。
ナビオの壁の穴は、この頃はまだ美味しく、ランチは大盛りでも安かった。知らなかった。
クッキーサンドのアイスクリームを地べたに座って食べていた。
実家に戻っている奥さんへと、ワゴン・セールのTシャツを数枚買った。
自分用に買ったものは、未だに現役である。アウトドアブランドのものでとても気に入っている。




蛇足:

付け加えるならば、トーカーがよくやる意訳。これも当然に問題視されるだろう。

「勝手に触るな!」「変えるな!!」
「なんの権威をもって、お前は、人を惑わすようなことをするのだ!!?」と。

『違反は、我が意志において続行される。』( by E )

蓋し、我 ”汝” に告ぐ。
若し汝の義、立法学士ファリザイ人等の其に優るに非ずば、汝天國に入いらざるべし。(マテオ)

Pharisees (III)につづく...


追記2:

イエスの教えの要点は:

『世において死ね』と『執着するモノを全て放棄せよ』である。

そして、

『非難される、批判される、バカにされる、蔑まれる、貶められる、卑しめられる、裁かれる、等を
 十字架として、耐えて、忍んで、甘んじて受けきれ』である。

これらの目的は既に明らかであろう。

根強くある傾向性から解放させるためのものだ。

助け、導きなくして、自力で、これを為さしむるは不可能。


笑って、なんでも忍べる様になる。

側で支えて下さるから。

本人にも気づかれないようにであるが...。








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