1. Family trial アネクドーツ4。

文字数 1,232文字

  伊丹空港には父が迎えにきていた。えらく怖い顔をしていた。「さっさと乗れ!」とボクに伝える。家に着くと母もおり形ばかりの気のない「お帰り」を言われる。父に「こっち来い!」と食堂のテーブルに座らされる。父母はボクの向かいに座り、早速怒りと不満をぶちまけはじめた。妹2人は側にいて聞いていた。問題はボクが〈ノータイトル〉で帰国してきたことにあった。また父からすると、ボクがおかしな具合に変わり果てているのではないかとの危惧があったのだろうと思う。父には、そういったことは不名誉きわまりない出来事で、それこそ耐えきれないことであったと思われる。語りは殆どが母親の独壇場だった。それは激しいものだった。「お前はなにをやってもだめやな」「小さい頃からそうや」「だいたいがだらしない」「なんぼお金使ったと思っとんねん」「どんだけ親に恥じかかしたら気すむんや」......。ボクは割と落ち着いて話を聞いていた、答えるべきことには淡々と答えていた。お詫びの思いも言葉にして謝罪を心から伝えた。そして、あちらでの生活について、そして一刻も早く日本で働きたく思うようになって帰国してきたことを伝えた。ややこしいことは一切口にしなかった。しかしボクが(問題のない範囲で)語りをしていくなかで母親の中の”何か”がいきり立ち始めたのが分かった。先ほどまでとは、また違った怒りの色合いが混ざり込みはじめた。ボクの状態をそれは察知してか「そのような権威を私は絶対に認めない」とばかりの反発に感じられた。論点が、言っていることがズレていくのが分かった。恨みつらみの現しも度外れた、極端に激昂したものになっていった。えらいのを(母親は自身の中に)飼っているなっと改めてボクは思った。*これが「かの人を有罪にしてくれ」と叫んだものなのだなと思った。ボクは静かにただただ聞いていた。だいぶ時間が経過してから自然と家族会議は解散となった。父親は「よくあんな所(アメリカ)へ1人で行って生活できたな」と最後のほうで言った。あとで聞いた話では父はボクがこの時「◯懸かっている」と思ったそうだ。すぐに自分の心配は杞憂であったことが分かって安心したのだった。最悪の状態でないことだけで取りあえずホットしたのだと思う。

補記:
父はあまり今後についてをボクに尋ねなかった。これは不思議だった。あの場でも殆ど語らなかったし。大抵はシンクロして二重奏の糾弾劇にいつもはなるのだが....。父はなんらかの形でH先生からボクと会ってみての感想を既に聞いていたのだと思った。また、ボクが帰国を言い出したことを伝え今後の面倒をも見て頂ける様にお願いしていたのだと思った。実際その通りだったことが間もなく分かる。


こういうものには絶対に反応してはいけない。転写が起る。それを下の妹にはしっかり伝えてあったのだが彼女には理解されず反発を繰り返し結果、あの母を多く写した存在になってしまう。本人は気付いていないだろう。


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