12. Like  Johannes 教会にて。

文字数 1,524文字

  高野教会は高野の交差点からは西へ歩いて7分程。アパートからは10分程のところにあった。とりあえずは川向こうで別界隈である。歴史のあるカソリックの教会だった。聖堂は1940年からのものだそうだ。敷地には緑が多く、素朴にしてその佇まいはとても立派だった。日曜のミサへの参加では、後ろかか左列、最後尾(木の長椅子)にボクは座っていた。ボクは大きな声でこの聖歌を歌っていた。

    憐れみの賛歌(Kyrie eleison):
      「キリエ、エレイソン・クリステ、エレイソン」
      『主よ、あわれみたまえ。キリスト、あわれみたまえ』

  ある頃から、ボクの隣に背の高い若者が来るようになった。ボクより五つ程は若い。
ミサでは歌が多いのだけれど、彼はボクに当てられて歌うようになっていく。ボクを意識して
しまい、更に大きな声で歌うのが形(パターン)になってしまう。調和がないのでボクは圧迫
されたように感じてしまってた。熱心なのはいいのだけれど、こちらとしては望まぬ状況だっ
た。こういう場合は、男の世界にはよくありがちな、負けじとばかりにこちらも頑張るという
あり方もあるのだが、ボクはそういうのは苦手だ。

  洗礼者ヨハネ:『あの方は栄え、私は衰えなければならない』。

ボクは「よかろう」と、自身を弱め、あまり頑張らないように気配を消して歌うように努めた。自分の楽しみは薄まってしまうが、これで良しとした。


[1990.12.2]は、降誕節、第一主日であった。ミサが終わって屋外にでてくると、子供達が沢山待ち構えていた。一人の女の子が一目散にボクに駆け寄り箱を渡してくれた。生まれて初めて他人からもらったプレゼントだった。軽いショックを受けながら「ありがとう」とこの小さな女の子に伝えていた。女の子は笑って皆の元にまたすぐに駆け戻っていった。この日のパンフレットは今も大切に額に入れてとってある。





その扉絵の右には一文が添えられてある。






これの扉絵のイエスはボクのイコン(聖画像)となる。ビザンチン調の落ちついた男らしいイエスである。一二六〇年 アトス ヒランダー修道院とある。かなり先に、ネットで画像を見つける。画像拡大ソフトで大きくして、ヨドバシでプリントアウトする。額で飾り、ボクのパソコンモニターのかなり上方に現在おられる。

http://www.hilandar.info/strana_sr.php?strana_id=241#prettyPhoto




その左手には三位一体。その右手にはグルジェフ。
下段にも三枚。左から、涅槃図、カーラチャクラ、六道輪廻。




追記:

この絵のすごいところは見る角度によってそのお顔の印象が違ってくるところにある。
イエスを仰ぎ見て、そうしてこそ、然るべくしてのお顔になるよう計算されている。
以下に、その確認のために三枚ご用意させていただきました。








そして…近づいてじっと見ると、やっぱ、それは単なる絵なんだ。
そして、なんとはなしに面長に過ぎるように感じてしまう。
それがだ、距離をおいて見た途端に、命の宿った画像となってしまってる。
面長も少し縮まって丁度いい感じになるんだ。

そんで、自分はあまり見線はあげないんだけど、表情もいろいろあるんだ。
また声としてではまったくないんだけれど「よい...」とか「よし」だとか
張り詰めた沈黙をもってしての否定、つまりは「止めよ」「駄目だ」のサインを
伝えて下さる。いろんな言葉にはならない、しえない、主としての思いを
見上げると送ってきてくださるんだ…。

ご自身に合うものを一つ、掲げられておくことをお勧めしておきます。


天村



上記写真を更新(21.12.2nd)
現在はトリニティがマリア様に代わってます。


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