11. Happy Moments+ 幸いなるとき...。

文字数 2,693文字

  Re: 放蕩息子の帰還
  かなり時は遡る。ボクがアメリカから帰ってすぐぐらいのころだ...。時を伺い、ボクは父を散歩に連れ出した。「ちょっと散歩にでもいかない?」。父は少しも迷うことなく「よし、行こう」と応じてくれてた。*こういった機会はこれまでには一度もない。近くの公園に行った。そこには立派に育った藤棚のベンチがある。そこに二人して腰掛けて話しをした。なにを話したのだろう...。ボクは、あらためて父に、これまでのことを詫びたかったのだ。Chicoで尚子さんとういう人に会ったこと。この人はボクの命の恩人であることを話した。「今ここにいるボクは昔からいたのだけれど、出てくることができなかった」こんなことも告白していた。父は頭がいいので、委細は承知してくれていたようだ。『そうなのか..』『それは善かった』と言葉をくれた。父の台詞は、これだけだったと思う。彼は、ボクに昔から、すこし厳しくし過ぎたとの自覚を持っていた。【息子がオカシなことになっていっている】という認識も当然あったはずだ。だが、彼には如何ともし難い、手の打ちようの無いことであったのだろう。これを、なんとかしてくれた人との出会いがあったとの報告を息子はしているのだ。
『これほどありがたいことはない』と彼は安堵の思いで聞いたことだろう。
「これからは(ちゃんと)頑張るわ」とボクは誓っていた。

不思議なことにボクは、父を「おとおちゃん」と呼び出していた。
このことを会社の年輩の同僚に話すと、『素直になったんやー』と言われた。

  父母は伊豆に別荘をもっていた。毎度、彼らは東京にでる前には、いつもここを使っていた。東京に支店があるのだ。一度、夏にボクも一緒につれていってもらったことがある。両親の会社に入って、まだ間もない頃だ。親子三人だけだった。伊豆急行線の城ヶ崎海岸駅で降りる。線路際に、野ざらしで車がおいてある。”ボロンボロン”の軽だった。これに乗車するのには勇気がいる。二人は、まったくの「平気の平左」のようすであった。翌日の昼にランチを食べにいくとのことで、あの車に乗ってでかけた。目的地は『川奈ホテル』であった。《入城》し、あの両翼でかばうようにある広い駐車場に車を停める。出迎えの従業員達がそこいらにいる。行きも帰りも、ボクは羞恥の思いに苛まれてしまっていた。これは、ボクだけの話し。父母は『なんのことかさっぱり分からん』といった風な、平素とまるで変わらぬ、いたく自然なようすであった。ボクは、『あの二人の子』であったのだと、いくつになっても感謝の念と同時に、この時ことは思い出される。

  東京にはマンションがあった。京浜東北線の上中里が最寄りの駅だ。近くには、旧古河庭園がある。ある時、ボクは両親とここで寝泊まりをしていた。仕事も終わり、マンションにの近くまできたが、すぐには帰らず、近くの競技場の観覧席で休んでいた。するとグラウンドの、西からは『父』が、東からは『母』が同時にやってくるではないか!?。この日は、三人とも別行動であったのだ。やがて、三人は一緒になって、いつもと変わらぬ会話をかわしながら、マンションに帰っていった。ボクは、驚きと同時に、何とも言えない幸せな嬉しい思いで一杯だった。

  平成2年、大阪であった「花の万博」。これに父母ボクの三人で行っている。ボクは28歳。同じく会社に入って間もない。どう考えても天の贈りものとしか思えない。ボクには、とうに失われていた『家族の団らん』というものを備えてくれていたのだろう。この時を”花々”で飾っていただける。

そして、そう遠くない未来に、思わぬ【父の退場】という事態が到来してしまう...。

  抜粋:
  神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
  神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
  しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで
  見きわめることはできない。(旧 伝道の書 3:11)



★ここからは、筋か違うエピソードになる。

 母関係だ...。

  母は、心霊関係の先生巡りをよくしていた。一人では心細かったのだろう、ボクをお伴にしたことが四回ある。嫌々であったが同行をした。母は、ボクの頭の中のことも「私にゃ〜よく分からんが、相談事の一つにはしてあげよう」ぐらいには思ってくれていた。

  一人目:大阪だ。”神気”漂う、加湿器がバンバン稼働するマンションの一室である。おじいさんがいた。彼は、ボクの頭の上に、『でっかい石がのっている〜!』と言った。ボクに興味をもたれたのか、また来なさいと言われる。母次第になるなと思った。以降に訪れる機会はなかった。

  二人目:和歌山のどこかだ...。立派な和風のお屋敷の玄関内で、年輩のとてもしっかりしてそうな女性が対応してくれている。最初にいきなり「あんた、えらそうやな〜」と、なんの気遣いもなく嘆息気味で、母に、こう言われる。また、ボクには関して「この人は、◯○◯さんの生まれ変わりや」とトンデモナイことをさらりと母に言ってよこす。母はプライドがいたく高いので、このような当たりをつけられたことにより、二度と、ここへの訪問をすることはなかった。

  三人目:東京だ。とんでもないペテン師だと、ボクは会うなりすぐに思った。マンションの一室、男は「質問があったらなんでも訊いてきなさい」とボクに宣う。おそらくは、怪しげな知識、理論を山ほど蓄えており、討論には自信があるのだろう。ボクは「質問は一切ありませんと」と答え、「だんまり」のまま、ただ時が過ぎ行き、ただことが終わることだけをひたすらに待っていた...。

  四人目は別途いずれか..。


補記:

三人目の話しは、父が亡くなってから、だいぶ後のできごとだ。母は、経営の不安感からか、元々「ああいうもの」への関心が強かったのだが、さらに輪をかけてこれに重きをおきだす。会社には怪しげ専門家たちが、都度登場してくることになる。ボクには、これは「いかんともし難い」ことだった。なぜなら彼女は、ボクには信頼をおけず、更には〔ライバル視〕してしまう。つまりは、自分の今ある社長の座を奪おうとする者として意識をしてしいるのだ....。

抜粋:
だれが知ろうか。影のように過ごす虚しい " つかのま " の人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。
(旧 伝道の書 6:12)
  
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