12. The servant’s cross  お墓がらみ。

文字数 4,268文字

  吹田ICから近畿自動車道で南に下り、松原ICで降りれば妻の実家近くになる。南北の縦線、約30Kmでビシッと結ばれている。この高速があるおかげで、車を使えば両家の隔たりはさしたる距離とは言えなくなる。ドアトゥドアでものの40分程。(しかし電車で行くとなれば、軽く120分は越えてしまう)。この松原インターからさらに奈良方面へ高速で向かえば、二つ目の出口が羽曳野霊園へのアクセス路となる。つまりは妻の実家近くにうちの墓があるのだ。これらの位置関係も不思議な符号としてボクは思われた。嫁の実家近くに父が眠っている...。小高い丘の頂上の平地に霊園は開かれ、まわりはブドウ畑が延々と取り囲む。見晴らしは素晴らしいものがあったがなにぶんにも寂しい場所ではあった。

  この墓地が購入されたのは父の死後のことである。母の自慢は、なんでも墓相の専門家としてトビッキリの方の介添えですべてが整えられているとのことだった。念仏を心に唱えながらボクは彼女のその話を聞いている…。脳裏では飛んで逝ったであろうお金ことを思い、虚しい限りであった。またもや新たな、その手の専門家の登場であったわけだ。しかし基本、これは彼女の好きなようにすればいいだけの話である。ご先祖の皆様方にとっては、(母は)『とても有難いことをしてくれた』との思いに尽きることだろう。さぞかし感謝の思いで、事の成り行きを見守られておられたに違いない。そこの相場をうかがう限り、ボクではとてもではないがおいそれと踏み切れるような額ではなかった。広大なその敷地は年を追うごとに見る見る墓石で埋まっていっていた。

  しかし、我が家の墓にはおかしな部分がいくつかあった。その最たるものが線香立てだ。御影石造りの重厚な箱型のものなんだが、排水用の加工(水抜き)がされていなかったのだ。結果、蓋の下の灰受けは汚泥溜まりの様相にいつもなってしまっていた。そんな所に線香をたてて供養とするのはいつも気がひけた。滞空時間はあまり長くもないので、最後は少し蓋をずらしておいてくるしかなかった。(せめてもの水抜きの為だ)。お参りの度に、これではご先祖さまを蔑むような設えだと思え、申し訳なく思ってた。下手に穴空け加工の手配をすることも出来なかった。後で、母から何を言われるか分かったものではなかったからだ。(身に覚えのないことで以前に難癖をつけられていた)。ゆくゆくは、然るべき時が来たらならば、ちゃんとした対策をしようと妻と示し合わせていた。あと、霊園の管理人に言わせると、卒塔婆と墓石のレイアウトも奇妙奇天烈とのことだった。【イレギュラー】もいいとこだったそうだ…。

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Re: The servant's cross、しもべが負うべき十字架について:(マタイ 10:34-42)

Don't imagine that I came to bring peace to the earth! No, rather, a sword.
わたしが平和をこの世にもたらすために来たなどと思ってはならない。否、むしろ『諍い』をである。

I have come to set a man against his father, and a daughter against her mother, and a daughter-in-law against her mother -in-law--a man's worst enemies will be right in his own home!
息子がいれば、彼は父と衝突する。娘ならそれの母に逆らう、そして嫁ぎきた娘がいれば、それと姑は対立するようになる。あなた達にとっての最悪の敵は、あなたの身内である家族となる。
わたしが来たことによりそうなる。

If you love your father and mother more than you love me, you are not worthy of being mine; or if you love your son or daughter more than me, you are not worthy of being mine.
もしあなたが父母をわたしより愛するならば、あなたはわたしの僕として相応しくない。
もし息子や娘をわたしより愛するならば、あなたにわたしの僕としての価値はない。

[Interruption ]1:

聖書には、その意味がくみ取れない謎の表現が多くあるのだが、これなんかもそうだ。
なかなかに” Controversial ” (物議を醸す)な内容ではないか!?。
自分の経験から思うことを記しておきたい。

ことの原因、また自分や相手のあり様に焦点があるのではない。諍いの原因を掘り下げ、自分への反省もしくは相手への批判をすることが求められる訳ではないと思う。家という場における相性故の好悪や軋轢にさしたる重要性はない。当然に信仰の教義(ドグマ)を活かした生かさなかったも関係ない。

単に[対立]が避けがたく準備されてしまうだけの話。世界の発現として!。これは「目に見えない」親族、血族という関係性(しがらみ)からの離脱が強制的になされる為の経験ではないか!?。目的は、(小さな枠を超えて)【人類すべて】を愛する対象として意識できるようになるためだ。そうしないとその輪の中だけで満ち足りてしまう人々が殆どだから...。否、単に逃げ場のない苦しみが用意されるだけの話し。これ程辛く悲しい体験もあるまいて。

傾向としての盲目的な封建的権威への恭順を先ずは破壊する。否応無しに状況は設えられていってしまう。愛を説きながら、その愛なるものが育まれる最も本来的な拠点において....。当人にとっては非常に辛い経験となるが、絶対に欠かす事のできない次へ至るための体験(ステップ)なのかもしれない。
ボクの場合は母と妹とのドラマが先行してあり、次いで妻と子供達の離反と荒みがこのあと控えている。
これらの事態も主の語られたままでしかない。そう受け止められている…。

If you refuse to take up your cross and follow me. you are not worth of being mine.
もしあなたが自分の十字架を負って私の教えに従うことを拒絶するなら、あなたは私のものとしての価値はない。

If you cling to your life, you will lose it; but if you give it up for me you will save it.
もしあなたが生存としての人生に執着するならば、やがてあなたはそれを失うこととなるだろう。しかし、もしわたしの為に人生を捧げるのなら、あなたは命を救うことになる。(38-39)

[Interruption ]2:

ボクへの求めは『会社への未練や執着を捨てよ』に尽きる。もし失われた立場を取り返すべく、なんらかの努力を行っていれば、大きな損失が次には控えていたのだと思う。場合によっては、さらなる失念から本当に命を失う事態にも至り得たかもしれない。

『主のために』(~for me)云々は、いつもその言葉がシックリこない。決して主の為を思って何かを選んだり行ったつもりがないから。結果として、いつも、その言葉(give it up :諦める)でしか、身や心の処しようがなかっただけに過ぎない。
ただの意気地なしかもね...。
感じとしては、だんだんと虚ろになっていく。弱っていく。
  
The servant's reward:
Those who welcome you are welcoming me. And when they welcome me they are welcoming God who sent me. (略). And if you give even a cup of cold water to a little child, you will surely be rewarded.
あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れたことになる。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。(略)。もし、わたしの代わりとして、幼き子の一人に、水一杯でも分け与えてくれたなら、その人が報われずに捨て置かれるようなことは絶対にない。(40-42)

[Interruption ]3:

最後の内容においては....
読んでくださる皆さまには、主が間違いなく報いてくださることを確信しております!。
いつもありがとうございます。


[ All 意訳:byMe]


追記:

墓石に彫られた父の戒名の一部に泥が塗り込められていたことがあった。夏場のことだったので原因は多分、昆虫の仕業であろう。だが母はボクの仕業としてえらく非難をしてきた。船越さんを経由して事情聴取があった。そんなことするわけないではないか!。誰かの耳打ちがあったのは間違いないだろう。

あの墓地においては、墓相の専門家と比叡山から供養のために来られたお坊さまとの間で一悶着が墓前にてあったそうだ。心変わりの金ヅルを逃さんとして、その場へと乱入してきた専門家。なんとしても妨害の必要があったのだろう。母と妹の味わいはひと塩だったであろう。故人の嘆きはいかほどにでしかない。

最終的に、すべての故人は比叡山にて永代供養とされるよう母は段取りをつけていた。よって空っぽの墓地だけをボクは相続することとなる。買いは超高額さらに始末にもお金がかかる。管理料はまた高いときた。どうするかは妻次第。

独り言として...、他人に辛くされるのと身内に辛くされるのとでは、どちらがマシなんだろうか?。ボクとして身内の方がまだ受け入れやすいはあるかな...。

主客の二元性が破壊され、神の子を最上位の中継としての三元性への再編成がくる。愛があれば主客の隔たりはなくなり、そこへは**も合流される。これが契機。そして、やがて主体(自己)が死ねれば、本当のドテンがおこる。地に落ちたる種...。
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