7. Forward Coordinate アネクドーツ7。

文字数 3,073文字

  次章から、話はボクが両親の会社に入ってからのことになる。三部構成。ここからのドラマは、かなり象徴的なものとも言える。まず[Pt.1]は社長であった父が亡くなるまで。*入社して数年後といった割と短い期間でこれは起る。父の夭折後は母が社長になる。これ以降が[Pt.2]。そして社長である母が、ある事情により、ボクを排斥し社外へと追い出す展開が[Pt.3]である。

概要としては:
[Pt.1]:会社の問題とその解決の営為。
[Pt.2]:会社の乗っ取りを図る人々との戦い。
[Pt.3]:お家騒動を原因とする、故なき断罪と放逐の流れ。となる。

  会社の乗っ取り、お家騒動も含め、父亡きあとのボクの身の上は、かなりに不遇なものになっていく。上に「象徴的なもの」との言葉を使ったが、その意味は、これからの展開は、聖書にあるドラマを、かなりに矮小化されてはいるが、[なぞっている]とも言えなくもないからだ。*それも、未だ前奏曲なものでしかないが...。「イエスのあとを、同じく辿(たど)ること」が、キリスト教徒としての定めなのかもしれない。ならば「幸いであった」と自分は思わねばならない。これは、やがて分かること...。いつか感謝をすることになること...。この世を去ってからは間違いない?。
  

本町編の補完:

  住むべき所を父親に相談した。会社の書類関係を収納しているマンションがあるので、そこに住めばいいとのことだった。江坂と緑地公園の丁度真ん中、御堂筋の側にそれはあった。車を使えば、事務所としての便はいいのであろうが、人が住むには適していなかった。内も外も殺風景、まったく生活感を感じることのできない場所だった。*室内はダンボールだらけ。まあ家賃はいらないかったので、そこは恵まれていた。

  ある夜、マンションに帰って、黙示録を読んでいた。おかしな没入感があり、自分が平素とは違っているのに気付く。自分の中の[何が]これを読んでいるのかが分からい状態になった。この後、眠りにつくと金縛りにあった。人生で初めての体験であった。

  座禅は続けてはいたが、先にも書いた通り、不完全極まりないものにしかならなかった。ただ、これもプロセスの一環と思い、続けていた。助けになるかと、音楽を聴きながら行ってみると、音像が立体的に感じることができた。これが「音がみえる」のことなのかと驚いた。*昔、オーディオのコピーでこんなのがあったのだ。大阪に移ってからは断食をすることも、鞍馬へも、教会へも行くことはなくなった。だが、毎日の祈りは欠かさない。

  

付録:

社会人としての生活において、よく思い起こし、意識する規範をあげさせて頂きます。ほとんどは、あの金眼の[おばば様]の語ったものです。少しコメントも添えましたが、これはあくまで独り言です。お気には、なされないで下さい。

*できるだけ自分を人の後ろにおく(自らへりくだる)。
「前へ、前へ」が人の性なのだ。よって、これは簡単。自分のプライドを捨てればよいだけ。捨てたとて別段、問題は自分以外にはありません。なぜか自分が弱まるのが難儀なだけ。また、道で進むにおいて人と鉢合わせになったなら、「では、どちらへ」を問えばいいだけ。相手が右なら、こちらは左へ。

*自分のことをなるべく語らない。
人は、本心としては、他人の優れていることなどに関心はありません。逆に、自分が、なにがしか褒めてもらいたいだけ。むしろ人への思いやりとして、聞いてあげるのは大事かも。

*つまらない好奇心をもたない。
「下司の勘ぐり」、「どうでもいい」、「知るに値せず」。陸(ろく)なことがないので話としても巻き込まれないほうがいい。もし自分の心が動くようならば、これを切る。

*他人の問題に手をださない。
これは重要で、以外と難しい。英語の定型句 [Non of your business] が、なぜあるのかだ。「関係ない」が客観的な事実なのだ。なのに、これが分からずに参与してしまう。結果、訳の分からない地平に行ってしまう。回りは正すのもバカらしいので、当人は放っておかれる。何故わからない?。まるで、自分が偽善者であることの自覚がないかの如し..。

*他人の過ちを大目にみる。
人の落ち度や失点を突くのがみんな大好き。でも自分は同調しないで、欄外に逃れましょう。裁定者としてあるときは、自分が[同じ立場に落ちるいる]ことの可能性を考えましょう。自分には厳しくしても問題はない。

*身に覚えのない非難も甘受する。
別に、いいじゃないですか。失点の一つや二つ、ただでくれてやっても。甘受するは、以外と難しい。自分を捨てなけりゃならない。すぐにケロリと忘れられます。

*他人の求めに譲歩する。
これも、とても難しい。大体、受益者でもない者が、独善的に我意を通して物事のあるべきを決めてしまっていることが多い。また向こうも、優しくすると際限もなく付け上がり求めはじめる。客観的に、どの辺がバランスかを毎度、現場は見切れなければなければならない。少しずつ、ブレーキを踏み踏み、キャパを広げていくしかない。我意を捨てるに尽きる。当然、最終は全てだ...。

*侮辱されたり、悪口を言われてもおこらない。
*無視されたり、忘れられたり、軽蔑されても怒らない。
こういったことは、さんざある。感情が反射的に反応するので、これに介入をする。怒りを止める、捨てる、殺す。がっかりしない。練習する機会は山のようにある。

*まわりからの賞賛を求めない。
これへの飢えは、根深く、強い。ボクは天の神様がいなかったら、とうに折れている。彼だけが知っていれば十分。また自分は、当然知っている。その奮闘を、努力を。

*議論において自分が正しくても言い張らない。
別に拘(こだわ)る必要はない。バカらしいから、無用な議論は避ける。長くみれば、正解に間違いなく収斂する。その時にも沈黙する。

*奪いとろうとするものに抵抗しない。
これは、本当に難しい。また、とても悲しい。できない。せめて、手を打つことは怠らないが、それでも駄目なら、そうなることが天意として諦め、受入れるぐらい。

*盗まない。嘘をつかない、人を傷つけない。
とてつもなく根深い。ストレスに晒されて初めて、自分の性が、いかに酷いものでかが分かる。自分が、盗む者、嘘をつく者、傷つけることに無頓着であったり、楽しんでいる者であるかが。そして、これらは根本的に消しがたいものだ。超長期を覚悟せねばならない。

*いつも最も困難な道を選ぶ。
勇気がいります。これは「狭き門より入れ」のことなのだと思う。意外と実りは多く、思う程、大変ではない場合もある。安楽を捨てる。

*あなたを害するものの為に祈りなさい。
怨まない。呪わない。「改まりますように」と祈ってあげる。小さな苦しみ、大きな見返り。彼方での営為にて。

*◯◯に「◯○だ」と言ってはいけない。
絶対にダメ。堪えて、ただそうなのだだけでいい。

以上。

そんな大層な話ではありません。日常の、人との関わり合いでは、出番がとても多い。長く続けていくと、やがては慣れていく。旧来のパターン(癖)は、ただの反射運動にすぎない。これに新たなプログラムを持込んでいく。これしかない。孤独で、当てのない営為にしかならないが...。ご参考までにあげました。ありがとうございます。

〈了〉







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