2. To Taiwan 黒い角A。

文字数 2,607文字

  会社には海外部なる部署があった。最古参の社員の一人であるNと銀行出身の若い男性社員、二人だけのチームである。若手は[船積み業務]と[L/Cの決裁]を担当していた。Nは、よく台湾に出張をしていた。研修の名目で、彼に同行して台湾に行くことになった。

  「なんじゃ、この男は...」。色の浅黒い老獪そうな、この台湾人と会って、即座に[黒い角A]とコードを付けていた。台北の校外、薄汚れた小さな工場の来客室だった。彼は、この工場のオーナーとのことだった。しかし本職は銀行業の方で、こちらの経営は人に任せているだけとのことだった。その晩、彼の主催の夕食会があった。食べた台湾料理は、信じられないぐらい不味かった...。
  Nは、ここへの技術供与を金銭代わりに、AAAが経営参加する話を進めているようだった。お金を出さずに経営権の一部を握る?。なかなかスマートで、格好のいい話だ。ただ、「相手見て話を進めているのか?!」とボクは思わずにはおれなかった。「人を見る目が無いのか?...」。ボクの”彼”にたいする直感は、こちらが「喰われて終わるだけ」のマッチングだったのだ。ここにも現実離れした頭だけの策士が、会社の代表の如く振る舞っている様子に腹立ちを覚えた。*やるなら全額自己資金でゼロからやるのがベストでオンリー。

  帰国してすぐ、「止めたほうがいい」と父に伝える。Nには「ボクが知る台湾人がいるので、台湾での新たな展開は、この人の意見も参考にしてはいただけませんでしょうか」と一時の時間稼ぎを企てた。社長の息子との立場への配慮のため、簡単に無視をするわけにもいかず、Nは、少し話しを進めることを保留するとのこととなる。ボクは、しばらくは、AAAの様子伺いで静かにしていたかったのだが、そうもいかなくなった。ある種、会社の危機と判じたのだ。「Nの進める、この話は潰さなければならない」と思った。”陳◯宗”を早々に登用することを考えていた。

  父の会社AAAの始まりは、重合ケミカルの製造販売だった。最初、製造は外部に委託をしていた(OEM)。製品の用途は不織布の特殊な加工だった。会社は高度経済成長の終わりごろにスタートしている。この時には、ある追い風が吹いていた。日本の内需も景気が良かったこともあるが、海外(台湾etc)からの注文が「どんどこどんどこ」入ってきていたのだ。何故か?...。海外の加工場は、ケミカルだけは[メイドインジャパン]に拘っていたからだ。向こうは、日本品質をベンチマークに、猛烈なキャッチアップを日本に対して押し進めていた頃だった。ケミカルの製造自体がマイナーで、競合が少ないことも幸いしていた。当然大手もいたのだが、海外からの、製品のモディファイ(調整)の依頼は断っていたようだ。「ボリュームが大きくないと受けれない」、「できれば標準品をがんばって現場で使って下さい」といった姿勢が当たり前だった。よって小回りの利く、近似品を作れる会社に出番が回ってくる。*日本国内における実績や知名度が、あまり関係しなかったのがおもしろい(笑える)。しかし、これは初めのころだけのの話だ。やがては、海外はケミカルの内製化をも始める。特殊品を除いては、お役目御免の扱いに変わる。

  海外部は台湾にケミカルの原料売りを行っていた。利益率(3%)は低かったが、相当数量を輸出していた。これは本当は屈辱的な話だ。台湾に内製化を果たされ、これへの原料供給をしているというのだから。さらに、AAAがこの役を担っていること、これもおかしな話であった。原料メーカー自体にも彼らの海外部があるのだろうに。何故にうちを通す必要があるのだろうか?。Nの部署の主たる売上は、これだけだった。

  AAAには四部門、四人の長がいた。Nはその1人だった。技術畑の出身。他の社員に対しての求心力が”なぜか”あった。しかし、ボクから見ると、彼は典型的な[AAAマン]であった。ただの専門知識に過ぎないものにおいての優越感に、あぐらをかいているだけ、異常に高いプライド、それを満足させる為に(無自覚に)アレやコレやを考えているに過ぎない自己中心的な人間。*「多いんだこういう輩は...」。しかし、こういった顔を、彼は決して上辺には現しはしない。ある種の洗練度は見事に備えてはいる。彼は単純な面もあった為、バカな台詞をボクに聞かれている。「ここは伏魔殿や」と、ほくそ笑んで言っていた。AAAのことだ。自分は、そこでの強者だとの自負心があるとの含みがニュアンスにはあった。「God damn it !!!」

  ではボクは何だと言うのだ?!。「単純に考える人だ」と答えよう。このボクからすると、スマートな技術供与での経営参加などありえないし、原料売りなど、やがては製造メーカーによるエンドユーザーコントロールで、一瞬にして商売は消え失せるものでしかなかった。*実際、三年後にそうなる。このボクからすると、彼には『泥にまみれて、恥辱にまみれても、事を成し遂げていこう』という[気概][誠実さ]、『正道を、あくまで行う』そのための[勇気]が決定的に欠けていると思わざるをえなかった。会社を、他の社員を”現実的に”慮るひとには思えなかった。これは彼が技術者であったが為ではない。そのようになるように育てたのは、会社の責任なのであろう...。

  Nと、二人っきりの台湾紀行は、いたく精神を消耗する流れとなった。彼にとっとてもボクは気に障る存在へと移っていっていたからだ...。台北の街中では、よく痩せ衰えた野良犬を見かけた。食物屋が多かったので不思議に思った。そして、その理由に思い当たった。「喰われんように痩せとんのとちゃいますか!」。二人して笑ったのは、この時限りであった。

追記:

昔からNに対する母の愚痴をよく聞いていた。
「なんにも成果を上げてもらえなかった」
「海外出張手当だけで、家一軒分をもっていかれた」などである。

父は、起業時からの社員ということからか、何もこの愚痴に対しては言葉を返しはしなかった。平伏されていたこともある...。

皮肉なことに、Nは、他の技術マン達からカリスマ的な信頼があった。これ故に、父は海外部としてのポストをNに与え、出来るだけ社外にいるようにしていたのかも知れない。

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