13.【Epitaph】 ことの顛末。
文字数 1,749文字
うちは昔からマルチーズを飼っていた。何代目かの「リリー」は特別だった。ずば抜けて賢かった。珍しくボクを好んでくれる。失うことの悲しみからか、ボクはもうワンちゃんとは距離を保つのが常だったのだが...。なんら怖じけることなく、ひょうひょうと小首を傾げて見詰め返してくる。淡白にして、とても品がいいマルちゃんだと思った。家族もみんなこれに気付いていて、とても可愛がっていた。
この子がある時に乳がんの診断を受ける。ボクは、穏やかに、これからの余生を送らせてあげたいと願った。しかし母は、あれに手術を受けさせてしまう。どれだけ小さくて繊細な生命(いのち)だと思っているんだ。実家で帰りを待つ.....。” 魂だけ ”で、
ボクの元に飛んで逃げてきた。なんともしようがなかった。こぼれ落ちる...。
このリリーは、ボクがアメリカから持ち帰った聖書[ Lindsell Study Bible ]の角を噛んでボロボロにしてくれたのだが怒れなかった。この本は古本屋で買って$10.00 だった。今も持っている。大切な逸品なのにー。よりにもよってである。
Re: ことの顛末。
平成10年、父は膵臓ガンで亡くなる。一度は手術を受けて、奇跡の生還をおこない会社にも戻っている。しかし一年少しで再発。再入院となる。そして二度の奇跡はおきなかった。年齢は63歳なのでかなり早行きと言える。ボクが36歳、入社して7年目の時である。社長室の外にある大きな姿見に何故かヒビが入ってた。
ボクには『天が父を取り上げた』としか思えなかった。では何故か?。たぶん、この時点での判断では[会社の為]だ。彼の専政を解かねばならない時節であったのかも知れない。そして、「ボク」という存在があそこにあったせいだろう。
社業への復帰、奇跡の一年間は絶対に必要であったと思われる。社内が、やがてを想定して準備ができるようにする為に。この時期に一人の男が会社に入ってくる。証券会社出の人間だ。父母とは長い付き合いとのことだった。社内の調整役を勤め始める。
実家での様子を残しておこう:
末期の方では自宅療養となっている。
母には夫が先に逝くといった事態は承認できないことであった。どれだけ頼っていたことか。どんだけ当てにしていたことか。これは《裏切り》としか思えなかった。そして、この思いは怒りの形で父に対して出てしまう。激高しての罵倒のしまくり。どんだけイギタナイ言葉を吐いていたことか。当人が心安らかにあれるようにと、周りは努力をするのが当たり前ではないのか?...。母は、とても激しい心情の持ち主である。父は黙ってこれを聞いていた。
父の病院での闘病生活への関わりをボクはあまりしなかった。これはあとになって、母に散ざ責められる。臆病になっていたのだろう。また、仕事、例の鉄道関連が勢いに乗っている最中ということもあり、忙しくてなかなか気が向かなかったこともある。
最初の手術においては、病室に訳の分からない怪しげな専門家を母は招く。竜王の化身だってさ...。まじない師が三名ぐらいいたな。不思議とみんな一緒にいるの。ボクは無力だたった。場は、ただただ冗談のようで、厳粛さ健全さがなぜ備わらないのかが、まったく理解できなかった。母は狂っていたのだろう。悲しみのあまり。心配のあまり。どんな手を使ってでも事態を好転させようとしていたのだ。
ある朝、自宅に電話が父から入る。
『なにしとんねん!さっさとはよ来んかい!!!』
家族みなで病院に飛んでいった。
最後に生命維持の処置に入るかを医者が問う。
母は、これへの回答をボクに委ねる。
ボクは現下に「不要」であることを伝えていた。
ps:
この時の病室には義理の弟がいる。彼は、こんな時でさえ「前へ前へ」と出たくてしょうがない人間なのだ。
1976年。ボクは14歳。街に流れるある曲に心は魅せられてしまう。そのシングルを買ってと父にねだる。ジャケットを見て、彼は即座にこれを却下する。ソウル・ドラキュラ、2:44秒。今聞いても”超〜名曲”だと思う。
♪『ソウル ドラクラ〜 ハーハハハハッ...』
この子がある時に乳がんの診断を受ける。ボクは、穏やかに、これからの余生を送らせてあげたいと願った。しかし母は、あれに手術を受けさせてしまう。どれだけ小さくて繊細な生命(いのち)だと思っているんだ。実家で帰りを待つ.....。” 魂だけ ”で、
ボクの元に飛んで逃げてきた。なんともしようがなかった。こぼれ落ちる...。
このリリーは、ボクがアメリカから持ち帰った聖書[ Lindsell Study Bible ]の角を噛んでボロボロにしてくれたのだが怒れなかった。この本は古本屋で買って$10.00 だった。今も持っている。大切な逸品なのにー。よりにもよってである。
Re: ことの顛末。
平成10年、父は膵臓ガンで亡くなる。一度は手術を受けて、奇跡の生還をおこない会社にも戻っている。しかし一年少しで再発。再入院となる。そして二度の奇跡はおきなかった。年齢は63歳なのでかなり早行きと言える。ボクが36歳、入社して7年目の時である。社長室の外にある大きな姿見に何故かヒビが入ってた。
ボクには『天が父を取り上げた』としか思えなかった。では何故か?。たぶん、この時点での判断では[会社の為]だ。彼の専政を解かねばならない時節であったのかも知れない。そして、「ボク」という存在があそこにあったせいだろう。
社業への復帰、奇跡の一年間は絶対に必要であったと思われる。社内が、やがてを想定して準備ができるようにする為に。この時期に一人の男が会社に入ってくる。証券会社出の人間だ。父母とは長い付き合いとのことだった。社内の調整役を勤め始める。
実家での様子を残しておこう:
末期の方では自宅療養となっている。
母には夫が先に逝くといった事態は承認できないことであった。どれだけ頼っていたことか。どんだけ当てにしていたことか。これは《裏切り》としか思えなかった。そして、この思いは怒りの形で父に対して出てしまう。激高しての罵倒のしまくり。どんだけイギタナイ言葉を吐いていたことか。当人が心安らかにあれるようにと、周りは努力をするのが当たり前ではないのか?...。母は、とても激しい心情の持ち主である。父は黙ってこれを聞いていた。
父の病院での闘病生活への関わりをボクはあまりしなかった。これはあとになって、母に散ざ責められる。臆病になっていたのだろう。また、仕事、例の鉄道関連が勢いに乗っている最中ということもあり、忙しくてなかなか気が向かなかったこともある。
最初の手術においては、病室に訳の分からない怪しげな専門家を母は招く。竜王の化身だってさ...。まじない師が三名ぐらいいたな。不思議とみんな一緒にいるの。ボクは無力だたった。場は、ただただ冗談のようで、厳粛さ健全さがなぜ備わらないのかが、まったく理解できなかった。母は狂っていたのだろう。悲しみのあまり。心配のあまり。どんな手を使ってでも事態を好転させようとしていたのだ。
ある朝、自宅に電話が父から入る。
『なにしとんねん!さっさとはよ来んかい!!!』
家族みなで病院に飛んでいった。
最後に生命維持の処置に入るかを医者が問う。
母は、これへの回答をボクに委ねる。
ボクは現下に「不要」であることを伝えていた。
ps:
この時の病室には義理の弟がいる。彼は、こんな時でさえ「前へ前へ」と出たくてしょうがない人間なのだ。
1976年。ボクは14歳。街に流れるある曲に心は魅せられてしまう。そのシングルを買ってと父にねだる。ジャケットを見て、彼は即座にこれを却下する。ソウル・ドラキュラ、2:44秒。今聞いても”超〜名曲”だと思う。
♪『ソウル ドラクラ〜 ハーハハハハッ...』