2.4 Fragments アネクドーツ2。
文字数 1,540文字
あれが起ったのは1986年、四月か五月だったはずだ。ジョジョの奇妙な冒険 Part2
戦闘潮流篇がジャンプで連載されており、ローマでワムウが初の”神砂嵐”を披露していたころだ。ボクはこのマンガが好きだった。これ読みたさでこちらでも高いジャンプをサンフランシスコへ出れば買っていた。
BE FREE!の単行本の最新刊を読んでいた(巻数は分からない)。”さくら組と岩尾組の
全面戦争”がクライマックスを迎えていた。Jetsの”Rocket 2 U”、Rick Astley のアルバム”Hold Me in Your Arms”にある多くの曲がTVラジオで流れていた。マイケル・ジャクソンは”BAD”でもってどこまで行くねんこの人気?という勢いだった。映画では”コクーン2”が公開されていたと...。
あそこでの神砂嵐は一ページ見開きだった。これを近しい人数人の前に広げ、ボクは「ほら、始まった」と受取る感覚/印象を(言葉ではなく)みなに伝えていた。
主人公は東大の時計台からドサクサに紛れアドバルーンにて脱出する。このドサクサの演出として作者は一つのお遊びをする。彼がかって偏愛したであろう特撮、漫画、マンガ、のキャラを総出演させるのだ。すべてはモクモクの煙が(大乱闘のさなか)造形をつくりあげ、それらがあちらこちらで一挙に一遍に登場してくる。彼らの姿はまさしく原作のものと瓜二つだった。(シャザーンに、ザボーグに、ロボット刑事に、ブースカに、etc..)ボクには全てが識別できた。作者はボクの一つ上の年代なのでそりゃかぶる訳なのだが。
これが似ていると思ったのだ.......。あのときの体験の意識が飛んでしまったあとと。過去に記録されたであろう感情群がすべてが一遍に一度に想起されたような感じ...。読んだのはあの時からそう日が経っていなかった。これも一種のシンクロニティーなのかもしれないと思った。
マンガをこれまで沢山読んできた。全ては「良い子でいなさい」のメッセージで括られてしまった。いろんなプロットで語られるこのメッセージをあんなにもシガシガ夢中になって味わってきたのかと少し拍子抜けした感があった。
Rick Astley のあのアルバムは、祝賀としてボクの心には響いた。彼は自分のレコーディングがボクなんかへのお祝いになろうなどとは露とも知らなかっただろう。*いや、そうではない。やがての時に向けての準備(促進剤)であったのだと思う。
Cocoon2は、観てはいない。だが、1の方はこのころ観ている。多分、ビデオ屋で借りて
観たのだろう。なぜなら〈繭〉というタイトルの映画であったのだから。ボクが観たモノと
関係があるのか興味を抱いた。感想としては、無いとも言い切れないと思った。それよりも、何故こんな映画がアメリカでは作られるのかが大体不思議だった(お話としてはボクは好きではなかった)。推測としてはイエスの来臨、聖なるものとの新たな関係への願望が在り、
即物的な”宇宙人とのコンタクト”というメタファーでしかこれを表せないのではないか?...。
*実際、尚子さんでさえも「イエスは宇宙人かも」という発言をしていた。
繭は正しい、重要だ。ボクなればこそそう思う。アレは何だったのだ?、また観ていたボクは
何なのか?。ハリウッドの向こうには人類の集合意識の意向が働いているのかもしれない。
映画は予言の役割を担っているのかもしれない。
(日本ではマンガがこの機能を果たしている)。
参考:
日本文化の中に分け御霊(わけみたま)という言葉を見つけた。
またインドからはリンガ、プルシャという言葉。
戦闘潮流篇がジャンプで連載されており、ローマでワムウが初の”神砂嵐”を披露していたころだ。ボクはこのマンガが好きだった。これ読みたさでこちらでも高いジャンプをサンフランシスコへ出れば買っていた。
BE FREE!の単行本の最新刊を読んでいた(巻数は分からない)。”さくら組と岩尾組の
全面戦争”がクライマックスを迎えていた。Jetsの”Rocket 2 U”、Rick Astley のアルバム”Hold Me in Your Arms”にある多くの曲がTVラジオで流れていた。マイケル・ジャクソンは”BAD”でもってどこまで行くねんこの人気?という勢いだった。映画では”コクーン2”が公開されていたと...。
あそこでの神砂嵐は一ページ見開きだった。これを近しい人数人の前に広げ、ボクは「ほら、始まった」と受取る感覚/印象を(言葉ではなく)みなに伝えていた。
主人公は東大の時計台からドサクサに紛れアドバルーンにて脱出する。このドサクサの演出として作者は一つのお遊びをする。彼がかって偏愛したであろう特撮、漫画、マンガ、のキャラを総出演させるのだ。すべてはモクモクの煙が(大乱闘のさなか)造形をつくりあげ、それらがあちらこちらで一挙に一遍に登場してくる。彼らの姿はまさしく原作のものと瓜二つだった。(シャザーンに、ザボーグに、ロボット刑事に、ブースカに、etc..)ボクには全てが識別できた。作者はボクの一つ上の年代なのでそりゃかぶる訳なのだが。
これが似ていると思ったのだ.......。あのときの体験の意識が飛んでしまったあとと。過去に記録されたであろう感情群がすべてが一遍に一度に想起されたような感じ...。読んだのはあの時からそう日が経っていなかった。これも一種のシンクロニティーなのかもしれないと思った。
マンガをこれまで沢山読んできた。全ては「良い子でいなさい」のメッセージで括られてしまった。いろんなプロットで語られるこのメッセージをあんなにもシガシガ夢中になって味わってきたのかと少し拍子抜けした感があった。
Rick Astley のあのアルバムは、祝賀としてボクの心には響いた。彼は自分のレコーディングがボクなんかへのお祝いになろうなどとは露とも知らなかっただろう。*いや、そうではない。やがての時に向けての準備(促進剤)であったのだと思う。
Cocoon2は、観てはいない。だが、1の方はこのころ観ている。多分、ビデオ屋で借りて
観たのだろう。なぜなら〈繭〉というタイトルの映画であったのだから。ボクが観たモノと
関係があるのか興味を抱いた。感想としては、無いとも言い切れないと思った。それよりも、何故こんな映画がアメリカでは作られるのかが大体不思議だった(お話としてはボクは好きではなかった)。推測としてはイエスの来臨、聖なるものとの新たな関係への願望が在り、
即物的な”宇宙人とのコンタクト”というメタファーでしかこれを表せないのではないか?...。
*実際、尚子さんでさえも「イエスは宇宙人かも」という発言をしていた。
繭は正しい、重要だ。ボクなればこそそう思う。アレは何だったのだ?、また観ていたボクは
何なのか?。ハリウッドの向こうには人類の集合意識の意向が働いているのかもしれない。
映画は予言の役割を担っているのかもしれない。
(日本ではマンガがこの機能を果たしている)。
参考:
日本文化の中に分け御霊(わけみたま)という言葉を見つけた。
またインドからはリンガ、プルシャという言葉。