3.3 Spray Coater  まさに最適しかも最悪。

文字数 4,493文字

  ボクが不在となった数日間は舞台準備の為に必要なものだったのだろう。
顧問と新人の二人は関係を先に築いておく必要があった。
また彼には先んじて仕事の内容を理解してもらっとく方がいい。
『整いが済みし次第あいつを戻す』といった按配だったのだろう。
以後の舞台効果の為にはボクに(この思惑は)絶対悟られてはならない。
だから、あれは必要なことだったのだろう。これもまた『ザ・ワールド』である。
そうして初日に、廻り舞台は回転された…。

  舞台は代わりボクの所在は本社となった。そこでの数日間をボクは独り頑張っていた。
そこではそこで然るべきドラマはちゃんと準備はされていたのだ。
与えられた仕事にパーツの組み立てというものがあった…。

  ここで、改めてガラス繊維なるものについて説明しておきます。その名の通りガラスを
繊維状にしたもの。製法なんかは不織布と同じく圧縮し打ち込みをしたものになる。
最終、これは巻き上げられる。かなりでかいロールになる。ここで注意を求めたい点は、
それが微細なガラスの集合体であることだ。「チクチク」である。微細なガラスの針なのだ。
これが体内に入れば、とてもややこしいことになるのは必然。元の製造メーカーが加工を
嫌がり下請けに丸投げした理由もここにある。素手で扱うことは危険な代物である。

追加:工場の床には「キラキラ」した微粉があちらこちらで堆積していたのだが、
これが何であったのかはご想像にお任せしたい。比重の話は置いとくとして、
健康衛生上はあまり感心できない環境だったのかも知れない?…。

  この素材は接着剤でコートされる必要がある。[目止め]と[ハンドリングへの防備]の
ためだ。その上で裁断/打ち抜きがなされる。厚み2㎝、幅120㎝、高さ80㎝程のデカイ板で
始まり、やがては小片(パーツ)へと加工される。それらパーツのサイズ/形状は毎度違って
くる。これらが取り付けされる現場が、どこも一様ではないことがその理由だ。
標準品はなかった。

  次に[半]組み立ての工程について。シリコーン・ゲルなるものを接着剤がわりに使う。
水回りなんかで使われている白いゴム状の充填材だ。これをロケット型の専用容器(カートリッジ)から”のりしろ”部分へとコーキングガンで押し出す。次にゲル状の糊を指先で整える。
地味でめんどくさい作業でしかない。(転着による汚れが厄介だ。手のみの訳もなく、
衣服にも床にもあちらこちらがイカレる)。そして同じくした相手方と圧着する。
これでおしまい。その出来上がりの姿は、U字溝を思ってくださればいい。

  それなりの保持力が発揮される為には夜間丸々の時間が必要とされる。接着剤ではない
ので硬化にかなりの時間がかかるのだ。使用上、耐熱性が求められるのでシリコーンしか
あり得ない。よってアンカー(投錨)効果で形を保持しているのが実態である。
その分やり直しがあった場合、剥がす/取り外す分には簡単な力仕事でことは足りる。

  組み立てはこんな感じ。あくまで半組み立て。最終、これらは顧客サイドの現場に
運び込まれ完全な組み立て/設置がなされる。用途は『防熱/断熱』カバー。どういった箇所で、
これのニーズがあるかはご想像にお任せする。顧客サイドは、どこの現場もみんな違うを
繰り返しておきます。採用となれば、その使用量はとてつもなく大きい。

  さて話を元に戻そう。本社では取り合わせの雑用をなんとかこなしていたのだが、
ある時この組み立ての仕事を頼まれた。別段急ぎの仕事だったわけでもなく、他にやらせる
仕事が思いつかなかったので、仕方なくボクにさせただけなのだろう。この指示をしたのは
若手のリーダー格の人。この地味な仕事をボクは一人ぼっちではあったが熱心にやる。
それこそ夢中になってやっていた。延々とU字溝を作り上げていく。かなりの数が出来て
しまった。やがて置き場がなくなってしまう。それで作業を止めることもなく熱心に作り
続けた。出来上がったものは、やがて細い通路に延々と遠く奥まで、堆く積まれていった。
他愛のないことだが、ある意味度胸がいる行為ではあったのだ。

  このことには二つ問題があった。一つはこのボクの頑張りが、リーダーに、要らぬ危機感
を煽ってしまったこと。(下手に頑張り過ぎた。以降彼は新参のボクを非常に意識するように
なってしまう)。もう一つは、ものの作りが悪いとのことで殆どがやり直しとなったこと。
この指示は社長からで、ボク以外の誰か他の者がやるようにとのことだったそうだ。
この話を聞いて胸がキュンとなってしまった…。

  ある日の朝礼の後、顧問が『お前、今日からまたあっちや』と声をかけてきた。
「ハイ、分かりました」と精々元気よく返事をしたが内心不安で一杯だった。
雰囲気的に、彼に嫌われていることが明白で、その声掛けに乱暴なものを感じたからだった。
退職へと追い込まれてしまうのではないかと恐れていた。
入社後四日目が過ぎた日のことだった。

  元の、あの離れの倉庫で言い渡されたのは、スプレーコーターを使っての作業だった。
溶剤(トルエン)の多く含まれた接着剤を圧縮空気で吹き付ける。*(しゃべログに写真を
あげました)。作業場は入り口前のオープンスペース。本来は駐車場として機能すべき空間。
ここで、グラスファイバーの大板が専用架台に立てかけられる。それに粘度の低い接着剤を
均等に塗布をする。これが意外と難しい。ハンドガンには調整用のネジがい二つ付いている。
いろんな要素(気温、湿度、風、圧力、粘度)との兼ね合いで、それらのネジは毎日微調整
される。あと、職人の手先加減で仕上がりは大きく違ってしまう。急速に吹き付けられる
接着剤のコントロールは、工員の集中力と手先の器用さ、そして何より『センス』が必要と
されるものだったのだ。

  先に顧問と二人だけで時を過ごしていた、もう一人の新人は、意外なことにスプレー
コーターの熟練工だった。「直近の仕事はコピー機のリースの売り込みの営業していた」
などとボクに語っていたのだが、その更に前にはこの仕事を長くしていたそうだ。
具体的な手順の説明/デモに、実際彼がかなりの専門家であることが知れた。

  先ず彼が簡単な手本を見せて、後はボクが代わった。コンプレッサーの唸りの中、
ハンドガンは暴れ馬のごとき反動をボクの手に伝える。見る間に辺りは強烈なトルエン臭が
充満していく。オープンの環境にも関わらず、簡易マスクをしているにも関わらず、何やら
怪しい化合物が鼻腔を通して肺へと体内へと取り込まれているのが如実に感じられた。
*この時渡されていたマスクは全くの粗悪品でしかなかった。すぐ気分が悪くなっていく。
しかしそんなことに気を取られている場合ではなかった。顧問から投げつけられる、なんや
かやの声を聴きつつ、ボクは必死で作業に専念する。顧問からは非難罵倒の声が絶えることは
なかった。ボクはオロオロしながらも必死に作業を続ける。板は次々と二人によって架け替え
られは持ち運ばれていった。

  しかし…やがて…、ボクはこの仕事にある魅力を感じとっていってた。この作業が
『大変に感覚的なもの』だったからだ。それはボクの好むところであった。かって電子
タイプライターを打つことにも同じく感覚的な要素を感じ大いに楽しんでいたものだ。
没入感を持ってスプレーガンを操っていた。

  用意されていた接着剤が尽きたところで作業は終わりとなった。ダメ出しを二人から
さんざ食う。そして後片付けに入った。コンプレッサーや架台やらを倉庫の奥へと運ぶ。
そして翌日に向けて、関係の機械のメンテナンスを行う。「配送菅」と「ガン」の洗浄が
キモになる。ケミカルの付着が残れば大変なことになる。ガンなんか、次には吹き付けが、
まともにできなくなってしまう。スプレーガンは完全に分解され、すべてのパーツはメタル
ワイヤーのブラシで中で丁寧に洗う必要があった。ドギツク汚れたガソリンが入ったバケツ
を持ってくるように言われる。




顧問は、嘲りも露わに『おい!メガネ、お前洗え。しっかり両手突っ込んでやれや』と
ボクに宣った。『お前、こんなんやったことあらへんやろ~』と嗜虐欲満載の顔。
『さっさとやれ』と伝えてくる。ボクはなんら動じることなく、淡々とその汚水に両手を
深々と突っ込み、パーツの洗いをブラシを当てて始めた。
ただひたすら真剣に行なっていった。そして汚れた床の掃除。すべての片付け。
脱いだ作業着には接着剤がこびり付き、トルエンの匂いが深く染み付いていた。
洗濯機に入れて洗っても多くは取れずに残った。


追記:

顧問たる『銀閣』は、ボクの採用に責任を感じていたのだと思われる。見かけが華奢で
貧相であること、育ちの良さがなんとなく察せられること(+ よく分からんが癇に障る
存在)との認識を改めて持ち、『ここでは務まらん奴』との認識を持ったに違いない。
であるならば、『一丁いたぶって自分から辞めるように仕向けたろ』と、
ことを急がれていたのだろう。



三人のチームであれば、二人がチームを組んで、残り一人を追い詰めていくことは易い。
ボクと同じ立場でであった若者は、この展開を面白く満足げに眺めていた。
彼にしてみればこれはありがたい話だったに違いない。銀閣は圧倒的な暴政をひいていた
のだから。それも強烈にキツイ当たりの持ち主である。
その矛先がボクに向いていることは彼にすれば有難かったはずだ。

『おい!オマエ!』 『おい!メガネ!!』 『おい!おっさん!!!』

侮辱的に投げかけらる声掛けを、一切心に動じることもなくただ聞いていた。
続く命令に、ただ素直に、ひたすら従っていく。
家族の生活のために… 今ある苦境を乗り越えんがために、
そして『教え』の履行の為にと。

しかしこの態度でさえ顧問には癇に障り、余計に彼の嗜虐欲を煽ることになっていく。
『わしゃ~きついで~』と後ろから投げかけられる言葉からは、「お前は容赦せんからな」
「覚悟しておけや~」の意味を汲み取った。それと、これまでにもそうして辞めさせられて
いった人間は多かったのであろうと聞いて思った。

〈続く〉

添えた画像は顧問を思い出すのにはあまりに適格なのです。



追記:

昔、野良犬が我が家では飼われていた。○んでしまい、後の始末はボクがした。
硬直したその骸を抱え上げ、箱に入れて、近くの○まで引きずっていって○めた。
真夜中に。そこそこデカい犬だった…。中学生の時のこと…。
他に家族の誰もできなかったのだ。



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