18. Silent Stream アネクドーツ6。

文字数 3,686文字

(これを含めて)あと二つのエピソードで京都編を終えます。この期間にあったことで抜けたものを表します。関連性はありません。よろしくお願いします。

  父方の祖母は一人で大阪の[今里]に暮らしていた。小さな駄菓子屋を営んでいた。父は心配はしていたが苦手に思っていたのは間違いない。また、母親は彼女を酷く毛嫌いしていたのは知っている。様子見役としてボクは小学生の頃からよく通わされていた。*鶴橋へ商品の買い出しに同行させられたこともある。ボクからすると、祖母は悪い人ではなかったが田舎で生まれ育ったゆえか頑迷であることはよく感じさせられていた。「おなごし(女子)かく在るべし」「子はかく在るべし」の考えが、事業を二人できりもみする活発な両親からすると関係をもつことは煩わしかったのであろう。ある時、日曜日に”愛染さん”に連れて行って欲しいと、この祖母に頼まれる。なんなのかは分からないが、車で連れて行った。なにかの特別な法要が行われているとのことだった。場所は天王寺界隈だったと記憶する。その周辺は日曜日と言う事もあって、とても混雑をしていた。苦労して車を停め、足の覚束ない祖母の手を引いて、求めの場所へと「ゆるりゆるり」人込みをかき分けて向かっていった。
  かなり広い境内だった。あちらこちらで護摩がが焚かれて炎を上げていた。また少なからずのお坊さんたちが境内で直立して、何やらお経を唱えられていた。そこでの人の出入りはかなり多くて、祖母を守るながら進むのは必死だった。祖母にとって、この法要の目的は水子の供養であった。*父は唯一生き残った子であったそうだ。
  すべてを無事に終えてボクは実家に戻る。一息つきに近所のあの大きな公園へ行った。〈あの祈り〉を行った同じ場所に座る。なにもしないでただ「ボー」としていたのだが突如、異変が起る。なんと、体内の[力場]が彼方へ飛び立ちそうな動きを見せはじめたのだ。「えっ!まさか?」と思うのもつかの間、ボク自身がそれを取り戻してしまう。そして、あれが去るような気配は、既にまったくなくなってしまっていた。
  大変惜しいことをしたと思う。あの変化は愛染さんでの、法要による事後発現だと思うのだが、まったく予測もつかない事態であった。あのタイムラグは、なんだったのだろう?...。「何故に去るに任せておけなかったのだろう」と、とても悔やまれる。自分の思いもよらないアレへの執着を見たような気がした。現象自体は密教における法力の効果なのだと思う。
追記:”愛染さん”は間違いの可能性がある。ただ、天王寺界隈であったことは確かだ。「あらためて頼りたい、縋りたい」という思いは常々あるのだが、なかなか至れない。今は未だご縁が無いのかも知れない。もしくは、そのやりかたでの解決は許されていないのかもしれない。


  京都滋賀で活動できたことは本当に幸甚に恵まれたことであったと思う。朝一番に琵琶湖の辺のマックでパンケーキを食べて、スタートの時まで湖を見渡して時を過ごす日もあった。最初のことを思い出し、湖面の光の乱舞で意識を焼いてみた。”清め”ぐらいにはなるかなと思いでやっていた。木々の緑の木の葉でもそうなのだが、考え無しに見詰めていると、そよ風での動きでさえドエライ刺激となる。まあ、一時の[短い気狂い]としての効果しかなかった。*これはこれでボクには快楽ではある。
  京都の東方へ向かえば、遠く嵐山の風情を楽しむことができた。どこか川の堤防沿いが休憩ポイントだった。雨の日の眺望は情緒的で味わい深いものがあった。何百年と変わらぬ景色だろうとの思いで眺めていた。*遠くの高速道だけが邪魔ではあったが。ある真夏の昼下がり荷運びのためか少しくたびれていた。しかし、あの景色のせいか、ボクは何時の世の人か分からない存在となり、気力だけで堤防沿いを[人をこれから切りに行くかの如く]ゆっくり、しっかり、落ちついて歩いていた。そして髪結いの学校に通う女の子二人とすれ違う。お互い、ただ存在だけをやけにリアルに確認しあい、きれいに、まったくの何の思いも残さないで離れて別れた。
  鴨川は、そのいろんな顔を見せてくれた。浅瀬を渡り、辺で憩うことも多くした。台風の大水で濁流と化した時は、これに人が魅せられて自分から飛びこんでいってもおかしくはないと近くで見てて思った。これは夜に見た光景だ。黒々とした奔流は、とても怪しく、とても怖かった。水は、すべての連結を解いて、抱いて彼方に連れ去ってしまう。何処にでもいて、既に何処にもいなくなる。”水による洗礼”の奥義とは何なんだろう? 罪を洗い流す?...。おそらくは、”ご破算” の意味だろう。洪水に会うようなもの。寄って立つもののすべて失われる。
「あなたは安息の地に、入る前に ”水” と ”火” との中を通らなければならない」
(詩編66.12)
  平安神宮の近くに会社はあったわけだが、この辺りには鴨川からひいた用水路がある。開けられた水門から水が勢いよく水路に流れ込むのを、よく眺めて過ごしていた。落ちた側の水面には多くの渦があちらこちら、広く互いに関係し合いながら発生していた。天命として、この[水門を開ける]という行為がボクのミッションであると直感した。すでに備わっている力の方向性を整えるということ。田に水をひく農夫が水路の石(障害)を「コツコツ」と取り除くこと。
  どこかの屋敷の前に水路があった。土壁から少し離れ、長く蛇行する狭い溝が走っている。そこを、大量の水が流れていた。その流れの勢い厚みに関わらず、まったく音が存在していない。不思議にして魅力的だと見惚れる。「こうであらなくっちゃ」と思う。*なんの力みもなく、ただ素直に、そして疾風の如く。

  京都大学のとある学部への営業を求められる。狐目のおばさんは「こんな子、あそこに出してもいいの?」と大変心配してくれる。ボクだって行きたくはなかったが出される。聖人のような先生もいたし凡俗極まりない方もいた。良い方の先生において一方語っておこう。優美でハンサムな熟年の教授だった。なんでも、先生によると外国の大学への出張をよくされるとのことで、その折にそこの図書館で[めぼしい本]はチェックしてしまうとのことだった。まあ、こちらの訪問はご不要なものだったのだと思う。でも、お持ちした本は預かってはもらえた。一度、この先生の気分をボクは害してしまう。「いる」「いらぬ」の問答のなかで、先生が本を引き取らざるを得ない展開をボクが作ってしまう。*詳細は忘れた。大きな失点だった。目先の売上に目が眩んで、浅ましいことをしてしまっていた。その後、なぜかこの先生にはどうしても会うことが出来なくなってしまう。(一種の魔法だと思う)。かなり時間が過ぎてから、また会えるようにはなった。お怒りが、やっと解けたのだと思う。この先生の研究室にはイエスとブッダの絵が飾られていた。研究室の生徒さん達がこの先生を尊敬されていることは遠目にも感じられた。二度とあのような売り方はしまいと誓った。追記:この大学のキャンパス内でのことだ。「ヘトヘト」に疲れて、校舎の外に立ったボクに、彼方より不思議な竜巻が送られてくる。小さ春風のような竜巻だった。一分間程、体を包んでグルグル回り静かに消えた。遠く鞍馬からのものだったのではないか?と思った。


  所属した会社の特徴は、[主のいない会社]であったと言える。社長さんは二代目で、実は本人の体も心も、その本当の在処は東京であったのだと思われる。本の見計らい屋などは、本心としては余り関心は無かったのではなかろうか?...。月一の社長さんの滞在は、会社のムードを一変に華やいだものへと変えてしまう。皆は[主]の帰還を喜んでいたのだと思う。しかし、それは一週間にも満たない間だけのことだった。主に続くNo.1とNo.2は、仲があまり良くなかった。でも[主]がいるこの時だけは、この二人も打ち解けたかのような関係になっていた。ボクは所詮は部外者でしかなかったので、皆が哀れで可哀想に思えてしかたがなかった。主の帰りを待ちわびる従者たち...。


  時の進展の中で、会社にオフコンが導入された。社長さんは進取の気性に富んだ人だったわけだ。*NECの文豪を、いち早く持ち回されておられた。結果として、ボクの考案だった在庫管理のためのラベルの必要性は失われてしまう。一覧打ち出しの紙になる。「使えるか(否)!こんなもの!!」てなものだった。伝票のタイプ打ちも不必要にはなった。かえって面倒になる。アナログ体質のボクには、この変化はあまり好ましいものとは思えなかった。「一を獲て、五を失う」のような感じがしてならなかった。ボクの営為の痕跡はすべて押し流されていってしまう。*この会社の存在さえも...。今後においても、これは[定め]である。

ED:Lupin the 3rd チャーリー・コーセー



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