第19話 虚言

文字数 2,384文字

A国Y州L市の夜。
スカーレットのクーペが滑り込んだのは、シティ・ホテルのエントランス。
人工の滝が目立つ高級ホテルである。
スカーレットは、キーをボーイに預けるとロビーに足を運んだ。
彼女がこのホテルに来たのは、警察の知合いから、或る情報を聞いたから。
エミリー襲撃犯と面会した連邦捜査官が泊っていると聞いたからである。
自分の見え方を知るスカーレットは、フロントで二人を呼出すと、背筋を伸ばして待った。
しばらくして、フロントに現れたのはロレンツォとニコーラ。
まだ、スーツのままだった二人は、スカーレットを見ると、肘を突き合った。
まだ、若いのである。口を開いたのはロレンツォ。
「連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。彼はニコーラ・バルドゥッチ。僕達に何か。」
スカーレットは二人に順に微笑んだ。
「メディカル・リサーチ社のスカーレット・アーキンよ。」
メディカル・リサーチ社がヒュドール・グループであることは、当然、二人は知っている。
ロレンツォとニコーラは、突然の訪問の意味を正しく理解した。

スカーレットは、会話の舞台に、ロビーの喫茶店を選んだ。屋内だが植栽が忙しい。森の様なスペースである。
ブレンド・コーヒーを三人分頼んだスカーレットは、店内を見回すとソファに浅く腰掛けた。相手に近い位置を選んだのである。
口を開くのも彼女。
「エミリー・ピウスを知ってる?」
ロレンツォとニコーラが顔を見合わせると、スカーレットは、スマートフォンを取出した。
ヘクトル夫婦の写真である。
「この娘がエミリー。」
二人の反応がないと見ると、スカーレットは小さくため息をついた。
「そう。でも、知ってる筈よ。あなた達、この娘を襲った男に会ったんじゃない?」
五秒見つめられて、肩をすくめたのはロレンツォ。
スカーレットは、まずは二人が嘘をつく種類の警察と判断した。聞くべきことはこれだけではない。
次に見せたのは、行方不明の学者ラファエル・クレメンスの写真。
「あなた達が追ってる事件には、この人が関係してるんじゃない?クローン技術の第一人者のラファエル・クレメンス。」
ロレンツォとニコーラの目は少しだけ輝いた。
クローン技術の配布資料で見た名前である。ヒュドールの関係者がこの名前を出すなら、ピウス家を訪ねるよりは、遥かに答えに近いかもしれない。
一方のスカーレットは、二人の表情を探ってから言葉を続けた。
「三十年前から行方不明なんだけど。」
失望させるつもりはない。話のきっかけを与えただけである。
思わず苦笑した二人は、もう一度肩をすくめた。
また、空振りである。
スカーレットは、次の写真を探した。初めて人に見せる写真である。
「この人を知らない?ステファヌス・デ・グラーフ。ラファエルに出資してた、死んだローデヴェイクの弟。」
ロレンツォは顔を引締めた。付き合えるのはここまでである。
「新聞は読んでるからステファヌスは知ってるけど、何の事か分からないな。」
大富豪のステファヌス・デ・グラーフを知らない大人は、この世の少数派である。
連邦捜査官を前に口にして、冗談で済ますことの出来る名前ではない。
いつになく、口を挟んだのはニコーラ。
「捜査に関わる情報は漏らすことが出来ないけど。僕達の追ってる事件は、単なる誘拐事件なんだ。最初の写真のエミリーの襲撃犯が、誘拐事件の被害者の一人だった。それだけだ。」
それ以上の追及を断つための最低限の情報。
トカゲのしっぽに気付いたスカーレットに話を止める気はない。
「でも、そこに同じ顔の人間が絡んでるんじゃない?怪しいでしょう。」
ニコーラは笑顔で答えた。
「いや、そんな話は知らないな。今のところ、一番怪しいのは君だ。何を知ってる?」
これでは、あべこべである。
改めて溜息をついたスカーレットは、しかし、彼女のストーリーを口にした。
「ラファエルは生きてるわ。きっと、ステファヌスが出資して、クローン技術の研究を続けてるのよ。私には誘拐事件のことはよく分からないけど、そのクローン達が危ない目に遭ってるんじゃないかと思うの。もしも誘拐事件の被害者がクローンを襲撃したなら、彼らもクローン技術に関係してるのかも知れないわ。」
ロレンツォは、眉間に皺を寄せた。
男がヒュドールの関連施設で監禁されていたことを知っていれば、こんな話は出てこない。
間違いなく、スカーレットは外れである。
「クローンって、人間の?本気か?」
ロレンツォがとぼけると、ニコーラが駄目を押した。
「いくら探しても見つからないのは、既に自分が持っているかららしいよ。キューティー。」
それは、ニコーラが時々口にするフレーズ。所謂、座右の銘である。
ロレンツォは、笑いを抑えて、言葉を続けた。
「さっきのエミリーの夫。僕らもまだ会えてない。彼には話を聞こうと思ってるよ。他は分からない。」
ロレンツォが正しい情報を教えたのは、何も知らないスカーレットを揶揄うのが悪いと思ったから。相手は、テレビにも出ているヘクトルなので、別にどうということはない。
ロレンツォとニコーラは、笑顔でスカーレットの次の言葉を待った。
これ以上、どんな質問でも無視して見せる。
二人は、秘密の守れる警官なのである。
やがて、スカーレットが、無理に続けた無駄な質問が途切れると、ロレンツォは笑顔で席を立った。
「じゃあ、また、どこかで。」
続いて席を立ったニコーラも微笑むと、スカーレットは笑顔を返した。
スカーレットにすれば、一般人が連邦捜査官に話を聞いたにしては上出来。彼女は、前向きなのである。
ロレンツォとニコーラは、自分達を見送るスカーレットを何度か振り返り、都度、視線が合うと小さく笑った。
妙に真面目で知識に偏りがあるが、ルックスに難はない。
それが、ロレンツォが持ったスカーレットの第一印象。
ルックスに関する評価は、ニコーラがいつもより喋ったから。ロレンツォの確かな判断基準である。
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