第46話 評論

文字数 3,349文字

ジョンが手元に残した金は、二十万ドルである。
ガル・ウイングのクーペがやっと買える程度の金で、職人に感謝される様な買い物とは何か。
職人が思いを込めやすい商品。少人数でつくるものになるだろう。
絵画や彫刻がそれだろうが、買う理由がない。
ジョンにとって、それだけははっきりしている。
例えば、何故、印象派の絵が欲しいのか。
酒場で酔った時のぼやけた視界が再現されていると思っても、そこから大金を払う展開が、まったく想像できないのである。

困った時には両親。
トリプルJの終わらない議論は、町で一番高級なハンバーガー店、ビッグ・ビフ・ビーフのハンバーガーに行き着いた。金を二倍出しても、苦にならない。
ジョン本人としても、悪くない線である。
パテを焼く厨房が客席から見えるのが、その店の売り。
気持ちが伝わる可能性がある。
客と厨房の気持ちを結び付けるものは一つしかない。
何を注文するかである。
今、問われるのは、彼の嗜好ではなく、ハンバーガー愛が伝わるもの。
A国の不滅のテーマである。

最も値段が高いものをベースにするのは基本。
ここに通が好むトッピングを加え、嫌味にならない程度に詳しい称賛をする。
トリプルJはメニューを睨んだ。
ホワイト・セサミが多めの、こんがり焼いた麦畑を連想させるバン。
肉汁を蓄えながら、表面のカリッとした食感が心地よい、香り豊かなつなぎのないビーフ百パーセントのパテ。勿論、炭火焼きで二枚。
パテの間でとろける、ナッツの風味の残るアルチザナル・チェダーチーズ。
店の中央にある菜園で、注文された時点で摘みとる新鮮なレタス。
一日に二度収穫する完熟トマト。
ケチャップの量はオーダー通り。
これが一つ十五ドルの看板メニュー。チーズ・バーガーである。
ここに何かを加える時点で不遜としか思えないが、何かをしないと、他人との違いは出ない。
最初に口を開いたのはジョン。責任感である。
「ゴルゴンゾーラ。」
「何考えてるんだ。」
即答したのはジョニー。
「ランキングに入ってるがな。知らない奴がいるか。誰が感動する。」
すべてをブルー・モールドで塗りつぶすリスクに、ジョンは小さく頷いた。
「じゃあ、父さんならどうする。」
「モッツァレラ。」
やはり即答。トマトの永遠の恋人である。
「トマトの上にチェダーと一緒にのせて、バーナーであぶるんだ。二つのチーズの色が混ざって、端にのぞいたトマトに焦げ目がつく。」
トリプルJは、静かに頷いた。文句のある筈がない。ジョンは話を進めた。
「ピクルスも、ガーキンじゃ面白くないね。」
「そうなるな。」
ジョニーの相槌に、ジョンは笑顔でアイデアを口にした。
「レモンと漬けたセロリのピクルス。すっきりしてるから、きっと一つ足すならこれだ。」
ジョンの二度目の提案は、ジョニーの言葉の延長線上にある。
両親が小さく頷くと、ジョンは笑顔で口を開いた。
「粒マスタードはどうしよう。別に変えなくてもいい様な気がするけど…。」
口を開いたのはジェーン。
「ハバネロよ。ピクルスがレモンとセロリなのよ。合わせましょう。」
一つ一つの選択が、少しずつ流れを変えていく。
正解から遠ざかるかもしれないが、それが皆で決めると言うことである。
妻の味覚に干渉するつもりのないジョニーは、話を先に進めた。
「あとは、生ハムを足すんだ。」
ジョンのいぶかる視線に、ジョニーは言葉を急いだ。
「知ってる。肉の旨味を出すのはベーコンだ。ただ普通過ぎる。」
ジョンは、言われるままにメニューを目で追った。
一番、熟成期間が長いのは二年物。シンプルに美味そうである。
「決まりだな。」
ジョンが呟くと、両親は何度も頷いた。自分では食べない彼らは、少し疲れて見える。
ジョンは、改めて、メニューを読み上げた。
ジョンを含めて、トリプルJは何度か涎を飲み込んだ。
トッピング込みで二十二ドルのハンバーガー。
ジョンの中の金持ちの食べ物である。

自転車で家を出たジョンは、真っ直ぐにビッグ・ビフ・ビーフを目指した。
天高くそびえる看板は、遠くからでも目に付くランドマーク。
踊る心が、ジョンの足の回転を滑らかにする。
間もなく、正面に自転車を乗り捨てたジョンは、胸を張って、扉を開けた。
広い店内は、客がいても見晴らしがいい。
壁のない厨房は、ネットのまま。
ジョンは、厨房から一番近い席を選ぶと、ゆっくりと腰を下ろした。
貫録を出してみたのである。

ユニフォームに身を包んだウェイトレスはアルバイト。ジョンが学生の頃と同じならその筈である。幼く見える彼女は、はち切れそうな笑顔で注文を聞いてきた。
「ビッグ・ビフ・ビーフにようこそ。注文をどうぞ。」
相手は料理の素人だろうが、よく喋る生き物に決まっている。
ジョンは、トリプルJの出した答えを、詩を詠む様に伝えた。金持ちのメニューである。
トリプルJのプランに綻びが出たのは一秒後。
「お飲み物とサイド・メニューはどうなさいますか。」
よくある間違いの筆頭である。ジョンは、平静を装った。
「ルート・ビアとフライド・オニオン。」
それは、純粋に彼の好物。即答した方がまだいい。咄嗟のジョンの判断である。
笑顔の彼女は、注文を繰返すと、厨房に戻って行った。
勝負である。
ジョンは魔法の注文の行方を見守った。
笑顔を消したウェイトレスが、慣れた手付きで、メモを厨房に渡している。
受け取った男が声を上げたが、よく分からない。略称が多いのである。
男の表情は厳しいまま。時間と戦う彼らに、動きの止まる様子はない。
今まで通り、争う様に、ひたすらハンバーガーをつくっている。
皆を眺めていたジョンは思った。
つまり、厨房には何の変化も起きなかった。そういうことである。

理想のプレートが配られたのは、別のテーブルに向かうウェイトレス達を二十回程眺めた後。
目の前の空白に滑り込んだプレートは、まずは香りの洪水でジョンを微笑ませた。
ジョンが見上げた先にいたのは、注文した時とは別のウェイトレス。
完全な流れ作業である。
彼女がこの場を去るまでも勝負のうちである。すべての機会が無駄には出来ない。
ジョンは、大きく息を吸い込むと恍惚を演じた。多分、出来ている筈である。
「生ハムが好きなんだ。」
一点に絞って、アピールした方が、不気味さが和らぐ。そういう作戦である。
唐突だったが、彼女は笑ってくれた。悪くない反応である。
「絶対、美味しいと思うわ。ごゆっくり。」
笑顔のウェイトレスは、次の客の元へと飛び立った。彼女も、時間を無駄に出来ないのである。
ジョンは、厨房に目をやった。これからが本番である。
フォークとナイフを手にしたジョンは、もう一度、厨房を見た。変化はない。
あとは食べ方の問題。必要なのは、やはり恍惚。
ジョンは、ハンバーガーを口に運んだ。
ハバネロの辛さ以外は、予想通りの味で美味い。
飛出したケチャップも甘い。バンズの切れ端ですくって食べたぐらいである。
ただ、ハバネロは辛く、オニオンとルート・ビアがよく進む。
辛いのである。

時間をかけて食べ終えたジョンは、空になったプレートを眺めて、動きを止めた。
辛い物が好きな人が食べるハンバーガー。
どう考えても、それが結論である。
彼のチョイスに感心した店員が、厨房から彼を見つめないのは当前。
ウェイトレスが近付くたびに、目を閉じて、顔を振ってみたが、そもそも目を閉じているので何も見えない。無策も甚だしい。
ジョンは、きっと、人として、何も特別ではないのである。
ハンバーガー一つでも、付け焼刃では何も通じない。
お金が幾らあっても、それは絶対。分かっていた筈である。
赤面したジョンは、多めのチップを置くと、逃げる様に店を出た。

自転車をこぎながら、ジョンは永遠に終わらない反省を始めた。
何よりも、思い上がっていたのは確か。
万が一、ハンバーガーのチョイスで他人の目を引いたとしてもそう。
ジョンは、そこから先に何かが進む様な素敵な男ではないのである。
少なくとも服装は同年代でもやぼったく、年を問わずに評するなら終わっている。
最高の商品を渡したくない男。それが自分なのである。
ジョンは決めた。
まずは、身だしなみを整える。
自分が優れた物に敏感だと思われたい人間が、自然と引き寄せられてしまう。
必要なのは、そんなアイテム。
ある種の罠である。
次は、何を身に着けるべきか。それが問題である。
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