第73話 断罪

文字数 2,850文字

ニコーラを乗せたセダンは、山道を外れると、大きく揺れて止まった。
ライトは点いたまま。周囲には森しか見えない。
止まったからには、何かをされる。
不安の止まらないニコーラの胸元に、静かにケリーの手が伸びた。
行先はシグ・ザウエルP220。
ケリーは、ニコーラの目を見ながら、滑る様に銃を取出した。
警戒なのか、心配なのか。
ケリーは、慣れた手付きで弾倉を抜き、装填されていた弾を落とした。
お守りの様なシグ・ザウエルも、こうなってはただの鉄の塊である。
同時に車を出た管理官は、ニコーラの傍らのドアを大きく開いた。
車内灯にうっすらと照らされる彼の顔は、心なしか微笑んでいる。
「出るんだ。」
管理官にいつも通りの声で促されると、ニコーラは松葉杖に手を伸ばした。
しかし、微動だにしない。
運転席のマックスが、身を乗り出し、手をかけているのである。
銃に松葉杖。
ニコーラの頼みの綱が、信頼する仲間の手で少しずつ奪われていく。

覚悟を決めたニコーラは、左足を庇いながら立ち上がった。
知らない場所である。不安に自然と動いた彼の頭は、大きな違和感を見つけると止まった。
その場から底は見えない。
深く大きな穴である。

管理官は、ニコーラを見ながら、顎で穴を差した。
従う他に、生きる道はない。
常識を知るニコーラは、左足を庇いながら穴まで歩いた。
車のドアが閉まる音がしたのは、ケリーとマックスが降りたからで違いない。
間もなく、穴の淵で振り返ったニコーラは、自分を見つめる管理官を見つけた。
ケリーとマックスを連れる彼は、やはり、いつも通りの彼。
ニコーラの時間が止まると、管理官は口を開いた。
「穴に入るんだ。」
当たり前すぎて、断る気にもならない。
ニコーラは、土に手をつくと穴に滑り降りた。腰ぐらいの深さが絶望的である。
管理官は、小さく笑った。
「我々のことは気にしなくていいから、座ってくれ。構わない。」
予想通りである。
管理官の笑顔を見つめたニコーラは、やはり言われるままに座った。
頭まですっぽり隠れる深さ。ぴったりである。

土の匂いに囲まれたニコーラは、ただ地上を見上げた。
何をしたらいいのか、まったく分からないが、気持ちの問題である。
顔を見せたのは管理官とケリー。ケリーの激しいしかめ面は、多分、同情のせいである。
間もなく、地面を擦る足音が聞こえると、ニコーラは、背中に重い物を感じた。
予想した通りだが、パンツを覆ったのは土。
生き埋めである。
手を動かしているのはマックス。
ニコーラが、目の前の二人を見上げると、ケリーの顔は二秒で見えなくなった。

確かに穴は深く、大きかった。それは、土を戻すのに、手間取る程の大きさ。
マックスの荒い息が聞こえる。
ニコーラの膝を覆う土の上を、切れたミミズが暴れている。
希望的観測としては、途中で止めて、反省を促すぐらい。
最悪、軽く埋めて、気絶したら掘り出す。それの繰返し。
逆に、他に生き残るビジョンはない。
やがて、マックスは、土がニコーラの肩に達したところで、作業を止めた。
ニコーラのビジョン通り。いい方かもしれない。
土から逃げたい気持ちのせいで、顔は自然と上を向く。
限界まで昂ったニコーラの中で、とうとう頭痛が始まった。遅すぎたぐらいである。
目を閉じたニコーラに話しかけたのは管理官。声は明るい。
「客がいるのに眠るのは、さすがに失礼だぞ。」
心が壊れそうになったニコーラは、しかし、ゆっくりと目を開いた。
目の前に現れたのは、激しく揺れる人影。幻覚である。
ニコーラは、目を凝らした。
人影は三つ。管理官にケリーにマックスのそれで間違いない。
それは、これまでも幾度となく浮かんだビジョン。
それは、幻覚ではなく、壊れた記憶だったということ。
ニコーラは、前にも、この三人に襲われ、ほぼ同じ光景を目に焼き付けていたのである。
ニコーラの瞳孔が開き始めると、管理官が言葉を続けた。
「そんな目で見るな。うちの支部の伝統に口を出したお前が悪い。職場の和を乱しちゃあ、社会人として失格だぞ。」
とうとうケリーが口を開いた。
「何度も助けようとしたのよ。」
言葉は短い。
ニコーラは、マックスに目をやった。スコップにもたれ掛かる彼は、怖いほど無表情である。
ニコーラと目が合うと、マックスは思いついた様に歩き出した。後ろに回ったのは、見られたくないことをするから。マックスと自分の友情の証かもしれない。
遅れて、ケリーが姿を消したのも、きっとそう。彼女も、ニコーラを見ていられないのである。
そんな事をしなければいいだけなのに。彼らには通じない。
ニコーラが、最初の土攻めを覚悟したその瞬間、鳥の慌てふためく鳴き声が暗闇を割いた。
一羽ではない。何羽かが木の枝を揺らしていく。
間もなく、見えたのは、揺れる光の筋。ホワイトである。
エンジン音を連れて来るそれは車。
音は一つではない。
ニコーラの頭上が、ほんのりと明るくなると、不意にサイレン音がけたたましく鳴り響いた。
光の筋に、ブルーが混ざる。
間違いない。パトカーである。
「そこの三人!動くのをやめて、手を挙げなさい!」

山道を埋めたパトカーは五台。
市警察である。
車の退路が断たれたせいか、管理官は逃げようとしなかった。
この山道に偶然、パトカーが五台現れることはありえない。
きっと、誰かが監視されていたのである。
パトカーから駆けだした警官は十人以上。訓練を受けた彼らの動きは逞しい。
三人の連邦捜査官は、頭上に手を組まされ、地に膝をつかされ、更には這い、手を腰に回し、手錠をかけられた。

警官達はすぐにニコーラの救出作業にかかったが、ただ掘り出すのも簡単にはいかない。
二人がかりでニコーラを穴の外に引き摺り出した時には、連邦捜査官もマックスも、そして、ケリーもその場にはいなかった。
パトカーで護送されながら、ニコーラは情報の流出先に思いを馳せた。
理想としては、ケリーであってほしい。二十秒後、何故か、フリーの顔が思い浮かぶと、ニコーラは小さく笑った。

しばらくして、ニコーラの部署の捜査官は、彼と数名を残して大部分が更迭された。
部署は違うが、ペリーは潔白。それは嘘の様な本当の話。
逮捕された管理官曰く、悪気はなかったとのことである。
失われた記憶が戻ることは一向になかったが、ニコーラはまったく気にしなかった。
陰惨なリンチの記憶は要らない。
何よりも、ニコーラが、今この瞬間に生きていること。
それが、素晴らしすぎたのである。

どんな不祥事があろうと、犯罪がある限り、支部局が潰れるわけにはいかない。
間もなく、新たに優秀な連邦捜査官達が配属された。
ニコーラも新しいパートナーを迎えた。
ロレンツォ・デイビーズ。
同系の伊達男である。
スコッチ・ツイードの三つ揃えを着たロレンツォは、ニコーラと会って、二言目に言った。
「僕のパートナーなら、いいスーツを着た方がいい。その安物じゃあ、損をする。いい店を教えよう。」
ニコーラは小さく笑った。
「よろしく。僕がニコーラ・バルドゥッチだ。まあ、のんびりやろう。」
それが、ロレンツォとニコーラの出会いだった。
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