第105話 本番

文字数 6,532文字

ゾーイがヘクトルのために準備したのは、プライム・タイムのニュース・ショー、ケレブルムの一枠だった。
オープニングは、看板キャスターのローガン・ホール、サブ・キャスターのミア・ベイカー、御意見番のエイデン・ウォーカーの挨拶。
ゾーイの居場所は、カメラマンの隣りである。
ローガンは、ダンディーな微笑みを見せながら、颯爽とデスクに歩いた。口を開くのは主役の彼。
「今日のトップ・ニュースはこちら。」
ローガンの指さす先のモニターに映し出されたのは、街を埋め尽くすブルーの集団。
「皆さんも、驚かれたのではないでしょうか。この集団が求めたのは、クローン技術の軍事利用について、法廷で議論することです。クローン技術最先端研究所の前に警察が出動する程の事態になったこのパレードですが、奇妙なことに、誰一人として、リーダーを知りませんでした。」
話を受けたのはミア。
「パレードのきっかけになったのは、こちらの動画です。」
ミアの紹介で移されたのは例の動画である。
ゾーイが短く編集したそれは、皆の意思表明を求めるメッセージの画面で止まった。
喋るのはミア。
「多くの人がこの動画を見て、行動に移しましたが、番組のスタッフの調査によると、クローン技術を誹謗中傷するメッセージが、これまでも執拗に拡散されていたことが分かりました。」
代わったのはローガン。
「落書きの入った紙幣に迷惑メール。オンライン・ゲームのチャット。知っている人は知っている様です。ただ、御存じでしょうか。謎の紙幣は一千万ドル近く出回っていたんです。議論を求めるためだけに、一体だれがこんなことをしたのか。そして、クローン技術。皆さんの元に、どれだけの情報が届いているのでしょうか。私達の知らない真実には、一千万ドル以上の価値がある筈。私達は、それを知らないといけないのです。」
ミアは笑顔を見せた。
「今日は、専門家のお二人をお迎えして、この問題について、徹底的に議論していきたいと思います。サイバー犯罪の専門家のM大学ポール・ライト教授、クローン技術最先端研究所所長のスカーレット・アーキン博士です。」
ミアに紹介されると、アーキンは静かに微笑んだ。
しかし、紹介されるべき人物はもう一人残っている。口を開いたのはローガン。
「実は、もう一人、ゲストが残っています。私は、最初に言いました。誰一人として、リーダーを知らない。実は、それは嘘です。ケレブルムだけに出来ることがあります。紹介します。今日の事件のフィクサー、ガブリエルです。聞こえるかな、ガブリエル。」
ヘクトルは、勿論、スタジオにはいない。
乱数で経由地を変えながら、電話での参加。実際にいるのは、テレビのついたピウス家のリビング。勿論、エマも一緒である。
ヘクトルは、ボイス・チェンジャーを確認してから口を開いた。
「聞こえるよ。」
「よかった。皆の前で言いたい。この番組を選んでくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
ヘクトルの礼儀正しさに、エイデンは眉を上げた。喋るのはローガン。
「早速ですが、テレビの前の視聴者の皆さんにお願いがあります。今日の番組中、この議論を法廷で行うことに賛同するかどうか、お手元のリモコンから投票して下さい。ガブリエルの行動が正しいのかどうか、皆さんの声を聞きながら、一緒に考えていきたいと思います。」
すべては、ゾーイに頼んだ通り。ヘクトルが彼女に示した条件の一つである。

ローガンは、軽快に司会を進行した。
「ガブリエル。君が誰か聞く気はない。ただ、今の気分は?」
「悪くない。」
「だろうね。聞くことが多すぎて、正直困ってしまうけど、まずは君の目的を教えてほしい。」
「さっき、あなたが説明した通り。クローン技術の軍事利用について、公の場で議論をしてほしい。それだけだよ。」
「議論?中止ではなくて?」
「当然、中止するべきだとは思うよ。でも、それは僕の意見だ。この問題はいろんな論点を持ってる。皆で議論して、その答えに従うべきだと思う。」
「他に方法があったのでは?」
「なかった。軍も警察も、皆、知ってて動かないんだ。テレビ局もそうだ。」
スタジオにいたゾーイは、スカーレットと目が合うと、首をすくめた。
口火を切ったのは、御意見番のエイデン。
「皆が動かないということは、それが一つの正解だという解釈は出来ませんでしたか。軍事利用という話ですが、この武器をつくっていいか、都度、国民に聞く国を私は知らない。有識者が然るべき会議を行って、手順を踏んで物事が進んでいる筈ですよね。」
ゼネラリストのエイデンの疑問は手堅い。
スカーレットは、ローガンと視線を合わせると、口を開いた。彼女の目的は、ヘクトルが責める砦を築くことである。
「今回の開発の場合は、少し特殊な事情がありました。臓器の培養については、議論が続けられているところですが、今回のクローン技術は既に完成された技術が国に提供されました。当然、軍事利用が想定されましたし、国として、先手をとる緊急性がありました。ですから、倫理的な議論については、プロセスが通常と違ったとは思います。ただ、着手時のレビューは研究所内でも繰返し行いましたし、国のレビューも含めると、数十名の有識者から意見を頂きました。進捗は所内では毎月、国には半年毎に報告しましたし、新施設への設備投資では、民間の企業にもプレゼン資料を流しました。軍事機密なので、秘密保持が前提という特殊性はありますが、皆で情報を共有しながら物事を進めてきました。手順に問題はなかったと考えています。」
ローガンは我が意を得た様である。
「よく分かります。ガブリエル、コメントは?」
スカーレットの説明には、これまで三人で議論したエッセンスが散りばめられている。
エマは大きな笑みを見せたが、喋るのはヘクトル。
「今の話で、本人も認めている通り、幾つか穴があった。まず、倫理的な議論は欠けていたんだ。それに、軍事機密を理由に秘密保持を求めるんじゃ、幾ら多くの目があっても口はないのと一緒だ。つまり、議論しないままに、計画を前に進めるための条件が揃ってるんだ。」
口を開いたのはライト教授。
「いいですか、ミスター・ガブリエル。国の個人情報の扱いに関する内部告発の件は知ってますよね。映画にもなりました。国の通話記録の収集は設備のパンクで終止符が打たれましたが、彼はその前に正義感を持って告発をしました。若者の過半数が彼を支持しました。ただ、告発した内容に、本当に誰も気付いていなかったでしょうか。そんなことは、ありません。噂は皆知っていました。国民の情報を許可なく集めるなんて、議論すれば絶対に無理です。でも、小さな子供ですら、ネット社会でテロリストとコンタクトがとれる状態で、国はどうするべきだったでしょうか。守るべきものがそこにあるなら、全員が目を受入れるのは、決して間違いではないと思います。つまり、国は非常事態を前にすると、時に世間一般の常識とずれた判断をせざるを得ないのです。」
ローガンは、分かり易く、ライト教授に同調した。
「慣れの中での不適切な行為は改善されるべきとは思いますが、確かに記録の件は、国政を預かる者にとってのテロ対策の一つの選択肢だったと思います。ガブリエル。どうかな。クローン技術の軍事利用は、国の選択肢として認められないのかな。」
ローガンは、図らずも、ヘクトル達が予め想定したNGワードを口にした。
喋るのはヘクトル。
「その質問自体がずれてる。戦争の質が変わり始めてるのは皆が知ってる。人の代わりが絶対的なニーズなのは誰にでも分かるんだ。ただ、誰もが持たなければいけない違和感は、クローンを利用するという表現が出来ることだ。クローンと人間に違いがあるのかということだ。」
スカーレットが後を受けた。
「軍事用のクローンは、基本的に人工知能の判断で行動します。人間との決定的な違いです。人工知能の考えを実行するために、人間の臓器のクローンをつなぎ合わせたボディがあると考えて頂ければ結構かと思います。」
スカーレットとヘクトルの止まらないラリーに、エマは笑顔で足を組んだ。
「基本的にとは?」
「身体を動かす部分まで人工知能に負担させると負荷が膨大になります。思考や記憶、人間の人格を担う部分以外は、クローン本来の脳に依存して、合理化を図ります。」
「AIがないと、動物でいうとどの程度の知能?」
「犬程度。」
「つまり、人間でいうと三歳児だ。残酷だよ。」
「あくまでキャパシティの話です。残酷かどうかは主観の領域で、回答に値しないと思います。」
「じゃあ、具体的な製造プロセスを説明した方がいい。その三歳のキャパシティのある人間の容姿をした物体は、何をされるのか知る必要がある。」
スカーレットは、グロテスクな話の前に、ゾーイの方を一度見た。
表情から判断する限り、彼女は興奮している。ゾーイは、もうスカーレットと同じ船に乗っているのである。
小さく頷いたスカーレットは、自らが絶望したストーリーを口にした。
「詳細は機密です。先ほどからある程度申し上げていますが、相性を確認した数人の臓器のクローンを培養し、マザーと言われる一人の人間の頭と四肢のクローンに移植して、つなぎ合わせます。神経の切断は大きな負担になるので、マザーの存在は不可欠です。残す脳の大部分も、このマザーのものになります。」
「考えることも記憶も出来ないのに、どうやって指示を?」
「三歳児でも方向を教えれば歩きます。攻撃する時は、脳を刺激する。それだけです。」
「武器は使える?」
「子供の頃、遊びでガン・ファイトをしませんでしたか?引き金を引くだけの武器なら使えます。」
通信機能の投票数が大きく伸びるのに気付くと、ローガンが二人の会話を止めた。
「三歳児が武器を使う表現は穏やかではないね。やっぱり、話を戻したい。そのクローンは人間なんだろうか。」
スカーレットは、小さく顎を上げた。失態を感じさせずに粗を残すのは、それなりに疲れるのである。
「培養する臓器は、死刑囚のものを利用しますし、人格はありません。当然、生殖機能もありません。全ての生命を慈しむ気持ちはありますが、人間か否かという以前に、生命体としての条件も満たしていません。」
ローガンは、テレビの前の視聴者を意識して、分かり易い説明を求めた。
「生命体の条件とは?」
「生命体を定義する上で、学者が使う人工生命体という用語は分かり易いと思います。まず、ある能力を与えるために、アルゴリズムを構築します。その能力がランダムに構築した幾つかの環境でも発揮されると、開発者はそれを人工生命体と評価します。ただ、それは人工物の域を出ませんから、生命体の定義ではないのです。詭弁に聞こえるかもしれませんが、機能は人工生命体に問われるものであって、それを幾つも列挙するのは議論の本筋ではありません。私は形状記憶合金と樹脂フィルムでつくった、熱源に反応して泳ぐ魚を美しいと思いますが、感銘を受けるからと言って、それを生命体と思うことは出来ません。私は単なる全体論者でもありませんし、精神性や思考力も重要と思いますが、それらは付加的なものとしか思えません。私が生命体を定義する基準、それはホメオスタシスです。ですから、生殖機能について言及しました。」
エマが頭の横で指を回すと、ヘクトルは小さく笑った。
ローガンの渋い顔を見ると、エイデンが説明を補足した。
「恒常性ですね。生き物や鉱物などが、内部の状態を一定に保とうとすることで、人間なら、体温や血圧等を一定に保つ性能や状態のことを言います。ドクター・アーキンの使い方だと、同じ状態の個体が安定して増え続けることを指している様に思います。」
ヘクトルが待っていた言葉である。
「子供の出来ない人は、生命体ですらないと言っている。」
スカーレットは、やはり、予め用意した言葉を口にした。
「それは、単体で考えるからです。あくまで、種として見る場合の話を、私はしています。子供のいない人が、養子を大切に育てたり、後進を子供の様に育てたりすることは、成熟した人間社会に重要な影響を及ぼしています。同性愛者についても、資源に対する人口のバランスが崩れた現在の地球にあっては、ホメオスタシスの観点でも確かな選択肢であると思います。」
ヘクトルは、リンカーンとカレブを思い出すと、小さく微笑んだ。喋るのはヘクトル。
「生殖機能を与えるかどうかは、あなたの勝手だ。彼らを世に送り出す時、普通の人間と同じ状態にすれば何かが違わないか?死刑囚だって、育った環境のせいで、人生を誤ったのかもしれない。稚拙かもしれないが、本人だけでなく、周囲の人間も自らを改めるために、クローン人間をその社会に戻し、皆でやり直すことだって考えられる。つまり、クローンは社会を浄化する存在にだってなれる。殺戮をさせる条件を揃えるために、人間とほぼ変わらない存在から、故意に生殖機能を奪う行為を、僕は放っておけない。」
ヘクトルの指摘に合わせて、また投票数が伸びるのを確認すると、サブ・キャスターのミアが会話の流れを変えた。
「研究者の考える生命体の定義は分かりましたが、やはり軍事利用というところに対して、私達の知識が少ないことは決定的だと思います。」
ミアの指摘をフォローしたのはエイデン。十八番である。
「X国との戦争では、一ヵ月程度で全土を攻略した後、一万人を越える治安維持部隊を派兵し、生命をかけて、武装集団と抗争しました。結果的に、五千人近いA国兵が死んでいます。また、Y国では、死者数こそ半数ですが、十年以上作戦が継続しました。死と隣合せの究極の環境に、A国は仲間、我が子を送り続けたのです。」
口を開いたのは、大きく頷いたローガン。
「世界の治安を守るために、多くの命が奪われています。仲間や我が子を戦場に送ることを考えれば、国としては当然の努力に思えます。クローンの御蔭で、多くの命が救われます。もしも、軍事利用が駄目なら、クローンの臓器移植も駄目なのでは?ドナーを待って、命を落とす人は大勢いるので、クローン臓器のニーズは絶大ですが、体が欠けるだけでも許せないなら、臓器単体なんて、勿論、無理ですね。完全な人間にしないと。」
エマは眉間に皺を浮かべた。
ローガンの狙いは見え透いている。
世論の分かれる臓器移植と軍事利用を無理に一括りにして、極端な投票結果になるのを避けたいのである。
盛り上がるのはいいが、結論は出したくない。
最初から、ローガンに国と対立する気はないのである。
ヘクトルは、エマの顔を覗いてから口を開いた。
「二つの問題を、分けて考える必要がある。戦争と臓器移植。戦争は、そのもの自体の在り方を考えるべきなのは明らかだ。臓器移植はドナーの同意が前提なら、どこにも問題は発生しない。全く別次元の問題だ。」
口を開いたのはスカーレット。彼女の使命は、自らの納得できない話題を挟むこと。
「私達の国は民主主義でありながら、時として、戦争を選択します。ただ、それをおかしいと言うなら、それは大きな誤解がそこにあるためです。私達の国は、かつて野蛮国家と言われました。今日の世界をつくり上げた私達の国は、建国以来勝ち続けているのですから、本質は全く変わっていない筈です。ただ、私達の国が連合で維持する経済的植民支配はほぼ地球全体に及んでいますから、その野蛮を感じるのが植民支配に抵抗するごく一部の人に限定されたということ。それだけのことなんです。帝国の中枢にいる国民は、異分子に対する戦争に、中世の差別的観念をもって望めるほど平和です。一部の平和な国民は、超法規的な軍事行動を懲罰と錯覚して、時に強く希求しながら、血の臭いが自分の鼻に届くと不満を言うのです。戦争自体は、私達の国の在り方同様に、昔から何も変わっていません。矢を放たれれば、弦を引けなくするだけです。超法規的に始まる戦争の在り方を、国が制御することなんて出来ません。臓器移植については…。」
スカーレットの言葉がエスカレートしていくと、ゾーイは首を傾げた。
今日のスカーレットは、彼女の知るスカーレットではない様な気がしたのである。
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