第85話 多感

文字数 3,384文字

ブレンダンの走馬灯は続く。
幾つものイメージが通り過ぎた後、ブレンダンは、高校生の頃、女の子に告白された日の出来事を見た。
小学校や中学校の時も告白されたが、高校のその日は明らかに特別だったのである。

ブレンダンは、高校に入ると、ギターを始めた。野球チームを止めた反動が、彼をアウトローの気分にしたのである。
ブレンダンは、時流に流されないことをロックと決め、髪形や服装を、中学時代と変えることはなかった。硬派なのである。
高校からの友人のウィルに勧められたロック・バンドのコピーからギターに入った彼は、特に音に拘りがあるわけでもなく、とにかくテンポが早い曲を練習した。
ウィルの家は、父親の趣味でガレージの二階にスタジオがあり、楽器を演奏しても苦情が来ない。ブレンダンは、ウィルの家に入り浸り、順調にギターの腕を上げた。
レパートリーはほんの数曲しかない。アンプにつなげない自宅での演奏は、笑いながら早弾きを競うウィルの家でのものとは全く違った。
ブレンダンにとってのロックな時間は、ウィルの家で過ごす時間だったのである。

便利過ぎるウィルの家を使うのは、ブレンダンだけではない。
その日は、ウィルの両親が留守にしたせいで、八人が集まった。そのうち三人は女の子である。学校も違う彼らの共通項はロック。十分である。

ブレンダンは煙草を吸わないが、ウィルの部屋に喫煙者が紛れ込むのは日常。
服につく臭いは、ブレンダンの心配の種だったが、その日は少し違う臭いがした。
女の子のうちの一人、アヴェリーが彼の隣りで吸っていた草の臭いが、どこか妙だったのである。
おそらくは大麻。
ストロベリー・ブロンドの毛先にライト・グリーンが残るアヴェリーは、ダメージ・ジーンズに、小さいTシャツを不可能な迄にだらしなく着こなしている。
一目でブレンダンが嫌いなタイプである。
気持ちはロッカーのブレンダンは、平静を装い、笑顔で話しかけた。
「そのスカンクは、どこで手に入れたの。」
アヴェリーは微笑んだ。彼女はロッカーなのである。
「兄さんが医療用大麻を育ててるの。私は、時々しか、吸わないわ。」
常習犯である。
ブレンダンは、薬に関する自分の記憶を辿った。
中学校の頃。小学校からの友人のジェイクが片頭痛で脳内科に行き、処方された薬がドラッグと成分が同じと知った時、学校は大騒ぎになった。
ジェイクは、一錠を二十ドルで売り、少しだけぼんやりした皆は、奇跡の体験を口々に語った。伝説の時間である。
そして、今、隣りにあるのは、あの大麻。ロッカーの必需品である。
しかし、ブレンダンは吸わない。臭いがついて、親に叱られるのが嫌だからである。
ブレンダンは、自分に迫るパープル・ヘイズを、大きく息を吸って、アヴェリーに吹返した。二人は、大きく揺れながら笑った。

二人が笑った理由を気にしたのはウィル。
アヴェリーが大麻を持参したことが分かると、ロックを愛する皆の興奮はいきなり最高潮に昇りつめた。
どちらかと言うと浮いていた彼女は、一瞬でクイーンになったのである。
程なく、気をよくしたアヴェリーが、そうなるべくして、皆をミス・リードした。
「曲をつくらない?」
口を開いたのはウィル。
「いきなり?皆で?」
アヴェリーは適当である。
「何か、好きにコードを引いてよ。後は合わせるから。」
そんな実力の持ち主は、一人もいない。
しかし、ロック好きの七人は、ドラッグ・クイーンの起こした大波に流されてしまった。
純粋にロックが好きなブレンダンの苦悩。
何々みたいな曲をつくりたいと言って、意見がまとまるのは悔しい。何より、安っぽい。
しかし、ゼロから曲をつくったことはない。下手を晒すのを拒み、クリエイティブな雰囲気を壊すのも嫌である。
結果、ブレンダンは、少ないレパートリーから心地よいリフを切出し、エフェクター頼りでひたすら繰返した。
ブレンダンの気持ちに気付いたのはウィル。
曲作りと言う点で、唯一、話になりそうなのは彼である。
頼れるウィルは、ポール・リード・スミスで、ブレンダンの単調な音に深い音を重ねた。
他の皆の視線は、ゆっくりと二人に集まった。
悪くない空気。
ブレンダンは、何も考えずに微笑み、ウィルもそれに応えた。楽しかったのである。
永遠に続くかに思われた二人のギグもどきに、不協和音が混ざったのは次の瞬間。
「〇〇〇〇!ジ・エンド!××××!ノー・フューチャー!」
アヴェリーが、歌詞をのせたのである。
ブレンダンは引いた。
何となく、ノリ始めているのは気付いていたが、まさかの自作の詞である。
心優しいブレンダンは、リフを刻みながら、折角なのでアヴェリーの詞を理解しようとした。
分析の結果、彼女は、ジ・エンドとノー・フューチャーという言葉を頻繁に使い、絶叫しているだけであることが判明した。
確かに同じリフの繰返しなので、曲に合っていると言えば合っている。
しかし、そうは言っても、初めて仕上りつつある曲である。
出来れば、繊細な若者の内面を切出す様な歌詞にしてほしい。
部屋の中を見渡すと、思わぬ暴力的なユニットの誕生に、皆が苦笑いを浮かべている。
ブレンダンは、自分の気持ちが違うことを教えるために、少しずつ音を原曲に近付けた。
微笑んだのはウィル。ブレンダンを知る彼は、やはり合わせる様に原曲に音を近付けた。
つまり、伴奏は原曲のまま。
一人残されたアヴェリーは、暴力的な替え歌を歌う自分に気付くと、微かに恥じらいを見せた。
照れ笑いを浮かべた彼女が、すぐに歌詞を変えると、誰もが知る名曲が部屋に流れた。
愛して止まないロック。皆が一緒に歌を口ずさむ。
ブレンダンの大好きな時間が、戻ってきたのである。

アヴェリーの謎の支配が終わって、間もなく。
部屋を出ていたウィルが、グレンフィディックのボトルを持って戻ってきた。
ウィルは、根は真面目だが、時々酒を持出す。
親が箱買いをしているせいだが、これも臭いが残るので、ブレンダンは嫌だった。
ブレンダンは、親に叱られるつもりはないのである。
「飲む人!」
ウィルが、子供の笑顔で皆に尋ねると、アヴェリーが一番に手を挙げた。
嫌な予感に顔を歪めたブレンダンの隣りで、笑顔のウィルは、紙コップにシングル・モルトを注いだ。
「ありがとう。」
アヴェリーは、紙コップを受け取ると、そのまま、琥珀色の液体を喉に流し込み、直後に噴き出した。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ!」
皆が声を揃える中、アヴェリーは咳き込み続け、瞬く間に、部屋は酒の臭いで一杯になった。
ブレンダンが気にしたのは、楽器に散った酒。
ハンカチで楽器を噴き出した半泣きのブレンダンを見ると、アヴェリーは小さく呟いた。
「ごめんなさい。」
謝られて、無視できないのがブレンダンである。
「いいよ。仕方ないさ。君は大丈夫?」
きっと、ブレンダンの言葉は優しく聞こえた筈である。

更に時間が流れ、ブレンダン以外の七人は、順調に酔っていった。
ペースを知らない彼らの酔い方は、ほぼ泥酔。
それが皆の本性だと思うと、少しだけ怖い。
酔っていないブレンダンは、ギターに逃げた。いつもの自分のまま、人の醜態を見るのは卑怯。そう思ったからである。

程なくして、ブレンダンは小さく仰け反った。
隣りのアヴェリーが、立ち上がろうとして、よろめいたのである。
口を開いたのは、目の赤くなったウィル。
「トイレだって。」
皆の顔を見たブレンダンは、ギターを手放し、アヴェリーに肩を貸した。
自分しか、頼りになる人間はいないと思ったからである。
廊下に出て、二人きりになると、肩を抱かれたアヴェリーは、ブレンダンに酒臭い息をかけた。
「私、あなたのこと、前から知ってたよ。」
ブレンダンは知らない。髪の毛がかかるのが、嫌なぐらい。
「ああ、そう。学校、どこだっけ?」
適当に答えたブレンダンに、アヴェリーは愛の告白をし、ブレンダンは一秒で断った。
無理なものは無理なのである。
ブレンダンは、トイレにアヴェリーを置去りにすると、ウィルと他の仲間に別れを告げ、一分で部屋を去った。

その後も、ブレンダンは、アヴェリーを何度か目にしたが、基本的に逃げた。
大麻に酒に女の子。
ブレンダンは、その日、全てを拒絶したが、その全てがロックの代名詞で、強烈だった。
あるいは、彼に強烈な印象を与えたのは、アヴェリーだけだったのかもしれない。
ブレンダンが走馬灯で見たのは、決して好きではないアヴェリーだった。
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