第8話 捜査

文字数 2,997文字

その日、連邦捜査官のロレンツォとニコーラは、ヒュドールの関連施設であるヒュドール・リサーチ&エンジニアリングに車を走らせていた。
消防の記録に、爆発事故の情報を見つけたのである。
道路の両脇は、見渡す限りのプレーリー。
運転を交代しながら、S郡の中心街に到着したのは昼過ぎだった。
S郡は田舎だが、中心街はそれなりに開けている。
比較的人の多い駅と商店街には、土産物を探したくなる風情がある。
ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングがあるのは、この商店街からそれ程離れていない場所。
ホワイトの高い塀が目についてからエントランスまでは車でしばらく走るが、ヒュドール頼みなのか、エントランス前にもちらほらと飲食店がある。連邦捜査官の二人が入りたくなる様な店構えでは決してないが、好みは人それぞれである。
街の雰囲気を掴んだ二人は、エントランスで受付を済ませると、更に車で進んだ。
事前の調べ通り、施設の敷地は広大である。
鬱蒼と茂るグリーンの森林を数百メートル進んで辿り着くのが、来客用の駐車スペース。
管理棟のエントランスまで歩く間、見事に手入れされた庭園の草花に、度々ニコーラは目を奪われた。行先に気を配るロレンツォとニコーラは、明らかに見えている世界が違う。
敷地内には、建物が幾つもあった。それも事前の調べ通り。
ヒュドールの系列会社が出資して、研究設備の建設を続けているのである。
この敷地で起きるすべてを把握することは、およそ不可能と考えていいだろう。
ホワイトの管理棟に辿り着いた二人は、無人のエントランスでもう一度受付を済ませた。
「本気かな。」
ニコーラが呟くと、ロレンツォは小さく笑った。
広報担当の男が迎えに来たのは、それから四分後。
二人は、入ってすぐの応接室に通された。
一目でホフマンと分かるブラックのソファに腰掛けると、閉じたばかりの扉が大きく開いた。
爆発した施設の管理担当のグラフ部長と、消防担当者のジョンソンの登場である。
ジョンソンはグラフ部長より年上に見え、一方の年下の部長のスーツは悪くない。
自己紹介を終えると、二人の手元を見ていたジョンソンの説明が始まった。
途中でコーヒーが配られ、ロレンツォとニコーラが飲み終える程度の時間を費やしたジョンソンの説明は、端的には次の通りである。
・爆発の発生時刻は午前十一時頃。
・重力場実験室の前室で、爆発事故が発生。
・死傷者はゼロ。
・具体的な被害としては、火害はなく、爆風で内装と仮置きしていた実験設備の一部が破損。
・鉄筋コンクリート造の構造体には影響なし。
・原因は、廃棄予定のボンベからのガス漏れと静電気による着火。
・再発防止策は、ボンベ使用に関する関係者への講習会の実施と、ボンベ使用終了時の処理方法に関する簡易マニュアルの現地への掲示。
ニコーラは、説明の途中で、グラフ部長の眉間に皺が浮かぶのを見つけた。詳細を知ったのは、初めての可能性が高い。
口を開いたのはロレンツォ。そもそも、爆発は調査のきっかけに過ぎない。
「実は、ある誘拐事件と、この施設の爆発が関係している可能性があります。」
グラフ部長の眉間の皺はさらに深くなっていくが、ロレンツォは止まらない。
「御社の厚意による他ないのですが、監視カメラの映像を提供してもらえませんか?」
ニコーラも笑顔を浮かべ、ジェスチャーで同意を求めたが、部長はものを知っている。
「令状はないんですか?」
「要りますか?」
ロレンツォがしらを切ってみると、グラフ部長は小さく笑った。
「要らないんですか?」
「場合によっては。」
ロレンツォが即答すると、部長は何度か頷きながら、ジョンソンを見た。役目を終えた彼の顔は笑っていない。
グラフ部長は、姿勢を変えると仕切り直した。
「いいですか。ここは研究施設です。守秘義務もあるんですよ。」
微笑んだロレンツォは、まずはソファに身を預けた。
次の変化は広報担当の登場。
何が変わるわけでもなく、ロレンツォとニコーラが、議論の末に辿り着いた事実は、人の手で巨象は動かないということ。絶対である。
そして、ロレンツォは馬鹿ではない。
「分かりました。それなら、爆発の現場を見せてもらえませんか。事前に許可は頂いていますよね。」
前向きな撤退である。
席を立った途端、グラフ部長とジョンソンの議論が始まった応接室を離れ、広報担当の背を追った二人は、キープ・アウトのテープの外から、問題の部屋を覗き込んだ。
天井は高い。実験室の前室と言っても、家一軒分ほどある様な広さである。
眺める限り、爆発事故の痕跡はそのまま。ほぼ、カオス。
鑑識でも連れなければ、何かが言えるとは思えない。
手を付けるとすれば、出直さなければならないのは、明らかである。
二人は、受付までエスコートしてきた広報担当者に丁寧に別れを告げた。
ここまでの遠路を来たのである。ロレンツォとニコーラに、折角の時間を無駄にする気はない。
飲食店にガソリン・スタンド。コンビニエンス・ストア、レンタカー・ショップ。
仕事の山である。
しかし、二時間後の二人は、店員がかなりの確率でタトゥーをしていること以外、ほぼ何も得ることがないことを知った。
流れで足を向けたのは、タクシー会社。離れた場所にあったので、後回しにしていたのである。
見る限り、広大な敷地にタクシーが一台だけ止まっているだけ。繁忙期でなければ、心配である。
ロレンツォとニコーラは、扉が開きっぱなしの平屋に入ると、ベルを鳴らした。
管理棟があるとすれば、ここの筈である。
間もなく現れたタトゥーのブラウンに、ロレンツォが連邦捜査官であることを告げると、奥からジャケットを羽織るブラウンが現れた。社長である。
「捜査官。俺はこうなると思ってたんだ。」
ロレンツォとニコーラは、顔を見合わせて微笑んだ。当然、初対面である。
「ヒュドールだろ。この間、うちのがあそこで変なのを乗せたんだ。まあ、来てくれ。」
社長は、手招きをすると、奥へと急いだ。
広くはない。長机にパソコンが置いてあるだけ。
苦笑する二人を前に、社長は素早くパスを入力した。捜査令状は要らない様である。
ロレンツォとニコーラは、社長の顔の横からモニターを覗き込んだ。
爆発事故当日の車内側の動画。数字が正しければ、昼前後。その時間の映像だけ残しているので、前言は事実の様である。
映っているのは、確かに妙な男だった。
取敢えず、目つきがおかしい。あまり見ないレベルの興奮状態である。時々、ちらつく膝は出血している様にも見える。
左右に並ぶ知的な顔を交互に見た社長は、得意げに口を開いた。
「こいつは、無視したのにタクシーを追いかけてきたんだ。」
ロレンツォは微笑んだ。分かってはいるが、確認する義務がある。
「なぜ、無視を?」
「血が出てるし、怖いからさ。それがずっと追いかけてきた。そのうち、可哀そうになって乗せたら、長距離だ。神の恵みだ。それが、途中はずっと黙ったまま。家に着いたら、前で待たせて、金を持って戻って来る。分かるだろう。無一文だったんだ。」
絶対に忘れない客である。
ロレンツォとニコーラは、日報を当たると、住所のメモをとった。
施設の近くに不審者がいただけでは、ヒュドールを追及できない。その不審者に行き着かないと、次の道はないのである。
無駄な空想を許せば、誘拐事件の被害者か加害者のいずれかが、既にこの地を後にした。
事実とは言わないが、その可能性は限りなく高いだろう。
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