第26話 推理

文字数 4,728文字

その日のヘクトルは、自宅でスカーレットの訪問を待っていた。
勿論、彼女から頼まれたのである。アーサー夫婦の同席も認める彼女を拒絶する理由はない。
きっと、ヘクトルが思っていた成行きに任せた日が、今日なのである。

時間通りにベルが鳴ったのは、前と同じ。几帳面である。
ヘクトルは、モニターの中にグレーのスーツの彼女を見つけた。
多分、彼女は男の家に行く時は地味な格好をしている。何でも、頭が回るのである。
ヘクトルが笑顔で招き入れると、スカーレットは颯爽と家に入ってきた。
彼女が、ヘクトルと同じ顔のもう一人を楽しみにしているのは確かである。
客間に進んだスカーレットは、客間のアーサーを見て微笑み、隣りのビクトリアを見ると、目を瞑り、顔を横に振った。当然、挨拶は忘れない。
「初めまして。」
ソファで声を上げたアーサーが立ち上がると、スカーレットはヘクトルを一瞥してから、アーサーに歩み寄った。昔の恋人と同じ顔の男が二人である。
「アーサー・アンダーソンだ。彼女はビクトリア。」
「スカーレット・アーキンよ。宜しく。」
遅れて立ち上がったビクトリアも混ざり、三人は固い握手を交わした。
ヘクトルが見る限り、この様子なら、アーサーはスカーレットと初対面。つまり、ヘクトルのクローンは三人以上という事である。

ビクトリアは、スカーレットに突進してきたマテウスを抱き上げると、別室に動いた。
「悪いね。」
アーサーが気を使うと、残された三人は笑顔を交し、ソファに腰を落ち着けた。
ヘクトルにしか効かないかもしれないが、会話のカンフル剤は、ブルボン・ピーベリーのブラック・コーヒーである。
皆の気持ちが整ったことを表情で確認すると、スカーレットは鞄を広げた。
出したのは二通のレポート。タイトルを見る限り、DNAの検査結果で違いない。
一方には、被験者の欄にヘクトルの名があるが、もう一つは黒塗り。
スカーレットは、レポートをヘクトルの方に、静かに滑らせた。
「この間のDNAの検査結果。一致したわ。ヘクトル。あなたもクローンよ。」
今となっては、もう何の驚きもない。
顎が軽く上がったヘクトルが、やがて何度か頷くと、スカーレットは、隣りのアーサーの目を見つめた。
「確率論的には、あなたもね。」
直接、話を聞くのが初めてのアーサーは、嘘の様な話に大きく微笑んだが、間もなく二人を見ながら頷いた。彼の気持ちも、出来上がってきている。
スカーレットは、ヘクトルに視線を戻した。
「まあ、この人がいれば、こんな検査はいらなかったかも知れないけど。」
それは、第三者の意見である。口を挟んだのはアーサー。
「いや、大事だ。生き別れた双子とクローンじゃあ、全然違う。」
頷いたヘクトルも口を開いた。
「それじゃあ、僕達は、ラファエルという人につくられたのか?」
見ない事にしていた世界に、踏み込むしかなくなったのである。
スカーレットは顔を横に振った。
「今はまだ特定できないわ。ただ、技術自体は、彼のものだろうから、何かの形で関係してる筈よ。」
スカーレットは、アーサーのことも忘れない。
「そう言えば、あなたはラファエル・クレメンスを知ってる?この人。」
彼女が最も知りたいことである。
アーサーは、スマートフォンの写真に見入った。
「いや、どこかで見たことがある様な気もするけど。知らない。少なくとも、君に紹介できる様な仲じゃない。」
「でしょうね。」
スカーレットのターゲットは、ヘクトルに戻った。
「おそらく、ヘクトル。あなたが一番彼に近付いてる筈。あなたはルーツを辿って、彼を動かしたわ。」
アーサーの小さな驚きを見つけると、スカーレットは説明を加えた。
「薬を盛られて、動かないブタと、エミリーの老後?何年後かの姿を見せられたのよ。聞いてない?」
シュールである。
呆気にとられたアーサーの口が閉じ切らないのを見ると、ヘクトルは小さく笑った。
「事実だけど、信じないと思って言わなかった。」
その選択は間違っていない筈である。喋るのはスカーレット。
「その後はどう?」
ヘクトルは、二人の顔を観察した。
「実はもう一回見た。」
アーサーの眉間に、軽く皺が入った。
「何故、言わない?」
「今、言ってる。」
ヘクトルの言葉に小さく頷いたスカーレットは、話を進めた。
「今度は、何を言われたの?」
考えたヘクトルは、取敢えず、ありのままを話した。
「多分、最後通告だ。それと、真相はつまらないって。」
目を見開いて、話の続きを待ったアーサーは、それが全てと知ると、不満を口にした。
「つまらないことなら、言えばいいんだ。クローンをつくって、何十年もちょっかいを出して。つまらない真相って何だ。」
常にラファエルを意識するスカーレットのフォローは早い。
「いいえ。本当にそうかも。単純に、自分がつくったクローン人間の成長の記録をつくってるだけかもしれないわ。クローン同士を結婚させてるのも、出会わせることに目的があるんじゃなくて、他と出会わせないことが目的なら分かるもの。クローンの安全性が分からないから、クローン以外との結婚を妨害してるなら、話が通るわ。」
おそらく、持論である。
ヘクトルは、スカーレットの言葉をほんの少しだけ信じた。
他人事なら、九割がた信じたかもしれない。
ヘクトルが信じない一割。
それは、ある人物から、ある事を頼まれているから。
ヘクトルは、スカーレットを見つめると、静かに口を開いた。
「スカーレット。君は関係してないのか?」
今まで推理を進めてきたスカーレットは、不意に黙り込んだ。
ヘクトルがそうである様に、スカーレットにもヘクトルの真意が分からないのである。
結果、喋るのはヘクトル。
「AIダイナミクス社を知ってるかい。」
「もちろん。ヒュドールの系列会社よ。」
スカーレットの答えは早い。頷いたヘクトルは、アーサーと目を合わせてから、言葉を続けた。彼と一緒に確認したことである。
「その会社が、僕の人生に登場した時間がある。大昔だ。何があったのか、意味があったのかも分からないけど。」
スカーレットが沈黙を選ぶと、ヘクトルは、彼の中の本題に入った。そう。今からである。
「この間、連邦捜査官が訪ねてきた。」
スカーレットの知っていることである。教えたのはロレンツォ。
「でしょうね。あなたを訪ねると言ってたわ。何か?」
ヘクトルは首を傾げた。
「君は、彼らに全てを話したかい?」
ヘクトルの心は、連邦捜査官と共にある。
言いたい事の分かるスカーレットは、小さく微笑むと、ヘクトルを見つめた。
「勿論。但し、必要と思うことだけよ。あと、言い忘れてることもあるかも。」
無敵の答えである。
ヘクトルがスカーレットを見つめる中、玄関のベルが鳴った。
ヘクトルは、表情を変えずに、アーサーに手を挙げ、静かに立ち上がった。
約束の人。ロレンツォとニコーラの登場である。

客間に入ってきた二人は、アーサーを見つけると小さく笑った。
ヘクトルに生き写しなのである。
人が増えた予感に、マテウスが客間に踊り出すと、ビクトリアが後を追って、顔を見せた。彼女はエミリーと同じ顔。
ロレンツォとニコーラは、声を抑えて笑ったが、ヘクトルの気持ちを想ったロレンツォが顔を整えると、不思議な顔合わせは終わった。
ビクトリアがマテウスを連れ出し、大人の時間の始まりである。

ロレンツォの一言目は、スカーレットへの謝罪。
「次に君から連絡があった時に、僕達を呼ぶ様に、ミスター・ピウスに頼んでた。悪いね。」
ニコーラも、笑顔で謝意を添えると、スカーレットは静かに口を開いた。
「想定の範囲内よ。」
ロレンツォは、スカーレットが面倒だと知っている。
「もう大体分かると思うけど、要はヒュドールが、メディカル・リサーチ社かもしれないけど、クローン人間をつくってるんだ。ずっと前から。で、監禁されたのは、何かの形で何かを知ってしまった人。」
それは、ロレンツォのストーリーで、スカーレットのストーリーとはまったく違う。
ヘクトルとアーサーが見守る中、スカーレットの反論は早い。
「間違えてる。まず、うちの会社にはクローン人間をつくれる様な技術はないわ。私が担当なんだから。」
スカーレットは、ヘクトルやアーサーに視線を投げるのも忘れない。
「ただ、ヒュドール。あそこは全然分からないの。社長のホワイトの姿なんて、この一年以上、誰も見てないわ。」
ロレンツォとニコーラが、かつて、会議で聞いた情報である。
ロレンツォは小さく頷いた。
「その噂は聞いてる。それは、自分じゃなくて、ホワイトが怪しいってこと?それとも、姿を見せないホワイトは何も出来ないとか?」
ほころびを探されながら喋る気のないスカーレットは、話を仕切り直した。
「元々、うちの会社は、彼がアンチ・エイジング用のクローン技術を開発するために買収した会社なの。クローン事業がメインなんだから、全部、アピールしてるわ。うちには、クローン人間をつくるなんて、まだそんな技術はないの。ただ、ヒュドールにもそんな開発部門はないから。もしも、クローンをつくってたら、プレジデントが一人でラファエルに指示したと考えるのが自然ね。分かるでしょ。ラファエルよ。」
ロレンツォとニコーラは反応を見せない。
小さく苛立ったスカーレットは首を傾げた。
「連邦捜査局は、ラファエルのことをどこまで知ってるの?本当のことを教えて。」
ラファエルに関心のないロレンツォは、身を乗り出すと、スカーレットとの距離を詰めた。
「彼のことは、誘拐事件の捜査線上に一切出てこない。クリアだ。僕達には関係ない。分かるね。それより、誘拐事件について、何か知ってることは?」
スカーレットはソファに背を任せた。ロレンツォとの距離をとったのである。
「知らないわ。知ってれば、言うわ。」
ロレンツォは微笑んだ。
「ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングは?」
「何?名前だけ言われても。私もよく使う施設があるけど。」
スカーレットが即答すると、ニコーラを一瞥したロレンツォは、小さな刺激を与えた。
「誘拐事件の被害者は、皆、あそこに監禁されてたらしい。」
スカーレットの動揺は特別なものには見えない。
ロレンツォは手綱を緩めた。
「ただ、裁判で使える証拠はない。被害者の一人とは会えたけど、精神病院にいる。彼の証言じゃ、捜査令状はとれない。」
笑顔の二コーラが言葉を被せた。
「分かるだろう。手詰まりなんだ。」
黙って、耳を傾けていたスカーレットは、短く笑って、ロレンツォとニコーラを見た。
皆の視線が、スカーレットに集まっているのは確か。
小さく息を吸い、顎を上げたスカーレットは、ロレンツォを見据えた。
「次の休日に、皆でヒュドール・リサーチ&エンジニアリングを訪ねましょう。人は少ない筈よ。」
最初から何かを期待しているのがロレンツォである。
「どうやって?」
礼も言わない彼のために、スカーレットは言葉を続けた。
「私のコードがあれば、全員、入館できるわ。記録が残るから、何度も入るわけにはいかないけど。出来れば、一回で決定的な証拠を見つけたいわ。」
皆が何とはなしに頷く中、ロレンツォは曖昧な言葉の意味を確認した。それが彼の仕事である。
「全員って?」
スカーレットは小さく笑った。
「あなた達だけだと、誤魔化しようがないから。ここにいる皆よ。ただ、マテウスは無理だけど。」
アーサーが口を挟んだ。
「ビクトリアも?」
スカーレットは、ヘクトルの顔を見た。ヘクトルに断る理由はない。
「いいわ。いいわね。」
スカーレットの視線がヘクトルからロレンツォとニコーラに移ると、二人も小さく頷いた。
決まりである。
スカーレットが連邦捜査官二人と詳細を詰めにかかると、腰を上げたアーサーはビクトリアの元に急ぎ、ヘクトルは託児所に電話をかけた。
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