第53話 車窓

文字数 1,911文字

エマは、ベッドから車の外を眺めていた。
ハンドルを握るのはパープル。
寝たまま流れる景色を見るのは、学生の頃の寝台列車以来である。
運転手のつもりはないパープルは、黙っているつもりはない。
「ヘクトル・ピウスのことを教えようか。」
「手短に頼むわ。」
小さく笑ったパープルは、話を続けた。
「ヘクトル・ピウスは、クローン学者のラファエル・クレメンスの父親のクローンだ。彼は、ラファエルの目の前で夫婦揃って殺された。猛獣が逃げ出したことになって、飼育員が何年か檻に入ったが、実際は違う。」
なくはなさそうな話をエマは聞き流した。
パープルの話は終わらない。
「そして、ラファエルはブタになった。」
「ヘイ、ヘイ、ヘイ、ヘイ。」
予想していたパープルは、バック・ミラーに微笑んだ。エマは少し怒っている。
「仕方がなかったんだ。そこが気になるんなら、忘れてくれていい。」
エマは、何も言わずに窓の外に目をやった。喋るのはパープル。
「ラファエルには、自分のクローンのサミュエルがいた。彼は、若い自分に、自分の両親のクローンで、幸せな一家を再現することを託したんだ。そして、サミュエルがつくった一人がヘクトル・ピウス。パートナーのクローンがエミリーだ。二人は、皆の期待通りに出会い、結婚した。」
「ヘイ。」
エマは短く口を挟んだ。視線の先はバック・ミラーのパープル。
「そのクローンって、何?ロボットみたいに、記憶も一緒なの?」
ヘクトルはヨシュアと一緒の筈である。
「いや。普通に人間だ。」
「でも、結婚するの?」
「したね。」
「どうやって?」
「どうって。」
「無理に?」
「まさか。何とかなるもんなんだ。」
エマは、何度か頷くと、また窓の外に目をやった。パープルの話の再開である。
「確かに彼らの結婚は素晴らしかった。ただ、奇跡はそこで終わらなかった。二人の間に、男の子が生まれたんだ。それはラファエル…。」
「違うでしょう。」
「そう、違う。ただ、ラファエルの中ではラファエルなんだ。」
エマの視線はまた外へ。パープルは構わない。
「とにかく、その瞬間。ヘクトルは、僕達にとって、特別な存在になった。他にも同じDNAのクローンはつくった。確率を高めるためにね。ヨシュアは、その一人だった。」
薄々予想していたエマに言葉はない。
パープルは、気の強いエマに微笑んだ。
「あと、僕もクローンだ。僕は、ラファエルが直接つくったクローン。サミュエルと同じビンテージだ。」
暫く車に揺られたエマは、ようやく黙ったパープルの背に声をかけた。
「ラファエルはブタになったって?」
パープルが声を出して笑うと、エマも付き合った。確かに、最大のインパクトはそこかもしれない。

すべてを受け入れてみるのがエマである。
「よく分からないわ。ヨシュアと私は普通にやってたから。」
「生まれ方以外、クローン人間と普通の人間の間に違いはない。同じDNAのクローン人間同士も、一緒に育てられなかった双子ぐらいの差がある。ただ、健康な男女なら、環境を整えれば、何とかなる。それが僕達の経験だ。危ないのは、他に惹かれることだ。だから、時々悪戯をした。本人には分からない様にだ。」
エマは、喋り続けるパープルの後頭部を見た。
「君達は別だった。君は放っておいても戦地に行くから、それ以上は要らなかったんだ。」
エマはまた車外に目を移した。パープルの口調に罪悪感は見えない。
「君のことは誇らしかった。なかなか出来ない。サミュエルにも報告したが、皆、君達二人は本当に素敵だと言ってたんだ。」
褒められているのは分かるが、“皆”が誰を指すかは大きな問題である。
「皆って?ブタのラファエルも?」
「彼は話さない。サミュエルや、僕と同じクローン達だ。」
「〇〇〇〇!」
呆れたエマは、不意に普通の会話が恋しくなってきた。
「ヘクトルはどんな奴?」
何を勘違いしたのか、パープルが躊躇うと、エマは質問を重ねた。
「いい奴?」
パープルは小さく笑った。
「僕は会ったことがないが、聞く限りはいい奴だ。弁護士で頭もいい。息子にも優しい。言うのを忘れてたわけじゃないが、最近、彼は、事故でエミリーを亡くして、傷ついてる。ラファエルの望んだ幸せは、ほんの一瞬で終わってしまったんだ。」
エマは眉を上げた。好きな話ではない。
パープルは、ハンドルを握ったまま、一瞬、エマに振り返った。
「今度は守り切ろう。ヨシュアを二度と殺させたくない。」
それは、エマの頭にも一瞬過ったビジョン。
エマの神経を引き裂き、エマの顔を歪める記憶。
「別人よ。」
口を閉じたエマは、改めて、窓の外を眺めた。
車外に広がる平原は、雲の流れを感じさせる程、どこまでも変わらない。
同じものが、どこまでもどこまでも続くのである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み