第67話 復讐

文字数 4,334文字

ジョンのキリスト像は、とうとう完成した。
彼が全身全霊を注いだその作品は、数奇の運命を辿ってきた彼の人生も相まって話題になり、テレビにも紹介された。
番組を撮影したのは、ヘクトルの依頼で、一度は若い女性の命を奪った精神異常者としてジョンを報道したゾーイ。
ゾーイは、彼の苦労を労い、アンジェリーナにも取材をした。
アンジェリーナは、素敵な思い出しか口にしない。
全て、ジョンが望んだ通りのストーリーである。

テレビを見たアンジェリーナが訪ねてきたのは、それから間もなくの事。
ジョンとアンジェリーナの距離は急速に縮まり、アンジェリーナは、インガーソル家に足繫く通う様になった。

そんな四人に異変が訪れたのは、いつもの様にビッグ・ビフ・ビーフに食事に出かけたある日。家の前でタクシーから降りると、家の前に、一台の車が止まっていたのである。
ただ止まっていた訳ではない。
庭のかたちを無視して、斜めに止まるG国製の知らないセダン。色はシルバー。しかも、誰もいない内にである。
ジョンが近付くと、外の様子を伺っていたのか、ドアが勢いよく開いた。
車から降りたきたのは、アイクである。

ジョンは、脱出以来のアイクとの再会に驚いたが、驚いたのはアイクも同じだった。
アンジェリーナがいたからである。
アイクがジョンに会いに来たのは、エミリーが既にこの世にいないばかりか、彼女の死にジョンが関わっていたと知ったから。教えたのは、テレビである。
一度は想ったエミリーを死なせた男。数か月間、共に監禁された男。
これはもう運命である。
堪らなくなったアイクは、衝動的に車を走らせた。何をする気もないが、とにかく会おうと思ったから、動いてみた。それがアイクである。
そして、今、アンジェリーナの存在は、元から何も考えていないアイクの頭を、分かり易く混乱に陥れた。

口を開いたのはジョン。
監禁中、ジョンとアイクの仲が良くなかったのは、すべてアイクの一方的な悪態のせい。
ジョンは常に友好的だったのである。
「やあ、久しぶりだね。」
止まったままのアイクに、ジョンは言葉を続けた。
「無事だったんだね。」
馬鹿ではないアイクは、やっと言葉を見つけた。
「無事かどうか分かるのか。」
苦笑したジョンは、アイクの視線が自分を見ていない事に気付いた。
向かう先は、明らかに自分の背後。
心当たりのあり過ぎるジョンは、穏やかな声を選んだ。
「中で話さないか。」

ジョンは、老夫婦を別室に追いやると、アイクと二人でソファに腰を下ろした。
お茶を運んできたアンジェリーナが、そのまま隣りに座ったのは、ジョンにとって、想定の範囲外。アイクにとっては、謎過ぎる空間である。
ジョンが最初に口を開くのは、あの洋室の頃と変わらない。
「本当に久しぶり。」
「ああ。」
アイクの言葉が少ない理由は知っている。ジョンは、表で意識した事を口にした。
「エミリーのことだね。」
アンジェリーナを見ながらアイクが頷くと、ジョンは言葉を続けた。
「あの部屋で、皆で話してたろう。きっかけになった女性は、一人じゃないかって。それで、僕は最後に入ってきた君の情報を頼りに、エミリーに会いに行ったんだ。」
アイクの殺気しかない目が、ジョンに戻った。喋るのはジョン。
「僕は怖かった。何より、彼女がアンジェリーナと全く同じだったから。見た目と言うか、存在感が。本当に。でも、全く僕のことを知らない振りをするんだ。本当のことが知りたくて、皆が話してたことを伝えたら、彼女も怖がって。不意に走り出して…。」
アイクには、無駄な言い訳を喋らせておく気はない。
「別に、コービンもブレンダンも何も言ってなかった。あんたが、五人の女は同じと言ったんだ。俺も一瞬信じたが、あんたが何も言わなきゃあ、誰もどうとも思わなかったんだ。」
ジョンの言葉に少しだけ力が入った。
「でも、彼女を見てくれ。エミリーと本当に同じだろう。」
同じ方が気分の悪いアイクは、アンジェリーナを睨んだ。
「あんたはどうなんだ。エミリーのことを何か知ってるのか。」
話し振りから、アイクが決していい客ではないことは分かる。アンジェリーナは、顔を横に振るだけで、声を発しなかった。
「じゃあ、ビクトリアは。」
アイクが質問を重ねると、慌てたジョンが口を挟んだ。
「待ってくれ。ビクトリアって誰だ。」
ジョンの聞いたことのない名前である。当然の疑問に、アイクは即答した。
「連邦捜査官に会わされた。二人と同じだった。」
「エミリーとは別人なのか。」
それは愚問。アイクが大嫌いな妄想である。苛立ちの隠せるアイクではない。
「ああ、別人だ。あんたが殺したエミリーが本当は生きてるなんてことはない。変な奇跡は信じるな。あんたの罪は未来永劫消えない。」
分かり易くダメージを受けたジョンの肘に、アンジェリーナが手を添えると、アイクは言葉を続けた。
「言うぜ。俺はエミリーと付き合ってもない。それが、あんたはこの女と付合って、エミリーを殺して。一体、何なんだ。」
事実かもしれないが、ジョンの中に答えはない。
しかし、ジョンは不思議なことに気付いた。アイクは、監禁されていた頃の様に激高しない。
彼は本質的に満たされているのである。
怒らないアイクはアイクではないが、ジョンには、そうなる理由に心当たりがある。喋るのはジョン。
「オレンジが来たかい。人の名前だ。」
アイクは、ジョンを見つめた後、家の中を値踏みする様に見回した。古びたソファのせいで気付かなかったが、確かに金回りは良さそうである。
「あんたもか。」
アイクが答えると、ジョンは、涼やかな表情を見せた。
「僕は今、第二の人生をスタートするために、そのお金を使ってるんだ。君はどうなんだ。」
いけ好かない言葉に、アイクは、ジョンの姿をもう一度見た。
よく見ると、彼の服装はあか抜けている。
かつて想った女性を取戻して、傍らに置く彼は、間違いなく、彼の言う「第二の人生のスタート」に成功している。
持っている金は変わらない筈だが、付合ってもない死んだ女の仇を待伏せした自分とは、天と地の差がある。
アイクは、不意に居心地が悪くなった。
「どうだったら、いいって言うんだ。人の生き方に正解なんてない。自分だけ努力してる様に言って、急に点数をつけて比べようなんて、俺はどうかと思うぜ。」
ジョンの顔は、一瞬でこわばった。
アイクは相変わらずである。聞いた様な言い回しで、他人を否定しているだけで、いい方向には転ばない。アイクを知るジョンはまだしも、初対面のアンジェリーナは怖がり始めている。
アイクには、二人の気持ちを考える気はない。
「あんたは、そうやって、人が正しいだろうと思うことを自分勝手にやって、人に押付ける。あの部屋は、あんたのつくった変な空気で一杯だった。エミリーとこの女が同じだなんて話も、あんたが勝手に吹込んだ妄想だった。その妄想のせいで、エミリーは死んだ。最悪だ。この女だって一緒にいるけど、実際どうなんだ。自分の頭で本当にちゃんと考えてるのか。精神病院に入った人殺しだぞ。同情とか、何なら怖くて離れられないのかもしれない。付き合ってて、可哀そうだと思わないのか。」
言葉の暴力である。
不穏な空気を感じたのか、ジョニーとジェーンは、とうとう客間に近付いてきた。
もう一人の客人であるアンジェリーナのためである。
視界の動きに気付いたアイクは、目の端のアンジェリーナの顔を二度見した。
エミリーと同じ顔が、引きつっているのである。
戸惑うアイクの眼前にトリプルJが揃うと、猛烈に嫌になったアイクは席を立ってしまった。
アイクは、正直な話、こんなひどい話をするつもりはなかった。悪いのは、下らない事を言うジョン。少なくとも、アイクの中ではそう。
アイクを知るジョンは、決して、何も責めない。
「帰るのかい。」
ジョンの言葉を無視したアイクは、ソファをすり抜けると玄関に急いだ。ジョンは追いかける男である。
「困ったことがあったら。多分ないとは思うけど、いつでも来てくれ。力になるよ。」
アイクは、ドアのロックを開けるために一度だけ立止まったが、前を向いたまま、扉を開けた。
彼が振返ったのは、玄関を出て少し歩いてから。さすがに、ジョンの姿はなかった。

アイクは、ジョンを待つ間、ずっと気になっていたキリスト像を見つめた。
普通の家にこんな物はない。その時点で無理である。
ただ、美術のことは分からないが、物としては、確かに出来がいい。
慈悲深い表情を浮かべるキリスト像。誰もが期待するキリストの姿がそこにある。
素晴らし過ぎる逸品。
ただ、これをつくったのがジョンと思うと、話は違う。
ジョンの説教臭さや、エミリーを死に追いやった彼の偽善が臭いたつ。
やがて、アイクは臭くて臭くて耐えられなくなった。
早足で車に戻ったアイクは、トランクを勢いよく開けた。
待っていたのはレミントンM870。どこに行くにも連れ歩く、彼の相棒である。
M870を手に取ったアイクは、像の近くに戻った。
銃口をキリスト像に向ける。
生まれてこの方、一度も考えた事のない光景である。
四秒後。
アイクは、静かに引き金を引いた。

散弾銃の音は、町中に響き渡り、短くこだました。
慰めていたアンジェリーナがひきつけを起こすと、ジョンは、素早く窓際に移った。
カーテンの外では、銃を持ったアイクが、今まさに車に乗込んでいる。
ジョンは、背後に向かって、片手を挙げ、窓から遠ざかる様に教えた。
アイクを刺激するのは、得策ではない。そっとしておくのである。
トリプルJとアンジェリーナが息を潜めていると、やがて、アイクのセダンは去り去った。

最初に庭に出たのはジョン。安全を確認したジョンに許されると、アンジェリーナも続いた。
若い二人は、家の周囲を見渡した。
そうは言っても、ここは実家であって、ジョンの家ではないのである。
両親を愛するジョンが注意深く、壁を調べ続ける中、アンジェリーナはあることに気付いた。
キリスト像が、ところどころ砕けている。
アイクが撃ったのは、油を被る王だったのである。
アンジェリーナは、とうとう泣き出してしまった。
さんざん悪態をつかれ、恋人がつくり上げたキリスト像を傷つけられる屈辱。
驚きも混ざったかもしれない。
顔を手で覆ったアンジェリーナは、ひたすら泣き続けた。
ジョンがアンジェリーナを慰められなかったのは、全てが自分の身から出た錆びだから。
ジョンは、アイクからエミリーを奪ったのである。
例え、エミリーにその気がなくても、アイクの気持ちに嘘がなければ、彼にとっては同じ事である。
ジョンは、自分に言い聞かせる様に小さく呟いた。
「修復材を使えば直るさ。」
その言葉に力はなく、徐々に近所の住民が集まり始めた庭で、アンジェリーナはひたすら泣き続けた。
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