第112話 決着

文字数 3,174文字

グレー・ヘアのロレンツォは、ステッチが丁寧に入ったキャップ・トゥーの革靴で、毛布の様に毛足の長い絨毯を軽快に蹴った。
社長室の一団、役員の輪を当然の様に通り過ぎ、胸元のホルダーからシグ・ザウエルを取り出す。安全装置は、歩きながら外した。
前室の女性秘書を無視して歩き続けると、優秀な彼女は一度ロレンツォの腕を持った。
今までの社員の中で、一番、勤勉なのは彼女である。しかし、すぐに無駄を悟った彼女は、デスクのインターカムに走った。応援を呼ぶのである。
ロレンツォは、特に構うでもなく、ドアを開けると部屋に入り、中から鍵をかけた。
そこにいたのは、ローデヴェイク。
かつて、どの色で呼ばれた彼かは分からないが、皆と同じ顔の彼、ローデヴェイクである。今現在の見た目の年齢は、オリジナルのローデヴェイクが死んだ頃に近い。
ロレンツォは、扉の前に留まり、一切の無駄な作業を省いて、銃口をローデヴェイクに向けた。
口を開いたのは、一切、慌てないローデヴェイク。
「君の考えていることを当てれば、黙って帰るか?」
ロレンツォが首を傾げると、ローデヴェイクは言葉を続けた。
「命乞いをしてもかまわない。」
それは、まさに今、ロレンツォが考えた言葉である。ローデヴェイクは、更に言葉を続けた。
「スカーレットは死ぬことはなかった。」
それも、まさにその時思った事ではある。人間の頭の中には、話す前に幾つかの候補が浮かぶ。その二つを当てたに過ぎないのだろうが、内容的に、ローデヴェイクから言われるのは気に入らない。ロレンツォは、嫌悪を眉間の皺で伝えた。
そこまでが、おそらくはローデヴェイクの予想した事である。
「予想はここまでだ。疲れる。ただ、言おう。君に言われなくても分かる。僕はそのぐらい君を見てきた。僕は君の全てを知ってる。ただ、外れる事もある。僕と君の山の様な違いのうち最も代表的な事実は、君は本能に従わない場合が大いにあるという事だ。ひねくれ者。それが君だ。」
その時、ドアのレバーが空回りし、誰かが外からドアを叩き始めた。
銃を構えたまま一切動かないロレンツォを見ると、ローデヴェイクは、鼻で笑い、喋り続けた。
「スカーレットは死ぬ必要がなかったかもしれないが、僕は死なない人間を知らない。彼女は君の腕の中で死んだ。彼女にとって、それ以上の死に方があったろうか。そうだろう、ロレンツォ。」
ロレンツォがやはり銃を下げないのを見ると、ローデヴェイクは口調を変えた。
「その余裕は何だ?エマでも後から来るのか?議員になったからと言ったって、彼女がヒュドールを自由にできるわけじゃない。」
ローデヴェイクは、次の壁を越えた。ロレンツォには、この男を自分の知人に会わせた記憶は当然ない。ロレンツォの数少ない知人のうち、社会的な地位が、一番、ローデヴェイクに近いのは彼女だろうが、しかし、くだらない。
ロレンツォは、ここに来て、初めて口を開いた。
「サミュエルの臨終にも立会った。あいつは謝った。国民の税金を無駄にしたことだけだったが謝った。だが、お前は違う。」
それを教えるのは、ローデヴェイクの死が近いという事。トリガーはロレンツォに他ならない。
ただ、ローデヴェイクは黙らなかった。躾ける様な口調も変わらない。
「聞くんだ、ロレンツォ。僕と君のもう一つの違い。君が思う僕の罪は、僕のための罪じゃない。どんなに君が僕を憎もうと、僕の心には一点の曇りもない。僕の全ての行動は献身。ドアの外の皆が求めてるのも、僕のための献身。僕自身がヒュドール。彼らもそうだ。一方の君は、君以外の何者でもない。君が犯す罪は、君のエゴに過ぎない。」
ロレンツォは、ローデヴェイクの話を分かり易く無視するため、話を戻した。
「ヘクトルとエマは幸せだったと思う。彼らも、お前がいなければ、あんな最後を迎えることはなかった筈だ。僕は、彼らに愛を感じた。」
当然、ローデヴェイクのせいではない。
ただ、ロレンツォが喋り過ぎた事を、ローデヴェイクは聞き逃さなかった。
「自分で言って思った筈だ。何故、ヘクトルの名前まで持ち出し、愛などと言ったのか?君はスカーレットの死の責任から逃れたい。言葉の意味を変えたいんだ。」
ローデヴェイクは何も否定しない。全てを知っているだけではなく、全てが自分の責任で当然だと思っている。まずはそういう事。そして、スカーレットの死に対し、ロレンツォの責任も教えている。
ロレンツォは、改めてローデヴェイクを見つめた。敢えて訂正する価値のある言葉とも思わないが、勘違いも含めて、そろそろグロテスクな領域である。
ローデヴェイクは、ロレンツォの気持ちが変わるボタンを探す様に、新たな言葉を発した。
「全てが永遠に続くと思ったのか。」
ロレンツォは、一度呆れると、絨毯に発砲した。
百万を超えるノットでネイティブが手編みしたアンティークの絨毯。彼の自慢である。
しかし、ローデヴェイクは、一切慌てなかった。銃口が下がったので安心したぐらい。
ドアの外の騒ぎは激しさを増したが、ロレンツォは静かに言葉を続けた。
「僕は面倒が嫌いだ。皺が幾ら増えようと変わらない。ヒュドールと一人で闘う道を選んだ時点で、僕は全てを捨ててる。」
ロレンツォが何を言おうと、ローデヴェイクはロレンツォの神経を削る言葉を忘れない。
「それもいいだろう。だが、思い出せ。スカーレットの死に方を。痩せた彼女は皆に感謝したぞ。一人ずつ名前を呼び、皆が泣いた。君もあの細い指を握っただろう。彼女の生きた証は、僕達の気持ち、僕達の脳の中にだけある。僕を殺し、彼女の存在する場所をまた一つ壊したいのか。君は何をどうしたいんだ。」
ロレンツォには、返す言葉が見つからなかった。
自分がどうしたいかなど、考えた事もない。ロレンツォは、ニコーラが消えて以来、ずっと同じ事件を追っていただけなのである。
一つ言えるのは、ロレンツォがこの捜査にかけてきた時間が余りに長すぎたという事。同じ時間を過ごした者が死にゆく中で、犯罪本来の重さが全く違うものになってしまった。もう仕事ではない。この捜査は、確実に彼のライフワークになっていたのである。
ロレンツォの表情が幾ら強張ろうと、ローデヴェイクの言葉は終わらない。
「僕には分かる。スカーレットは君を愛していた。君も気付いていた筈だが、決して応えなかった。君は、自分で考えているより、先が見えていない。犯人を追うだけでその年だ。人生の意味を分かっていないんだ。今だって、こんな事をして。この後、どうするんだ。」
ロレンツォは、何度か頷くと、銃口をローデヴェイクに向けた。
理由は、心に大きな大きな魔が差したから。
この部屋に入ってきた時とは違う。今度は脅しではない。
「お前はいつまでも生きたいかもしれないが、僕はそうでもない。全部、終わらせる。それだけだ。」
ローデヴェイクは少し意外な表情を浮かべたが、ロレンツォの言葉に嘘がないと見ると、また、口元に笑みをたたえた。
「ロレンツォ。最後のサプライズだ。」
ローデヴェイクは、少しだけ意外な表情を浮かべたが、ロレンツォの顔を眺めると、すぐに笑顔を取り戻した。ロレンツォの言葉には嘘がない。まずは、それが分かったのである。
「ロレンツォ。最後のサプライズだ。」
ローデヴェイクは、銃を意に介する事なく、ロレンツォの背後の騒がしいドアに目をやった。
「久しぶりの御対面。ニコーラだ。」
ロレンツォは驚き、ローデヴェイクの視線が向かう先の扉を振返った。
そこには何の変化もない。
理由は一つ。嘘だからである。
後悔したロレンツォは、即座にローデヴェイクの方を向き直した。
「冗談だ。」
微笑むローデヴェイクは、スターム・ルガーLC9を構えていた。
次の瞬間、銃声が響き渡ると、ロレンツォはその場に崩れ落ちた。
銃弾の行先と、それがいつの事かは分からない。
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