第54話 教誨

文字数 4,845文字

某国某所のステファヌスの私有地。
小さな箱の様な講堂が、一本の草もない砂地に建つだけの場所。
砂塵がホワイトの壁をベージュに変え、仕上げの鏝捌きを浮かび上がらせる。
小さな窓は二階だけ。ほぼ、密閉空間である。
エントランスの扉を開け、客席を兼ねた急な階段を下りると、最下段には小さなステージ。
奥行十メートルほどのステージに立つと、客の顔が迫る。
ごく親しい仲間だけのプライベートな講堂である。

その日は、ステージ上にステファヌス一人が椅子を置いて座った。
客席には、ローデヴェイクを含む十三人。
大きなクッションを思い思いの形に抱き、あるいは敷いて座る彼らは、皆、幼い頃にステファヌスに引取られた若者である。
ステファヌスは彼らを寵愛し、私的な活動の全てを彼らに任せている。
ヨシュアの殺害、S国の道路陥落事故も彼らの仕業である。

壁一面のスクリーンに映されているのは、ビル街の気流のCG。
ステファヌスは、十三人の顔を見渡すと、静かに口を開いた。
「現時点で、サミュエル・クレメンスから連絡はない。私はラファエルのAIと会話を続けてきたが、取敢えず、新しい作戦の概要がほぼ固まった。今日は、皆にその説明をしたい。無論、詳細の検討はこれからだ。」
ステファヌスは、スクリーンを振返った。
「このCGはターゲットのビルだ。風の街I州C市。周辺は、名前と違ってほぼ無風だ。そこで、ターゲットに続く道路を車で塞ぎ、風の道をつくる。それだけでビル風が起きるが、そこにもう一つ手間を加える。エントランスと、エレベーターの一階、それから最上階を爆破する。ビル全体を、一つの煙突にするんだ。町の風が集まり、強風になる。」
猛烈なモラル・ハザードから逃げようと、よそ見を始めた若者達に、ステファヌスはダメを押した。
「そこに風上からVXガスを噴霧し、ビル街全体に打撃を与える。」
ステファヌスに、皆を逃がすつもりはない。
「事前の解析によると、ビル街のガス濃度はそれほど上がらない。数千人の健康に影響が出るが、想定死者数はゼロだ。散布する場所とビルのエントランスは、霧と気流の状態によっては死者が出る可能性が残る。但し、あくまでも、計算上、死者は出ない。概略は以上だ。」
手を挙げたのはローデヴェイク。彼は、リーダーとして、言うべきことを言わなければならない。
ステファヌスは、時に口が過ぎる、優秀な彼を指差した。
「そのビルが、ヒュドール関連の多額の送金に関与した会社のものであることは知っています。ただ、サミュエル・クレメンスがいるかも分からない建物で、死のリスクがある程の事件を起こす理由が分かりません。第一、無関係の人が健康を損なう必要があるのでしょうか?」
ステファヌスは、大きく頷いてから、口を開いた。
「尤もな意見だ。皆も同感だろう。」
ステファヌスは、一人一人の顔を見つめた。
「皆はまだ若いから、考えたことがないかも知れない。だから、一日の長が思ったことを言おう。つまり、サミュエルは、大量殺人を犯しているのではないか。そして、誰もがその被害者でありながら、それに気付いていないことが、人類の最大の不幸ではないのか。」
別の若者が手を挙げると、ステファヌスは頷き、その発言を許した。
「誰もが永遠の命を得ることが出来る技術を敢えて実用化せず、毎日殺人を続けているということかと思います。ただ、それはクローン技術を知らずに死に行く人間には一切関係ないことです。」
ステファヌスが、予め予想した範囲の質問である。
「生き物とは何か。ある学者によると、大量の遺伝子が一つの船に乗合わせているにすぎないのだそうだ。たとえば、出産が近付くと、奇妙な形の巣をつくる生物。誰が教えたのかと思うが、彼らは、出産が近付いた時のホルモン・バランスで発現する、あるいは消失する細胞のせいで、その生き物の空間認識能力や身体能力に依存した形の巣をつくるだけだ。出産を控えた甲斐甲斐しく映るその行動さえ、生まれてくる子供への愛情どころか、何の感情に依存するものでもなく、遺伝子の組合せによって機械的に具体化した現象に過ぎない。もっとも、より根底の原理で、ドーパミン程度は出ているかもしれないから、人は混同するのだがね。」
老人の微妙な比喩に、客席の若者は黙るしかない。
「遺伝子は千差万別であり、現在、その種が存続する根拠をそれぞれ明確に示している。人間の遺伝子は、その思考・活動の多様性を許すことによって、地球上の人間を蟻の総重量と同じほど繁栄させることに成功したが、近年の生活の安定は、個々の精神世界の充実を、生存という最も重要な課題よりも優位な課題にしている。それは、人間を特別視する傲慢な誤解によっている。」
ステファヌスは、椅子の下に置いていたペット・ボトルを手に取り、水で喉を潤した。
「この誤解の多くは、実は死生観に基づいている。死は否定できない絶対の存在だ。たった一度きりの人生を如何に生きるか、皆と如何に幸せを共有し、将来の世代に自分の気持ちを如何に伝えるか。人生の普遍的な課題だ。それは、全て人が死ぬという避けられない事実のもとで築かれた価値観だ。しかし、記憶力に優れ、社会性に富む人間は、その価値観に必要以上に縛られ、本来、生物が許された権利を放棄することを美徳と思いこむ愚に陥っているのだ。」
皆の反応が鈍いと見ると、ステファヌスは立上った。
「言葉を変えよう。誰もが死にたくない。死んだら、何も見えない。聞こえない。触れることが出来ない。考えることも出来ない。これは絶対的な恐怖だが、皆、幼い頃に死に対する疑問を持ち、乗越えられないことにいつしか納得し、忘れる習慣を身に着けてしまう。ただ、もしも死なない方法があるなら、そのために全力を尽くすだろう。それが、本能というものだ。そして、その方法はあるのだ。」
ローデヴェイクは、それでも最低限の主張を怠らない。
「質問は変わりません。」
ステファヌスは、手を挙げずに発言したローデヴェイクを責めることなく、彼だけを見据えた。
「死なない方法を私が現実のものにすれば、多くの人が永遠の命を手にするだろう。クローンを生命体の条件を満たさない状態でつくり、死者として集計しなければ、命を失う者は今回の作戦で生じるかもしれないごく僅かに限られる。いずれ、新しい遺伝子の在り方がそこに生じるだろう。淘汰とは言わない。ただ、それは個人ではなく、人類の遺伝子に作用する大事件になる。どんな遺伝子がどんな組合せで乗合せたか分からない船が何艘か沈もうと、確かな遺伝子の組合せの船が永続するなら、それは人類にとって大きな成果だ。つまり、今回の作戦は私の単なるエゴではなく、人類にとって、あるべき流れなのだ。」
ステファヌスは、自分を見つめる皆の顔を見渡した。
「気持ちは重要だ。事件に巻込まれて死ぬ人間の気持ちも無視できない。ただ、どれだけの人が毎日持病で死んでいることか。天命と思うかもしれないが、生活水準の影響は避けられない。つまり人為的な要因は絶対だ。戦争などしていなくとも、夫か妻のせいか、上司か部下のせいか、取引き先か同業社のせいか。きりがないが、確実に寿命に影響している。辛い料理や甘い菓子が流行れば、皆が思う筈だ。何人かの死期が早まると。だが、彼らは死んでも仇をとってもらうこともなく、裁判を起こしてもらうわけでもなく、当たり前の様に忘れられる。それに比べて、今回、万が一犠牲者が出たとすれば、人々は追悼碑を建て、事ある毎に彼らを思い出すだろう。事件が壮大であればある程、彼らの存在は永遠に語り継がれる。永遠の命より人の気持ちが大事というなら、彼らこそ、万人の思いを一心に受ける存在になる。彼らは、君達が本当に大切だと思うものを手に入れるのだ。」
また別の若者が手を挙げ、ステファヌスは発言を許した。
「死に行く人も、命の限り、見て、聞いて、触れて、考えたい筈です。彼ら一人一人の生活が同じ様に尊く、誰か一人の主観で故意に奪われることがあってはならない筈です。」
ステファヌスの答えは早い。
「まず、私は特定の誰かを殺すつもりは全くない。確率論に過ぎず、故意ではない。おそらく、さっき言った見かけの自然死よりも人為的な要因ははるかに少ない。」
また別の一人が、手を挙げた。
「当たり前ですが、人が死ぬ可能性のあることを、故意にやるべきではありません。」
ステファヌスは、若者達の素敵な価値観を小さく笑った。
「当たり前とは何か。その教育をしたのは誰か。既成概念で優先順位を考えていないか。君は、永遠の命を目の前にして、本当にそんなことを思うのか。思うとすれば、それは死が他人事だからだ。それこそ、若者のエゴだ。世の中を次の世代で良くしたいと思う大人が与えた、おとぎ話の世界から抜け出せていないのだ。一人一人のその時の気持ちが重要であるとすれば、君達も死の順番を待つ我々老人と同じ立場に身をおき、気持ちを共有するべきだ。年齢によらず、万人が明日死ぬのは嫌だ。一か月後でも来年でも同じだ。それを避けられるのに、敢えて何もしない人間を放っておけるか?毎年、地球上で数千万人が死んでいる。その悲劇が今後も繰返されるのなら、一刻も早く、どんな犠牲を払っても、その人間を引き摺り出すのだ。それこそ、当たり前だ。」
ステファヌスには準備がある。彼に譲る気は、毛頭ないということ。
もう、顔に疑問の色が残るのは、作戦を指揮させられるだろうローデヴェイクだけ。
目的はまだしも、方法は違う。議論が必要なのである。
「傷つく人の数を減らすことは出来ませんか。数千人の被害は、我々には荷が重過ぎます。」
ステファヌスは大きく頷いた。
「さっき言った通りだ。人類が見たことのない壮大な事件でないと、やる意味がない。死に行く人にも申し訳ない。それに、死の恐怖を同時に感じた人が少しでも多い方が、生きるという当たり前の行為の感動が、社会により強く伝わるだろう。戦争経験者の存在がそうである様に。」
不要な達観である。ローデヴェイクの嘆きは止まらない。
「他にサミュエルを説得する方法はないのでしょうか。」
ステファヌスは、眉間に深い皺を浮かべた。
まさにそれを検討してきたステファヌスに、別の方法を問うのは失礼極まりない。
イエスかノー。ノーという者が、この場を去るだけである。
ステファヌスは、しかし、ローデヴェイクの若さを愛し、言葉を選んだ。
「彼は独善的な倫理感に捕らわれ、放っておけば、身を隠したまま何もせずに死ぬだろう。そんなことはさせない。私達がするべきことは、彼の価値観を一度完全に破壊し、一から創り直すことだ。他に方法があるとすれば、また違う事件だ。奴のオリジナルもそうだった。誰かが死ななければ、動けない。敬虔な信者の死で、未知の実験に進ませたのは、君のオリジナルだ。ローデヴェイク。この選択は間違っていない。」
ローデヴェイクが口を閉じたのは、ステファヌスの明らかなクローン蔑視のせい。
オリジナルの過ちを重ねられる理由はない。
ただ、理由はどうあれ、ステファヌスはローデヴェイクを黙らせることに成功した。
それが出来るから、ステファヌスはステファヌスでいられるのである。
喋るのは、椅子に腰を下ろして、喉を潤したステファヌスただ一人。
「こんな話を出来る人間は、この世にそうはいないだろう。私は、人類が経験したことのない未曽有のイベントを起こし、生きる感動を少しでも多くの人間に与える。そして、永遠の命を実現し、人類の夢を叶え、生命の在り方を遺伝子レベルで変える。今回の作戦は私一人では実現できない。私が信頼する皆の力を、是非とも貸してほしい。」
目の前で固くなる若者達のために、ステファヌスは優しい笑顔を浮かべた。
「ただ、確かに死ぬ事はないな。救急班も、人類が見たことがないほど盛大に手配しておこう。腕の見せ所だ。」
その一言は予め準備されていたかもしれないが、皆の瞳は一瞬で輝きを取り戻した。
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