第10話 実家

文字数 1,982文字

ロレンツォとニコーラは、夕方になって、逃亡した男がタクシーを降りた家に着いた。
疲れを感じる時間である。
事前に家主への連絡は済んでいる。連邦捜査官の訪問は、なかなか断られない。そういうもの。
無駄に広い庭に車を止めると、体の鈍る二人は、ぎこちなく車を降りた。
ベルを鳴らしたロレンツォが、ジャケットの裾の位置を直していると、扉が小さく開き、老夫婦が姿を見せた。二人の距離が近いのは不安のせいで違いない。ロレンツォは、IDを見せた。
「連絡した連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。彼はニコーラ・バルドゥッチ。」
ニコーラも微笑むと、扉は大きく開いた。魔法である。
二人を家に招き入れた老夫婦は、例の男の親である。
夫の顔はシミが多く、よい年の取り方をしてきた様には見えない。
妻の方は化粧毛がなく、どう見ても無様なピンクのチーフだけが目立つ。
もてなしのコーヒーはぬるく、ニコーラは二口目には進まなかった。
正直なニコーラに苦笑したロレンツォは、レコーダーのスイッチを入れた。聴取の開始である。
喋り始めたのは夫。
「あいつはいい男なんだ。」
後が続かないと見ると、ロレンツォが口を開いた。
「皆さん、自分のお子さんのことはそうおっしゃいます。」
夫の表情は変わらない。
「真面目だよ。」
ロレンツォは、言葉を被せた。
「あまり、親と一緒に居る時に無茶をする人はいませんね。」
ニコーラが小さく頷く中、夫は次の言葉を探した。
「これまで何の問題も起こしたことがない。」
それは事実なので、ロレンツォが口を閉じると、夫は少しだけ饒舌になった。
「悪い仲間と付き合ってるなんて話も聞いたことがないし、特に金を持ってるわけでもない筈なんだ。一体、何があったんだ。」
少しだけ情の移ったロレンツォは、眉を潜めたが、事実をありのままに口にした。
「誘拐事件に巻込まれた可能性があります。」
夫婦は、置物の様に凍り付いた。どこかで見た様な光景に、ロレンツォは言葉を急いだ。
「加害者か被害者かも分かりません。何なら、たまたま居合わせただけかもしれません。」
期待通りの言葉に、夫の時間が動き出した。
「あいつは、少しついてないところはあったんだ。」
意味のない会話に、ロレンツォはニコーラと顔を見合わせた。口を開いたのは、義務感に駆られたらしい夫の方。
「随分前に連絡がとれなくなったんだ。男の一人暮らしだから、何をどうしてるのかと思ってたら、不意に訪ねてきてね。どうしても五百ドル必要だって。渡すには渡したけど。でも、あんた達が訪ねてきたんだから、どうしたらよかったのかね。」
腐る程、聞いたことのあるセリフである。
「貴重な話を聞かせて頂いて、ありがとうございます。失礼ですが、息子さんの部屋を拝見出来ますか。」
この夫婦と話す無駄に気付いたロレンツォは、確かな証拠を求めたのである。
捜査令状もないのに、夫婦は息子の部屋に入ることを許した。魔法である。
入ってすぐの机の上にあったのは、スペース・オペラSのDVDボックス。
ニコーラは小さく笑った。
「あの宇宙空間に轟音が鳴り響くという。」
ロレンツォはニヤついたが、顔を横に振った。
ニコーラは、しばらく悪役の呼吸音を真似ながら、室内を物色した。そういう空気だったのかもしれない。
ロレンツォは、男のDVDコレクションの棚を一瞥した。
彼は、空想の世界の住人なのかもしれない。
刑事もの、強盗もの、恋愛ものが一通り揃っている。
印象として、ごく普通のギーク。
因みに、ロレンツォは、ひそかにスペース・オペラSが子供の頃から好きである。
それから十分程度の二人の成果。
壁のメッシュのハンガーには、メダルが大量にかかっている。
一つとして知らない大会のものであるが、競技はバドミントン。優秀な男の様である。
やっと見つけたモデル・ガンは華奢の極みで、とても大人が満足できる代物ではない。小さな男の子が数丁持っている程度のもの。きっと、幼少期の思い出の品。
本は多すぎず、少なすぎず。参考書からコミックまで並ぶのは、実家ならでは。
ロレンツォは、改めて、自分達があさった部屋の中を見渡した。
男には、異常犯罪者の素養はない。とにかく、普通の男。
それは、被害者が逃げなければならない様な事件と言うことである。
前に解放された男は精神病院に入っている。
事実を知れば、きっと頭にくる。
逃げたくなったロレンツォは、それでも夫婦に断ると、男の写真をスマートフォンに収めた。
警官が金をもらえる理由の一つは、きっとそれだからである。
夫婦に丁寧に礼を言った二人が外に出ると、太陽はとっくに沈んでいた。
ロレンツォがSUVのハンドルを握ると、ニコーラは、連邦捜査局に電話をかけた。
きっと、まだ、誰かがいる。それが連邦捜査局である。
期待に応えたのは管理官。
我らがボスの多忙に将来を少しだけ悲観したニコーラは、自嘲気味に笑うと、男の手配を依頼した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み