第102話 哀憐

文字数 1,541文字

A国U州P市の総合病院。眠るマテウスの容態は、一向に変わらない。
ヘクトルは、マテウスの病室を絶えず理想的な状態に保ったので、結果、目にするすべてが常に同じ。マテウスの周りは、時間が止まった様だった。

その日、マテウスの病室を見舞ったのはエマ。
「ハイ。」
ホワイトの引き戸を開けたエマは、ヘクトルに笑顔を見せると、マテウスのベッドに近寄った。エマが持ってきたのは、ブリザード・フラワーと水のペット・ボトル。
「これ、よかったら。」
「ありがとう。悪いね。」
ヘクトルの返事を聞きながら、エマの視線の先は、自然とマテウスの顔に移った。
本当に、眠っている様である。綺麗で、愛くるしい。
エマは、マテウスの頬に、静かに手を当てた。温かい。マテウスが生きているのは確かである。
エマは、津波の後、何度も考えた。
あの時の配管にかけた時間は、やはり間違いだった。
仮に流されなかったとしても、三人で配管を回せる筈がない。
他に方法は全く思いつかなかったが、正解でないことは確か。
救出の順序も間違ったかもしれない。
簡単そうなヘクトルを優先したが、体力がないのは子供。
将来のある子供を優先するのは、大人の義務である。
考えれば、考える程、エマはマテウスの今に責任がある。
そして、ヘクトルもそう思っている筈である。

二人は、マテウスのことを話したが、全ての話題が古い。
どんな明るい話題にも悲しい余韻が漂うと、二人の会話はやがて途切れた。
小さな溜息をついたエマは、お揃いの使い捨てのスマートフォンを取出した。
ブラックとオレンジのメールを見せるためである。
二人は、ローデヴェイクのクローン。
メールの内容は、オンライン・ゲームの対応の進捗である。

三人の選んだゲームは、A国を中心に、世界で一億人のユーザーがいるGというバトル・ロイヤルの格闘ゲーム。
ユーザー数は決してトップではないが、チャットでチーム・プレイを呼びかけるギルドあたりの登録人数が最大千人と多い。
スカーレットは、やはり、ブラック達を海外に送った。
R国と同じ要領で設備を整えたのはU国。言葉の壁を期待したのである。
但し、Gを自動で操作する方法はない。
考えた二人は、スラム街の子供達を使った。純粋にゲームを楽しめる彼らは、永遠に情報を送り続けるからである。
ブラック達が流した情報は、基本的に、これまで紙幣やメールで流してきた情報をつなげたもの。新たに加えたのは、問いかけである。
公の場で議論することなく、軍事利用の計画を進めていいか。
スカーレットの中のハード・コアである。
メールの最後には、二人が準備を完了し、U国を出国したことが書かれていた。
すべては順調に進んでいるのである。

それはヘクトルも見たメールである。口を開いたのはエマ。
「きっと、上手くいくわ。」
彼女が求めたのは、何かが上手くいく空気。
しかし、ヘクトルの顔が晴れないのは、その先にマテウスの回復は待っていないから。根本的に、問題が違うのである。
「そう思うよ。」
無視は出来ないヘクトルが短く答えると、エマはヘクトルの顔を見つめた。
ヨシュアと同じ顔のヘクトルは、苦しみを隠しきれずにいる。
こんなヨシュアを、エマは見たことがない。
気の毒過ぎるのである。
胸が引裂かれそうになったエマの目に涙が浮かぶと、ヘクトルは力なく笑った。
「泣かれるのは悲しいかもしれない。」
エマは、笑顔を返したが、口は開けなかった。喋るのはヘクトル。
「いや、済まない。でも、そうだ。君の言う通り。僕達の計画は全部上手くいってるんだ。マテウスだって、きっと何とかなる。信じよう。」
ヘクトルが、根拠のない出まかせを口にしたのは、エマの気持ちを汲み取りたかったから。
ヘクトルは、優しいエマの背に手を添え、開いてしまった彼女の心の傷が癒えるのを待った。
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