第80話 悪戯

文字数 3,124文字

ブレンダンの走馬灯は続く。
幾つものイメージが通り過ぎた後、ブレンダンは、中学生の頃、野球チームを辞めた日の出来事を見た。
小学生の頃に野球にはまったブレンダンは、同級生で小金持ちのジェイクの父親ジャックが世話をする野球チームに入った。ユニフォームは気に入らなかったが、母親のツテなので断ることが出来なかったのである。
地区大会で優勝もしたが、走馬灯に現れたのは辞めた日。しかし、いつか最期の日がくれば、チームの皆が同じ光景を見るだろう。

迫る地区大会に向けた紅白戦の日。ブレンダン達は、ユニフォーム姿でグラウンドに座り、仲間が集まるのを待っていた。
観戦する親の数が少ない紅白戦は、ゲームが出来るだけの幸福なイベント。
ただでさえ緩んでいた彼らの気持ちは、興奮したタイロンの登場で完全に解き放たれた。
ブラックのタイロンは、細身だが運動神経が抜群にいい。
選手としての信頼が厚いだけでなく、冗談をよく言うチームのムード・メーカーである。

その日のタイロンは、近付いてきた時から、既に目がぎらついていた。
「ヘイ、お前ら!」
声を上げたタイロンは、走り出すと、六人の間にスライディングで突っ込んだ。
「〇〇〇〇!」
「殺す!」
「まじか!」
砂埃の中、六人がタイロンをくすぐると、タイロンは、ばねを活かして皆の輪を抜けた。
口を開いたのは、笑顔のままのタイロン。
「俺は見た!」
「見るなよ、死ねよ!」
「黙れ、禿げ!」
手荒いヤジに負けないのがタイロンである。
「ジャックが女といた。」
六人が黙ると、タイロンは笑顔で言葉を続けた。
「車で二人きりだ。」
うっすらと話の見えてきた皆の顔色が変わるのを待つと、タイロンは次の爆弾を放り込んだ。
「ジェイクの母ちゃんじゃない。」
皆が意味不明の声を上げた。
「☆※◇〇!!!」
六人の中にジェイクがいなかったのは幸いである。
タイロンは、尻を滑稽に後ろに突出して振った。おまけに半目でチューの振りである。
誰かが聞いた。
「してたのか?」
タイロンは、満面の笑みを浮かべると、大きく頷いた。
「☆※◇〇!!!☆※◇〇!!!☆※◇〇!!!☆※◇〇!!!☆※◇〇!!!」
子供達は絶叫し、地面を転げまわった。
皆を倒したタイロンは、チューの音を何度も立てながら、尻を大きく振って歩きまわった。
勝利の舞いである。
やがて、皆がタイロンの後に続き、遅刻した子供達も彼を真似た。
気持ち悪い動きの子供達はどんどん増殖し、いつの間にか、ジェイクもその輪に混ざった。

ジェイクがいると言うことは、ジャックが来たと言うこと。
チームを率いるジャックが数名の世話役と共に姿を見せると、子供達だけの世界は終わりを迎えた。
子供達は紅白に別れ、ブレンダンはタイロン、ジェイクと同じ紅組になった。試合の始まりである。
但し、それはそれ。
燃える子供達は、そのままでは終われなかった。
始めたのは、誰だか分からない一人。
グラウンドを見つめるジャックの横で、チューの音真似をしたのである。
勇者の登場に、子供達は笑いを押し殺した。
もう止まれない。
皆が、タイミングを計ってはチューの音真似。必然である。
何度めかの挑戦の後、ジャックは子供達を見渡したがそれだけ。
今日の流行を作り出したタイロンは、リーダーである理由を教えるために、チューの音で高速でリズムを刻み、皆に新鮮な感動を与えた。
皆の気持ちが、一つになったのである。

しかし、タイロンは調子に乗りすぎた。
バッター・ボックスに入ったタイロンは、尻を出し気味に、バットを構えた。
この時点でアウト。加えて、タイロンは、半目になると、チューの音を立てたのである。
とうとう一線を越えたタイロンを見て、子供達は死ぬ程笑った。
ブレンダンの記憶の中で、少年の頃でも、それ程笑ったことはない。
試合の前の流れを知る白組のベンチも爆笑し、世話役の大人達でさえ笑った。
しかし、ジャックはただ一人違った。
「タイム!!」
ベンチを勢いよく走り出したジャックは、バッター・ボックスに近寄ると、笑顔の残るタイロンの頭から、ヘルメットを奪った。
「帰ってくれ。もういい。」
タイロンの動きは完全に止まった。目に浮かんだのは不安の色。
ジャックは、構うことなく、もう一度言った。
「頼むから、帰ってくれ。皆の迷惑だ。」
ジャックは、立ち尽くすタイロンの肩を掴むと、ベンチに向かって押した。
仲間の危機である。
「タイロンだけじゃないです!」
誰かが声を上げると、ブレンダンも思った。
“そうだ、タイロンが可哀そうだ。”
紅組の子供達は、口々に声を上げた。
「僕もやりました!」
「僕もです!」
「皆です!」
それは、本当にそうである。
首を傾げて皆を眺めたジャックは、やがて、手を高く挙げた。
「お前ら、こっちに来い!ここに並べ!」
大人に言われれば、従うのが子供。並んだ中にはジェイクもいた。
説教が始まる筈である。子供達は、怒鳴られる準備は出来ていたが、どこかで納得できない一人が混ざっていた。聞こえたのは、彼の小さな呟き。
「車でチューする方が悪い。」
その時だった。
ジャックは、端から順に、皆の腹に向かって、L字に曲げた腕で重いパンチを入れた。
子供達は、次々にその場にしゃがみこんだ。
タイロンだけは二回殴られ、地に手をついて、痛みに耐えた。
「ジャック!駄目だ!」
声を上げたのは大人。何人かが止めに入り、ジャックの説教が始まる事はなかった。

試合はそのまま続けられ、大して盛上ることもなく終わった。
ミーティングもそこそこに道具を持ち、グラウンドを離れると、また誰かが言った。
「タイロンが可哀そうだ。」
本当にそう思ったブレンダンがタイロンを見ると、彼本人も頷いていた。
ブレンダンは、流れで遥か後ろのグラウンドに目をやった。
ジャックは、他の大人と話し込んでいる。子供への暴力についてだが、ブレンダンの知った事ではない。
ブレンダンが気になったのは、一緒に殴られたジェイク。自分を殴ったジャックを、隣りで待っているのである。
ブレンダンは、子供が親を選ぶことが出来ないと、その時に実感した。

やがて、うなだれた子供達は、駐車場の前を横切った。
止まっているのは、ジャックのシルバーのセダン。悪の根源である。
近付いたのはタイロン。
真剣な表情で皆を振返ったタイロンは、尻を突き出し、半目でチューの音を立てた。
皆の目は一斉に輝いた。
子供の時間の復活である。
ジャックの車の周りに、子供の輪が出来た。
当たり前に、誰かが車を上から押すと、車は上下に大きく揺れた。次が続くのが子供。
ジャックの車は揺れ続ける他ない。
暫くすると、新しい動きを求めた誰かが、サイド・ステップの下に手を入れた。
「持ち上がるかな。」
「俺ならな。」
「〇〇〇〇だな。」
どの一人でも無理。当然である。そうなると、とにかく車が持ち上がるビジョンが欲しくなる。
子供達は、車の一方に集まった。力を合わせるのである。
どんな時も仲間と運命を共にするブレンダンは、かたちだけ皆の輪に加わった。
そして、何度目かの挑戦。
理由は分からないが、タイミングが合うと車は浮き、そのまま戻ることなく、大きな音を立てて横転した。
彼らの短い人生で最大級の破壊行為。犯罪級。というより、犯罪。
全員が走り出すと、ブレンダンも続いた。
走りながら、ブレンダンは考えた。
“皆の中にはいたが、力は入れなかった。自分は悪くない。”

その後、子供達は二度と野球チームに行かなくなった。
大勢の子供達が言いつけた浮気と、数人の大人も目撃した暴力の噂により、親がチームを辞めさせたのである。
車の修理代は、肩身の狭くなったジャックの自腹。彼が、警察に被害届を出すこともなかった。
ブレンダンが走馬灯で見たのは、その時の横転した車両。
彼の野球人生の最後だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み